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「そもそもなぜやめたのか?」

めちゃくちゃ久しぶりの投稿です。
最近、初対面の方や久しぶりにお会いした方から、転職から1年が過ぎた今でも「そもそもなんでやめたん?」ってことを聞かれるのでこの際、こちらに書いておこうと思います。そうです、もう話すのが少し面倒になってきてしまったからですw

少し長くなりますが、結論から言うと、ボクにとって「まちづくりができればそれで良かった。公務員はあくまで手段であり、生き方を楽しめるメンバーとまちづくりができることを優先した」というお話です。(ホンキで中の人たちも変えてやろうとも思っていましたが、、、)

「はじまりはまちづくりがしたいという動機」

よく「八尾 変態」で検索っとか色んな場所で言ったり、紹介の際に「変態の松尾さんです」(どんな紹介だ!)って言われることが会ってトランスフォーメーションの塊のような人だと思われている?かもしれませんが、20代のころから言い続けているのは「まちづくりがしたい」ってこと。
とにかく住んでいるまちや人、働いている人が元気になってほしい。だからまちづくりがやりたくて役所に入りました。(偽善者ぶってんじゃねーよって思われるかもしれませんが、ホンマです)

ボクもまちがキライだった(以前のnote参照)

大学時代にマス・コミュニケーションでマーケティングやブランディング、行動心理学、社会心理学などを専攻してきて「何でもやってやるぞ!」っと息を巻いていた当時の僕は、地元八尾が元気がないのはまちの良さが発信できてないまちが悪い。シティープロモーションをすべきだし、させてほしいっと言って広報を希望。
しかし、社会はそんなに甘くない。
2000人を超える職員の数の大企業に就職したのと同じで、本人の希望を聞いてもらえるわけもなく、市長副市長の秘書になります。(みんなびっくりされるけど、ホンマです)
そう、いきなりやさぐれたわけですw
しかし、ヤル気はまんまん。若さもあり、「仕事中にまちづくりに直接、関われなければ、時間外だ!」と当時、できるまちを知る方法であり、好きだったこと=八尾のおいしいグルメを食べ歩くことから、ボクのまちづくりはスタートします。
食べ歩いているだけではもったいない!そうだ!まちの発信を食べ歩きブログを通じて元気にしていこうとなり、ブログで発信しまくっていた時代がありました。
その食べ歩きのおかげでたくさんのまちの飲食店の方、住民の方と夜明けまでまちについて語り合いました。
その中で、熱いまちを良くしたいと思っている方々と出会い、「食を通じてまちを元気に」をスローガンに80会(はちまるかい)という飲食店の横のつながりをつくる会を結束します。(当時は、入庁2年目)
あの有名なとんかつマンジェさんをはじめ、10数店舗の企業さんとともにB1グランプリ(当時は活性化事業で流行っていた手法)を開催することに!!
イベントの広報担当になり、寝る間を惜しみながら、イベント運営、会の議事や寄付金、当日ボランティアの確保、チラシ作成などなどわからないながらに必死になって駆け回っていたのを覚えてます。
全部じゃないけど、自分が企画したイベントにたくさんの人が来て、満員御礼でしかも飲食店の横のつながりがめっちゃできてめちゃくちゃ楽しかったんですよね。
今、思えばここも変わってない。(今もやり方は違えどFactorISMで同じようなことを)

「自分自身の生き方を楽しむ人に出会う」

プライベートは充実してきた。
今度は仕事ももっと面白くしたいと思ったボクは、自分が企画したり、やっぱり「仕事として」直接、まちの人と関わり、ダイナミックにまちが変わる瞬間に立ち会いたいと思い、産業振興の部署への異動希望を書き続けます。(秘書課3年目から書き続ける)

まちが楽しく、誇りに思えるように(以前のnote参照)

市役所6年目にしてようやく産業政策課へ。当時は調査業務や政策立案ばかりをする部署でしたが、80会でいろんな経験をしたボクはとにかく現場にでたいという想いが溢れているわけです。
そんなボクにチャンスが!!
たまたま10年前にやっていたものづくり企業の実態調査=実情を知るアンケート調査をしないとという話が舞い込んできます。

