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『まちは、ともに編んでいくことで楽しくなる!』

よくなんでそんなにまちが好きなんですか?

なんでそんなに誰かのために必死なんですか?
なんでそんなにモチベーションが高いんですか?

こんな質問を良くされることがあります。

いつもシンプルに自分も楽しいから。と回答してます。
今日はなんで楽しいのか、どう楽しいのか、書きながら、自分でも紐解いていこうと思います。

そもそものまちの正体は?

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辞書引っ張りますね笑

住宅や商店が多く人口が密集している所。

町とか、街って書いたときはなんだか辞書どおりの気がするけど、地方創生や地域活性化の文脈で考える「まち」とは、違うような気もしますね。
ここで漢字で書く辞書イメージ通りの場合は、「町や街」と、もっとモヤモヤとした住む人や文化、その地域のストーリーを含む場合は、「まち」とひらがなで表現したいと思います。

まち自体は高いところから見下ろせば、こうばやビル、マンション、家、公園とか無機質なもので溢れているけど、それをさしてまちが好きとはあまり言わないですよね?

じゃなんやねん!って話ですが、そこにいる人の暮らしや人生のストーリーが重なり合ったり交じり合ったりしていることがまちの正体だと。

ただ単に暮らしてたり、ただ町や街に住んでるだけ、働いてるだけだと実は、まちは無機質なものや味気のないものになってしまう。

だから好きなまちにしていくには、交じり合うことが大切であり、さらにいい関係性をつくっていくためにも表面上の付き合いだけでない関係になるように編み込むことが大切かと思ってます。
ある種、糠床に似たような状況で人生という味が、まちの魅力というあじとして出てくるのも、実は交ぜる人が大切であり、おもしろいなぁっておもうまちには、必ず「糠床を交ぜる人」が存在します。

交ぜるとは、おせっかいでなんだかわからないけど、まちのことを想い、自分のことのように、他人のことに真剣に向き合うことだと思います。
糠床も放置してたらダメですよね?こうして糠床としての町、街というフィールドをいい環境していかないと、次のまちを想う人は新たに生まれていかない。

じゃいい環境ってなんなん?

そこで暮らしてる人や働いてる人、子育てしてる人の人生や暮らしにあるストーリーを地域と編み込んでいくこと。
概念的でわかりづらいですが、個人や団体、会社の想いが、少しずつ実現されることに尽きると思います。

じゃそろそろ八尾 変態が何が楽しくてやっているかです。

それは、自分が起点になって様々なことや人が交じりあい、「目の前でストーリーが出来上がってくるのが見れる」特等席に居ることだと最近になって気づきました。

ドラマみたいに、最終話ではないですが、複雑に絡み合った課題が目の前で解決されていく。自分が14年くらいかけて仲間と一緒に創り上げてきた土壌でどんどんと人が幸せになっていく。
そのストーリーがまた、新たなストーリーの始まりになりと、どんどん連鎖していくのです!!

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こんな楽しいことはないし、最高のやりがいに思えるからやっているわけです。
最後に、これはある学者の受け売りですが、文脈は英語では、CONTEXT。CONの語源は「〜といっしょに、と共に」という意味があります。
さらにTEXTはラテン語の「織る」です。
つまり、CON-TEXTはと「〜といっしょに、と共に織る」という意味であり、地域というストーリーを共に織り込んでいくことと解釈できます。
こうして何年もかけて織り交ぜて編み込んできたストーリーが今、みせるばやおやFactorISMとして体現され、「八尾 変態」が出来上がったCONTEXTでもあります。

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