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ブルガリアで僕が感じたこと


飛行機にて

文章は「2023/09/06(水)」に飛行機の中で書いていた。ブルガリアの親友宅をスーツケースとともにあとにして、ソフィア市内のロッカーサービスを利用して、二人で街をお散歩し、夕方にイタリアのナポリ行きのフライトの時間に合わせて空港に向かった日だった。約一週間前に到着したソフィア国際空港の景色はつい2日前くらいに思えた。※画像のバラ(香水の原料)はブルガリアの名産品。

みんな同じ人間

ブルガリアで、自分は一体何を感じたんだろう。まず、世界中、場所は違えど同じ人間が同じように毎日を送っているという事実を噛み締めた。どこの国に行ったって、コーヒーを飲みながらくつろいでいる人、友達と道のベンチに座ってお喋りしている人、犬の散歩をしている人、お店の前でタバコ休憩をしている人…。そんなに「人間としてやっていること」の内容は変わらない。でも、彼らの常識は全然違うんだろうなということは確実に言える。

井の中の蛙

この社会の中では、この「狭い箱」の中から出ないまま人生を終える人も多いんだろうなぁと感じた。同じことが日本でも言えると思う。日本人だらけの学校で育って、日本語だけを使って、日本社会で仕事をして、人生を終えていく。ブルガリアでもそのパターンはあり得ると思う。ただ、イヴォ(高校時代からの仲良し。名前はイヴァイロだけど、ニックネームがイヴォ)みたいな人は、国のどうにもならない現状を見かねてより良い居場所を求めて留学したり移住したりしていく。日本では、「こんな酷い国は嫌だから引っ越したい」と考えている人はそんなに多くないんじゃないだろうか。だから、いかに自分の生まれ落ちた社会が恵まれているのかについて再認識できた。

貧困

日本に比べると、ブルガリアには貧しそうな人がとても多いし、綺麗な車に乗っている人も少ない。オーナーが何回も変わったような西ヨーロッパの車メーカーの車を乗っている人が目立った。時が止まっているようだった。1990年代のモデルが次々と目の前を通り過ぎていった。車がすきな自分からすると、「素敵なクラッシックカー」なのに、手入れは全くされていなくて、薄汚れていたり、錆びていたりする。彼らからすると、ただ安いから使っている道具に過ぎないんだろうなぁと感じた。

第一世界とそれ以外

人の住む家を見ていても、歴史があるというよりは、失礼だけど「見た目が汚い家」が多かったように思う。それも、経済的に「第一世界」ではないブルガリアならではの景色だったのかも知れない。

【第一世界(だいいちせかい)】
3つの世界モデルにおいて、民主的であり、高い技術水準を持ち、そして市民の生活水準が高い国々のことを指す語。冷戦期に西側の国々を指した語。西欧諸国・米国・日本など。(→第二世界 →第三世界)

日本、特に歴史の浅い札幌では、最近できたような建物ばかりだから、余計にそこ(街の古い部分)が目についたのかも知れない。もちろん、見た目が古くても中がリノベーションされていて暮らしやすくなっているパターンもあるのだろうが、そうじゃないケースも多そうだと感じた。

人にお世話になる

そして、一年前の自分よりも、人の家でお世話になることに対しての罪悪感とか申し訳ない気持ちが少なくなったと思う。前(アメリカで留学していた最後の2ヶ月の旅行期間)はメンタル的に限界だったから、友達の家にお邪魔させてもらっても、何をしても「自分が悪い」という方向性で物事を考えてしまいがちだった。でも、今回は泊めさせていただいていることに最大限感謝しながらも、リラックスして楽しむことが出来ている感覚が強い。

今回の旅行での心持ちとして、泊めてもらっているときに、自分の友達と友達の家族としても「わざわざ自分(その友達)のためにその国まで来て、何日間かを過ごしてくれる友達」の存在(向こうからみた笠井康弘)は決してマイナスじゃない。(横柄な書き方になってしまったけれど、伝わるはず)むしろ、そんな友達(笠井康弘)がいることをありがたい・嬉しいと思ってくれているはずだ。こんな風に考えられるようになった。

