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2度のチャンス

不採用の意味

昨日、不採用の連絡を受けたその夜、とある研修会に参加していました。熱意ある講義や質疑応答を視聴していると、日本はまだまだ捨てたものじゃないという気持ちになりました。私みたいな境遇の人間を助けようとしている人たちが、存在していること知ったからです。

まだまだ勉強しなければならないことが、たくさんあることを痛感しました。もしかしてこれが私の「使命」なのかもしれません。「不採用」のメッセージは、本来の「使命」を全うせよってことみたいです。

人生の一般コースから脱落する


かつて人生の一般道を歩いていた頃、世間一般の結婚、出産、育児することは、結果的に私がやりたかったことを「諦める」ことの方が多かったのです。

障害のある子どもが生まれて、私は思い描いていたライフコースから脱落を余儀なくされました。それでも10年間は仕事にしがみついていました。それは自分自身を磨耗することでしかありませんでした。そして夫が亡くなり、しがみつくとも出来なくなりました。

私は決定的に世間的の一般コースから「脱落」しました。しかしこれをきっかけに、これまで「諦めて」きたことをやることが出来たり、多くの人に出会うことになりました。もしかしたら一般コースを生きているよりも「豊か」に生きててこれたのかもしれません。負け惜しみではなく、これで良かったのです。

それでもバカな私は、ときどき「普通に働きたい」と求人に応募してみるのです。そして上手くいかないことを繰り返している・・・まだ心のどこかで「普通に生きてみたい」という気持ちが残っているようです。子どもの頃から長年刷り込まれてきた「普通に生きること」は、とてつもなく魅力的なことなのです。

2度のチャンス

「障害のある子どもが生まれて、これで普通の生き方をしなくてよくなる。」
2人の方から、同じ言葉を聞き驚いたことがあります。彼女たちは、子どもの障害を一瞬で受けいれたそうです。
「逆に貴野さんのような葛藤は経験していないから、その部分では、わたしは気持ちが分からないわ」と微笑まれていました。彼女は障害を受け入れる「葛藤」を経験していなかったのです。そのことは衝撃的でした。

とにかく人間の度量が大きいのです。それは身体の中心から湧き上がってくる「生きる力」、「生命力」なのかもしれません。その力を惜しみなく、私にも与えてくれたのです。尊敬する方達との出会いが、今の私の糧になっています。

私は、息子が生まれたこと、夫が亡くなったことで、「もう人生の王道を生きなくていいよ」と、私は2度のチャンスを与えられているのに、まだどこか普通に生きてみたいと、就活をしたりするから、「まだ、分かってないのか、あんたの生きる道は、カスタマイズされた自分自身のものだよ」と不採用になるのでしょう。

これから

昨夜の研修では、看護学校時代から、気になっていたキーワードを耳にしました。改めて勉強していきたい分野です。まだまだ勉強不足な私です。
たぶん「お金」にはなりません。けれどせめて人の役に立つことができたらいいなぁと思います。せっかくの無職の時間です。有意義に生きてみます。

過去なんていくらでも書き換えられる。世間から見て不幸な出来事も、人生のターニングポイントだったと書き換えればいいだけです。

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