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【スタンダードカクテルとクラシックカクテルの違いとは】

日本で学んだバーテンダーの大半が「スタンダードカクテル」を勉強してきている。
ジンフィズ、マティーニ、マンハッタン、ホワイトレディ、サイドカー...基本のカクテルを最低でも300種程度はレシピを記憶して、瞬時に作れるようにならなければいけない。少なくとも自分がカクテルの勉強を始めた2002年の頃はそうだった。ただ単にレシピを覚えるだけではなく、一つ一つのカクテルの歴史、比率の変遷、背景をきちんと学んだ上で、ようやく「レシピを習得した」という状態になる。

ただ、いつの頃からか、この「スタンダードカクテル」という言葉に違和感を覚えるようになってきた。2010年前後から「クラシックカクテル」という言葉が使われるようになったからだ。

「クラシックカクテル」という言葉は、2002年に日本語訳が発売されていたサヴォイ・カクテルブックの序文にも出てくるため、どんな日本人バーテンダーも目にしていたのに、お客様からもバーテンダーからも「クラシックカクテル」という言葉を聞いたことはほとんどなかった。

実際Googleの検索に「"クラシックカクテル" before:2005-12-31」などと入力して年代ごとにどれくらいの検索結果が出るかを確かめてみると、やはり2010年のドリンクプラネットやアサヒビールの記事あたりからようやくネット上に「クラシックカクテル」という記事が使われるようになっているのがわかる。(古いページに新しい加筆されたものも出るので注意) 2022年末の時点で「スタンダードカクテル」の検索結果数は約12000ページに対して、「クラシックカクテル」の検索結果は約6000ページ弱。2倍もの差があるのがわかる。ちなみに英語での「"Standard Cocktail"」の検索では、The Standard / cocktail bookというように、一文ではなく、改行や別の単語としての並びのものか、IBAのカクテルリストの注釈に出てくるくらいだ。

それだけではなく、海外のバーテンダーたちと会話をしている時にも「スタンダードカクテル」と言うと「?」というリアクションをされ話が止まることも多々あり、そこでも何かがおかしい、と引っかかっていた。
先日になって初めてこの話題をイギリス人カクテルライターの方と話したところ、やはり彼からも「確かに日本人しか使ってないよね」と言われてしまった。「Standardって言葉はネガティブな意味を持つから、あんまりいい表現じゃないよね」とのこと。

では、なぜ日本人だけが「スタンダードカクテル」と言う言葉を使い続けるのだろうか?心当たりは一点。1936年に刊行された「大日本基準コクテール・ブック」正式名称「STANDARD COCKTAIL BOOK」の存在だ。カクテル歴史家の石倉一雄さんの記事によると、

「昭和6(1931)年頃新橋「ロリート」でバーテンダーとして勤務していた村井洋がテーブルの上に出したメニュー表代わりの「カクテルエピソード」に端を発していた。それを集成、加筆して日本バーテンダー協会機関誌「DRINKS」昭和7(1932)年7月号から昭和9(1934)年10月号まで「基準コクテールの研究」と題して掲載し、その後さらに1年をかけて加筆を重ねた末に、ようやく書籍として出版されたものであった。(https://www.foodwatch.jp/iskr020 FWJ 「幻の『大日本基準コクテール・ブック』」より)」

とある。
1930年初頭に海外からのレシピを得て、それをメニューにしていたバーテンダーさんが、協会の会報誌に掲載して、それを出版したもの。つまり、1920年代以前のカクテルをまとめたものが日本における「スタンダードカクテル」の正体だったということだ。
1980年代からDale DeGroffによって始まるクラフトカクテルムーブメント a.k.a カクテルルネッサンスにより1920年代以前に楽しまれていた「クラシックカクテル」が発掘され、Sasha PetraskeがAngel's Shareに客として通い、「日本人バーテンダーが一番クラシックカクテルを知り尽くしている」と衝撃を受けてMilk & Honeyを立ち上げて世界に広まった「クラシックカクテル」のワード。回り回って日本にたどり着くのは2010年代で、当時の私たちにとって新しい言葉だったけれども、その実、日本人にとっての「スタンダードカクテル」は、海外の最先端の流行の「クラシックカクテル」をそのカクテルたちがまだ「クラシック(古典)」ではなく「コンテンポラリー(現代的)」だった1930年代にタイムカプセルに入れてガラパゴスで育んでいた同一のものだったのだ。
もちろんその一部は誤訳や流行り廃りで失われていき、サゼラック、ネグローニ、ラストワードなどのカクテルは2010年代に入るまで、一部の知識豊富なバーテンダーがいる店以外ではほとんど注文が見られない状態だった。逆に海外のバーではホワイトレディを名前すら知らない人が多いくらいなので、よく日本のお客様が海外に行って「あそこ有名なバーなのにホワイトレディも作れなかったよ!やっぱり海外はレベル低いね」という声もよく聞くことがあった。それはレベルの高低ではなく、ベースにしている教科書の違いなだけなのだけど、それもこういった歴史的経緯をたどらなければ理解するのは難しいのかもしれない。

こんな風に、日本のバーテンディングは言語と文化の壁によりガラパゴス化しており、自分たちの特異性を正確に認識できないでいることが多いと感じている。

日本のバーの歴史の中で1980年代から2000年代にかけて起きた事柄は意外に文章化された記録が残っておらず、Punchの記事で日本生まれのカクテルとしてジンソニックの歴史を調べた際に、1980年代に生まれたであろう歴史の浅いカクテルなのに、もう既に発祥の経緯が不明瞭な状態となっていることがわかった。

これは本当に歴史的に大きい損失であるため、生き字引である先輩バーテンダーのみなさんが存命のうちに、できる限り多くお話を聞き、記録としてまとめていきたいと思ったので、noteを始めてみるに至った。
できれば英語でも記事をまとめて、海外のバーテンダーのみなさんにも読んでもらいたいので、がんばってみます。

追記 : 念のためだが、これは「スタンダードカクテル」という言葉はおかしいから使うのやめよう、という趣旨ではなく、私たちが普段から何気なく使っている言葉や概念がどこからきてどう受け入れられているか、という文化的な違いについて述べるものであることを留意されたい。
むしろ胸を張って「日本のバー文化はこうやって育ってきたんだよ」と説明できるようになりたいと思っている。
ただ、海外からのゲストの注文を受けるときに「スタンダードカクテルがいい?それともミクソロジーカクテル*?」みたいな聞き方はやめた方がよいかもしれない。
*「ミクソロジーカクテル」 これも海外では使われていないのに、日本とそこから影響を受けたアジア圏だけで使われている言葉


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