八島 輝京

1993年生まれ。ドキュメンタリー映画監督/映像作家。

八島 輝京

1993年生まれ。ドキュメンタリー映画監督/映像作家。

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渋谷ハロウィーンの可能性

渋谷ハロウィーンが好きだ。 「迷惑だ」「騒ぎすぎ」「意味が分からない」「近頃の若者は…」という声が上がれば上がるほど、この祭りの本質がむき出しになるようで、嬉しくなってくる。 第一に、無目的なところが好きだ。渋谷に集まったところで、イベントが開催されている訳でも、ステージがある訳でもない。ハロウィーンという本邦に於いては馴染みが薄いイベントが色々と複雑に変換され、結果的に誰にも意味が分からない状態が広がっている。しかし、みなワイワイ集まってくる。 第二に、主催者がいない

    • 字幕を入れる②

      実際に字幕を入れる作業を進めていくと、聞こえた音を字幕にしたくとも、上手くいかない部分が出てくるものだ。例えば、話し言葉の宿命ともいえる言葉の省略。話されたものをそのまま書き起こしてみると、話し言葉として何もおかしくないのに、省略のおかげで文章としては成立しないことが、意外に多い。 『阿賀に生きる』の予告編では、それにまつわる興味深い演出がなされている。 予告編の冒頭7秒に注目していただきたい。雨降りの稲刈りで、長谷川さんが「お前さんたちも(雨の撮影で)ご大儀だー」と呟く

      • 字幕を入れる①

        協議の末、次回作には全編に亘って字幕を入れることになった。いま文字入れ作業の最中だ。 字幕入れをするため、話し言葉を書き言葉にする際には、どうしても暴力的ともいえる捻じ曲げをせねばならない。本当にこの人は「と言って」と言っているのか。「ち言って」ではないのか。「と言って」なのか「と言って」なのか。声を聴くだけなら、何と言っているか決める必要は全くないが、字幕化するならどれかに決めねばならぬ。 編集で使うだけの文字起こしと違い、字幕は映画の一部として外に出る。そしてひとつの正

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        渋谷ハロウィーンの可能性

          最北の映画館で映画を観る

          以前、日本最北の映画館はどこだろうとふと思って、調べたことがある。するとその名も「最北シネマ」という映画館がヒットした。北海道の稚内にあるらしい。 殊更にこだわる必要もないと思いつつ、それでも最北の映画館という響きはどうも気になって、いつか行きたいなと思っていたところ、9月に北海道でロケがあったので、その撮休で行ってみることにした。 美瑛を出て、旭川、士別、名寄、美深、音威子府、中頓別、浜頓別、猿払。 「北海道の広さをナメるなよ」とは聞いていたが、確かに広大で、行けども

          最北の映画館で映画を観る

          『映像のポエジア』の記憶

          大学4回生次、卒業制作を編集中に煮詰まっては佐藤真監督の『日常という名の鏡』を延々と読んでいたのだが、その中に映画『阿賀に生きる』の編集中、佐藤監督が読んでいた本の話が出てくる。 ドキュメンタリー映画の編集で、毎回猛烈に困るのは映像の並べ方だ。 並べ方とはすなわち映画にとって一番大事なストーリーそのものなのだが、PCに素材を読み込み、一回プレビューをした時点では、私にはまだ何も見えていない事が殆どなので、一から地道にこねくり回していくしかない。 今になってやっと、編集はどう

          『映像のポエジア』の記憶

          トルコ・ガズィアンテップの記憶

          トルコの南部、ガズィアンテップ(Gaziantep)近郊で現地時間6日未明に巨大地震が発生し、今も多くの方が行方不明になっている。被害はトルコだけでなくシリアにも及んでいて、一人でも多くの人が無事であるよう、心から祈るばかりだ。 ただ祈るしかない。 少しでも早い救援があって一人でも多く無事であってほしい。今すぐに私にできることは、赤十字や国境なき医師団などに精いっぱいの義捐金を託すことと、祈ることだ。 私は以前この街に滞在して、せっけん工場と職人さんたちを取材していたこと

          トルコ・ガズィアンテップの記憶

          川を見に行き山の影で月を想像する

          新潟県を流れる阿賀野川といえば、ドキュメンタリー映画好きはきっと『阿賀に生きる』や『阿賀の記憶』を連想するだろう。 東北での取材撮影があった帰り、私もその『阿賀に生きる』のイメージを抱いて阿賀野川周辺に投宿した。 映画で流れていた川を見に行きたかった。 実は、阿賀野川には中学生の頃、学年旅行で一度行ったことがある。その時はテント泊の予定が大雨で、急遽借りたらしいどこかの体育館で学年全員が寝袋を並べて寝た。その他にも初めての民泊でお世話になったりした(そうめんかぼちゃのサラダ