特にイヴォの家族はあまりブルガリアから出たことがなくて、日本人の若い世代と面と向かってゆっくり話す機会なんてあんまりないとイヴォが言っていた。それに、息子であるIvoの仲良しの笠井康弘と話してみることもすごく楽しみにしてくれていたらしい。とってもありがたい。

あらためて感謝

こんな高飛車なことばかり書いてしまったが、本当にありがたいことだ。イヴォと彼の家族には感謝しかない。いくら仲の良い友達とは言っても、至れり尽くせりの対応をしてもらった。僕がイヴォと「こんなブルガリア料理食べてみたい」なんて話していたメニューをもとに料理を振る舞ってくれたお母さん、優しすぎる。日本酒とちょっとした食べ物とお菓子くらいしかお土産は持っていけなかったから、ちょっと申し訳ない気持ちもあるけど、こんな風に考える必要はないと思う。なぜなら、泊めさせてあげている立場からしても、申し訳無さそうに萎縮されるよりは、のびのびしてくれた方が良いと思うからだ。だから、ここは割り切る。ありがとうございます!!!

イヴォのお母さんはありがたいことに英語を話す人だったので、コミュニケーションが出来た。(もちろんイヴォのブルガリア語での通訳も時折挟む)でも、彼のお父さんと僕の間には共通言語がなかった。だから、コミュニケーションは非常に難しかった。でも、ビールを一緒に飲まないか?とか、車を運転しながら「元タクシードライバーとしてのテクニック」を見せてくれたりとか、すごく僕に歩み寄る姿勢を取ってくれた。ありがたい。

そして、なによりイヴォの通訳のおかげで共産主義時代のことについても、最近のブルガリア国内の政治問題のことについても話せた。こんな話を生で聞かせてもらえる人間はそう多くない。とてもありがたい。だからこそ、こうして価値ある経験を文章の形で残しておきたい。

持続可能なペース

今回は「持続可能なペースで楽しまないと元も子もない」というメンタリティで旅行が出来ている。長期間の旅行で体調を壊して何も動けなくなってしまっては、一番虚しいし、自分が歯痒い思いをすることになると思う。だから、キーワードは「疲れたら立ち止まって休憩する」。自分の心の声を無視しない。情報量が多くて圧倒されたなと感じたら、一旦公園で昼寝でもして、休憩の余地を自分に与えてあげる。

イヴォとの会話から。追加

飛行機で思い浮かんだことしか載せて無いけど、Враня стена(ブリャナステナ)での話もあとで時間を見つけて追加しようかな笑

ほんとにブリャナステナのまったりしてる部分が大好きだった。小さいコミュニティの素敵な側面が見えた。あと、イヴォのお母さんの家庭菜園が印象的だった。あれだけの土地でドビ(わんこ)と散歩も出来て、豊かだなって感じた。あと、人が競争精神に狂ってないのが素敵。特にカフェとか雑貨店みたいな個人事業主の人たち、あと公園でのんびりしてる人の姿が印象的だったかな〜。競わない感じは、共産主義時代の名残りなのかなとかも思う。

でも、まあ社会としてすごく小さい世界で完結してて世界と断絶してる感覚も僅かながらあったな。そこは俺もあんまり好きじゃなかった部分。イヴォと同感。

でも、ブルガリアでの時間はすごい楽しかった、イヴォの解説付きでたくさん歩いて、人間観察して、イヴォとよく喋り、イヴォの大切な仲間たちにも会えて、本当に良かった!

さいごに

現在は、このnoteをドイツのベルリンで編集しています。10月になりました。9月の日記を最初から軽く見返していたら、この文章を見つけました。だから、忘れないうちに軽く編集して投稿しておこうと思いました。これから先、時間を見つけてイタリア編、ポーランド編、ドイツ編…とどんどん更新していくつもりです、お楽しみに◎

最後まで読んでくださってありがとうございます!また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋


僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。