「とにかく現場にいき、まちの人たちと会話がしたい!」

当時、係員だったボクは「事件は会議室で起こっているんじゃない、現場で起きているんだ」ばりに、民間に調査を委託しているにも関わらず、「係長、現場知らないんで、100社くらいは自分で回らせてください!」といい、自転車で調査票、片手にまちこうばに足を運ぶ毎日を過ごします。
そこからは出会いに次ぐ、出会い。何も出来なかった若造にホントにたくさんの人から期待を受け、期待に答えようとするチャレンジングな施策を失敗しながらも繰り返し、8年という月日を産業政策、中小企業振興部署で過ごしました。(普通は2、3年で異動)

そんな活動の中で出会えた「自分自身の生き方を楽しむ人たち」(みせるばやおのボードメンバー)
この人たちとまちづくりができれば、まちづくりに参画してもらえればどんなに楽しいまちづくりができるか。その一心で立ち上げたのが「みせるばやお」。
今では、視察や見学、講演依頼の耐えない活動へと成長しています。

「大人にも青春ってあるんですね。まちづくりが楽しいと思えるようになった」と、かの有名な木村社長にも言わせるくらい、こんなにがむしゃらに企業さんにまちづくりと向き合ってもらった自治体職員はないんじゃないくらい時間を割いてもらい、自分たちでまちを変える瞬間、まちが変わる瞬間、「すげーな八尾」って言われる瞬間をともに創ってきました。(もちろん自分だけではなく、たくさんの市役所の仲間とともに)

原体験は高校時代の「楽しくないなら、面白くすればいい!の一言」

よく「まちのためになんでそんなに頑張れるの?モチベーションは?」って聞かれることがあります。
いつも答えは「楽しいから」って言ってますが、この楽しいとか、ワクワクするとか前に進んでいる感じがたまらなくいいんですよね。
実は、これってめちゃくちゃ重要で、みなさんも楽しいと思う趣味や、やりたいことやっているときとか、友達と旅行行ったりしていると思う瞬間がそれぞれにありますよね?
実は、この感情が起こるからくり。
以外と簡単で、自分自身の生き方を楽しむ。受け身ではなく、自ら行動することで「楽しさは勝手に湧いてきます」w(宗教的思考ではありません。ご安心ください)
ボクは高校時代に高校が楽しくなくて、家も貧しかったので「早く高校なんてやめて就職する」って周りに言ってました。そんなときにある友人から「楽しくないなら、面白くすればいい!」って言われました。
最初は「何いってんの?」と思ったんですが、あることに気づきます。
「なんにも自分で行動していないなと」
そこから、文化祭に自ら率先して企画し、真剣に取り組んだことからボクはそのからくりに気づき、人生が一転していきます。ここも変わってない。(今でも「文化祭」というキラーワードで大人の文化祭楽しんでいますw)

人脈のリセットとスキルの積み直し

さて8年間、産業政策。市役所の中では、明らかに異常な状態です。
「そろそろ松尾を異動させないと」という組織バイアスもかかり、8年目を迎えて、当時、新しく就任した部長から「もう異動だね」と言われます。
「ついにこの日が来たか」とも思いましたが、しかし、まだまだやらなきゃいけないことやりたいこともたくさんある。

「こんなところでまちづくりは終われない」

FactorISM(https://factorism.jp/)だって立ち上げて1年目だったし、人脈も全国に広がり、スキルもついてきたと実感していた私は、毎日のように異動してもいろんな形でみせるばやおに、まちづくりに関わる方法を考えます。
でも、今まであんなにたくさんの人たちをまちづくりに引き込んでおきながら、プレイベートだけとかでまちづくりに中途半端に関わると失礼だなーと思うようになります。

ここで思い出す初心。
自分は「まちづくりがしたいんだ」と。
別に市役所やめたってまちづくりはできる!
当時、他地域でも民間人としてまちづくりに真剣に取り組んでいる方もたくさん出会ってきたし、自分も「まちづくりをする会社を立ち上げよう!」という「起業」の道を歩もうとします。
悩みながらもビジネスプランを書き上げ、お世話になった方々に御礼と報告をしようと一番最初に相談に行った先が、友安製作所。

