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川を見に行き山の影で月を想像する

新潟県を流れる阿賀野川といえば、ドキュメンタリー映画好きはきっと『阿賀に生きる』や『阿賀の記憶』を連想するだろう。
東北での取材撮影があった帰り、私もその『阿賀に生きる』のイメージを抱いて阿賀野川周辺に投宿した。
映画で流れていた川を見に行きたかった。

実は、阿賀野川には中学生の頃、学年旅行で一度行ったことがある。その時はテント泊の予定が大雨で、急遽借りたらしいどこかの体育館で学年全員が寝袋を並べて寝た。その他にも初めての民泊でお世話になったりした(そうめんかぼちゃのサラダの美味しい味は未だに記憶にある)ので印象的な思い出はあるのだが、如何せん『阿賀に生きる』を観る前に行ったので、阿賀野川そのものについては、ただ大きな川という認識しかなかった。


宿に到着したのは、夕方の16時半頃。昭和電工の(あった)鹿瀬町から麒麟山を隔てたところにある、津川という町だった。

狐の嫁入りが名物という麒麟山の麓の町は、川霧でも雨でも無いのになぜか少しひんやりと湿りがあり、私は居心地の良い部屋へ通されたのにも関わらず、すぐにカメラを抱え再び外出した。夕景の川を見逃したくなかったのだった。

しかし外に出てみると、日はもうほとんど沈んでいて、辺りはかなり暗かった。
急峻な山あいを流れる川沿いの町は、太陽が山の向こうに隠れてしまうとあっという間に暗くなる。それでも宿場町の街道筋には、自転車屋さんの閉じたシャッターの横にある小さな窓の換気扇が回っていたり、民家の閉じられたカーテンの先に蛍光灯の明かりがあったり、車が頻繁に通る道端の側溝の上では、二人の高校生が密やかに話している姿がヘッドライトに浮かび上がったりした。

私は麒麟山へ向かった。
麒麟山と比べると夜空は明るくて、空よりもうんと暗くなっている山からしんしんと迫る暗闇はその湿度と相まって、人知の及ばぬ世界から流れてくるおこぼれのような気がした。

月はまだ出ていなかった。

津川の夕暮れ

『阿賀に生きる』監督の佐藤真は、著書の『日常という名の鏡』で、

昭和電工の城下町、鹿瀬町の夜のたたずまいや長谷川さん宅を闇の中に浮かび上がらせようと、私たちは疑似夜景の撮影(晴天の日にキャメラの絞りを極端に絞って、月明かりのように見せる撮影)をさかんに試みた。

佐藤真『日常という名の鏡』凱風社 1997年

と、月光下で撮ったかのような映像を撮ろうとしていたと書いている。

劇映画にも、夜を表現する「月光」という照明技法がある。
#B3(202)などのフィルターを使って青白い明りを作り、それを窓の縁等を狙って照らし薄っすらと月の光に見立てるというものだが、主に関東平野や京都盆地で暮らしていた私は強い月光とは無縁で、この照明を見るたび、そんなに月光は明るいかなあ、と不思議に思っていた。

カンカン照りの真昼間を最大絞りで撮った映像は、その劇映画の「月光」に少し似ている。

阿賀野川沿いに何年も住んでいた佐藤監督は、真っ暗な山と川面が、月明かりで表情を変えるであろう様をきっと見ていたと思う。その人が試行錯誤して撮ろうとしたデイの最大絞り映像を想起しつつ、私はそのままどこまでも底なしに行けてしまいそうな黄昏の黒い山容を前に、逆説的に阿賀の月光の明るさを想像しようとした。

学生時代、古典の授業で読んだ『雨月物語』には「青頭巾」という話が収録されていて、

夜更て月の夜にあらたまりぬ。影玲瓏としていたらぬ隈もなし。

上田秋成『雨月物語』古典選集本文データベース 国文学研究資料館

という一節があった。

夜、煌々たる月が顔を出す。「影」とは月光を意味するらしく、月光が全てを照らし、その光が届かないところはないほどだ、とのこと。

月光、そんなに明るいか?、と考えてしまいつつも、山の破れ寺で過ごしていた夜中に雲が晴れて月光が降り注いだら、やはりそのくらい明るく感じるのだろう、となぜか納得感もあって、未だに印象深く覚えている。

きっと月光の下ではかなり多くのものが見えたのであろう。
佐藤監督が目論んだように、日光の下では見えないものも、もしかすると月光では見えたかもしれない。

一般に狐の嫁入りといえば昼間の天気雨を連想するが、ここ津川での狐の嫁入りは夕方から始まり、夜、狐に扮した新婚二人が麒麟山の深い暗闇へと消えていき、祭りが終わるという。

真っ暗な麒麟山を前にそれ以上進めなくなった私は、見えなくなった川面の音を聞いただけで、また街道を歩いて宿に帰った。
さっきいた高校生たちの姿はもうなかった。


江月照松風吹  永夜清宵何所為

上田秋成『雨月物語』古典選集本文データベース 国文学研究資料館