          川を見に行き山の影で月を想像する

          夜中の料金所の断片的記憶

          昼間のセミの声とはまた違った、色々な生き物の声が聞こえてくるところに、蛍光灯の薄緑色の光を放ちながら、料金所は建っていた。 学生時代、一年間だけ沖縄県の名護市辺野古に住んでいた。本当に本当に、色々な人にお世話になりながらなんとか暮らしていた。 ある方からは、車も貸してもらっていた。 これまで、撮影でハイエースをひと月借りたりとかはあったが、こうしてほぼ自分の車として自動車を持つ経験は初めてで、本当にありがたいと思うと同時にとても嬉しかった。 「れ」とか「わ」といったレンタ

          夜中の料金所の断片的記憶

          岬のこと

          岬が好きで、出先で近くに岬があると、なぜかフラフラと行ってしまう。 その理由に最近気づいたのだけど、それはたぶん、限界を手軽に見れるからなのだと思う。 高校時代は、部活中に時々限界が見えた。試合で圧倒的に強い奴と当たったときとか、練習で吐いて倒れたときとか。 ところが、大人になると、圧倒的な限界、というのには、こちらが意図しなければなかなか出会わない。もちろん無い事はない。己の未熟さや不運を呪うことで、日々限界をなるべく見ないようにしている、認めないようにしている、とい

          クラクションを鳴らすことから

          海外旅行をしていると、沢山のクラクションが鳴っていることに気が付くタイミングがふと訪れる。次いで、その国に本当に来た、という震えが身をつらぬく。 海外でタクシーに乗ると、左手でハンドルを握って、右手をクラクションに添えている運転士さんをよく見る。即座に鳴らせるようにしているそうだ。 翻って日本はクラクションが少ない。過少と言っても良いほどである。 法律で定められているとはいえ、違反にならないであろう場面でさえもギリギリまでプッと鳴らさない人が多い、というのは私の印象だけで

          クラクションを鳴らすことから

          分からないことを書くこと

          noteを始めてみて知ったのは、何かを書くには、思っていたよりも深呼吸と気合が必要ということだった。 形にならないヤワヤワ話を書く勇気が、私にはなかった。 ヤワヤワな文章は、日の下に晒すためにはもう少し削ったり加筆したりしないとだめだなあと思ってしまって下書き保存している。公開することを前提に書き始めたのに、書いてるうちにだんだん不安になってきてしかし消すこともできずにいるそれらヤワヤワ下書きは、今もnoteのサーバーのどこか片隅に重なって二酸化炭素を排出している。 n

          分からないことを書くこと

          映画部の思い出断片①と、何か

          学生時代、映画部に所属していた。 木屑とペンキの匂いのする学生会館にBOX(部室)があり、諸先輩が貯めこみ続けた本と小道具や撮影機材の隙間に、時間を持て余した人が何となく集まっている。すえた匂いを放つゴミ箱の横のソファでぼんやりと本を読んでいる部員。あちらでは脚本を一生懸命書いている者がいる。隣ではベソをかきつつ課題に取り組む単位僅少党。悟り組は長椅子で静かに昼寝をしている。大きな目玉をして奇声を発しつつゲームに打ち込んでいる一派もいた。 脚本を書いてきた者がたいていは監督も

          映画部の思い出断片①と、何か

          目的地と俯瞰

          小さいころ、友人と「探検」に出ることがあった。 小学校の学期末などで昼前に解散となるとき、友人宅に一回集合、そこから出発し、まったく知らない方角へとむやみに歩く。 リュックにお煎餅や水筒、レインコートと懐中電灯、その他シュノーケルとかを色々詰め込み、首からはパチンコ(石とかをゴムで引っ張ってビシッと撃ち、的をぶっ飛ばすやつだ)をネックレスのようにぶら下げて、手ごろな木の棒を握って歩き出す。 小学生の僕らが知っている世界の範囲は今よりももう少しだけ狭くて、当時は携帯もスマ

          目的地と俯瞰

          『の あわい の』を観た

          『の あわい の』 出演:齋藤陽道 盛山麻奈美 インタビュー:今村彩子 撮影・編集:岡本和樹 冒頭、ピントの甘い映像に白飛びと適正露出が繰り返される。これ自体は撮影前や撮影中に繰り返す動作で、撮影する人にとっては見慣れたファインダー内の風景ではあるが、作品にするときには大抵カットするいわゆる”バリ”の部分だ。しかも、これは重要な重要な冒頭ド頭である。 15秒のweb広告でも2時間の長編でも、私は冒頭のショットはめちゃくちゃ大事だと思っているので、毎回編集をするたびに

          『の あわい の』を観た