当時、BOSS(友安啓則氏)とは、プライベートでもキャンプやBBQをするくらいの仲であれこれ事業の相談もよくしていた関係でした。
「市役所やめて起業します」って言った第一声、「やめといたほうがいい。やりたいことをやるのに10年、あなたがやりたいことが実現できるまでに20年はかかる」と言われます。(まぁまぁおっきなビジネスプラン書いてたからねw)
「起業?いいじゃん!やりなよ」って歓迎ムードかなって思ってたボクは自分のビジネスプランを必死に説明し、食い下がります。
そのやりたい内容を聞いたBOSSは「全部、ウチでやればいいじゃないか。ウチでやったほうが仲間がいるし、スピードも早い。何よりそのプラン、ワクワクするから一緒にやろう!
予想外の一言に戸惑いました。
一企業で本当にそこまでやれるのか。やっていいのか。いろんな問いが自分の中で生まれはじめ、一旦、お断りすることに。。。

しかし、冷静になってこんなにもいいオファーをくれる人がいるか、しかも一緒にまちづくりをやりたいと思っていた方から。
そんなこんなで一人で熟考し、約1ヶ月後に二人でプランを練る時間を設けた結果、友安製作所にジョインすることになったわけです。

中々取ることのないツーショット

生き方、生き様に影響を与える会社へ「HomeからLifeへ」

1年目は広報課長として、2年目はソーシャルデザイン部担当執行役員としてこんなボクでも組織で働いていますw
ホントに持つ名刺が変わったくらいでやっていることはあいも変わらず、まちづくりをしています。(もちろん売上もそこそこ上げてます)
変化という意味では、工務店事業を生かして、まちこうばのリノベーションやオープンファクトリー化をお手伝いしたり、"まちづくりにも個性(カラー)を"という想いのもと、八尾市の公共施設の部分リノベーションに取り組んだり、起業家支援の取り組みを受託したり、FactorISMのクリエイティブ監修を友安製作所のクリエイティブを活用して取り組んだりと"まちづくり事業"を立ち上げて、やれることの領域がかなり広がっています。

「ものづくりのまち」八尾と共に世界を目指す!友安製作所のまちづくり事業とは?-トモヤスタイムズ-

ボクという異分子を取り込んだ友安製作所は「Home」というくらしの分野、領域から「Life」という生きる分野、領域にまで事業領域を拡大することになります。そこで、2年目に差し掛かる時に、組織改革とビジョン変更を行いました。
ビジョンは「Add Colors to Everyone’s Home(世界中の人々のくらしを彩り豊かに)」から「Add Colors to Everyone’s life(世界中の人々の人生を彩り豊かに)」に変更しました。一文字だけではありますが、意味合いがすごく変わりました。
そして組織改革。ソーシャルデザイン部を新たに新設。まちづくりもどんとこい!ということで人々の生き方、生き様に影響を与える会社へと歩みを進めていくことになりました。

「仕事には夢を、まちづくりには愛を!」

以上、長々と書きましたが、そもそもなぜやめたのか。少しはお分かりいただけましたでしょうか?
約10年前に小さな動きからはじめたボクのまちづくりへの想いも10年経てば、こんなにもたくさんの仲間に支えられながら、たくさんの想いを紡ぎ、進化しつづけています。
私の言葉ではありませんが、私が秘書課に居てた時にめちゃくちゃ熱かった副市長の一言です。

「仕事には夢を、まちづくりには愛を!」

めっちゃ大きいことをやろうと思って活動してきたわけではないですが、目の前にいる人たちがどうしたら幸せになるか、まちがどうしたら誇りに思えるかとにかく必死でした。でも人一倍、夢を語ろう!人一倍、仕事を楽しもう!人一倍、愛を持って真剣に取り組もうとまちづくりをしてきた結果、やめることになったわけです。
ボクの野心はまだまだ止まりませんw
むしろこれからが本領発揮かもしれません。引き続き、たくさんの協力を得ながらまちづくりという果てしない冒険を続けていくつもりです。

さてさて、ここまで八尾の変態がなぜ公務員をやめたか自己紹介も兼ねて書きました。
ボクにとって「まちづくりができればそれで良かった。公務員はあくまで手段であり、生き方を楽しめるメンバーとまちづくりができることを優先した」結果、現在、友安製作所で微力ながら民間人としてまちづくりに取り組んでいます。
長々とダラダラ書きましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


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