見出し画像

読書会のメモ「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ BookⅡ」 第6回

昨年(2022年)12月に出版された国重浩一さんの「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ BookⅡ」。
毎月1回1章ずつを目安に進めていく仲間内での読書会のふりかえりと備忘メモとして残していく。
第6回の今回は、「第5章 外在化の実践例」について、2023年6月4日(日)に実施。

第5回「吃音とナラティヴ・アプローチ」⇦     ⇨第7回「第6章」


1.事前に感じたことなど

今回の読書会を担当することになったため、準備として事前に少しだけ目を通した。

1) 準備のために読んだ時のメモより(2023/05/14) 
・「責任」という概念について考えさせられた
 「人が問題なのではなく、問題が問題なのである」
 問題は関係の中から生じるもの

 私たちは「責任」という名称で個人を責める。成功には「責任」が生じないのに、失敗には「責任」が生じるのはどうしてだろう?
 責任とは何か?そのものごとを成し遂げることに責任を負うとするならば、ペナルティは誰のためにもならないのでは?

・小さな「例外」を取り上げて、大きな意味を持たせている
 この事例では、6歳児のニックがプーに抗いたいと思っていることを引き出せた。この時、ニックの中で何が起こっていたのだろうか?と想いが巡った。しかし、考えること自体が、自分が理解できる土俵に持ち込んで、理解したつもりになることを望んでいることかもしれない
 また、スー(母親)が「ステレオをつけたこと」を拾える感覚がすごい、と感じた。見落としそうな何気ない小さな行動を、スキーニー・プーによってみじめさのどん底に追い詰められたことへの抵抗としてフォーカスしている。真似ようと思ってもできないだろうな。

2) ナラティヴ的なアプローチの帰結するところ
癌、うつ、吃音症・・・なくしたり拒絶するのではなく、そのままを受け容れてうまく付き合おうと意識の転換ができるとうまく回り出す。そのためのプロセスを示してくれているように感じる。

2.読書会の中で印象に残った言葉たち

1) 前半
第1ー4節の内容のうち、各自が「このテーマについて話をしたい」と思う内容を付箋(Googleスライド)に書き出して、時間を決めて順番に取り扱うスタイルで進めた。

・外在化の考え方は、日本人が生きる知恵として持っているものと通じるように感じる。 
 例)「痛いの痛いの飛んでいけ!」「(禊で)穢れが清められる」
・日常的にも外在化はいろいろと使われている
 例)ファシリテーションで問題を付箋に書いて貼り出すのは、人と問題を切り離すため
・「問題解決を無意識にでも想定してしまうと、問題をうまく解決できるような影響力を持つものとしてみなしてしまいます。(中略) 問題解決をするのに十分な影響力を持っていることは想定できないのです(p89) 無意識の習慣として、問題があれば解決を想定してしまうことをどうしればいいんだろう?
・「やる」と自ら言ったことを、子供はまっすぐにやるけど、大人はなかなかできない。
「やる」といったからやるのではなく、それが楽しいからそうしたいなど動機が生じているのかもしれない。
「ニックがプーと仲良くなっていた」(p91)・・・やりたくておもらししてた可能性があるかも
でも、家族への影響を見ると、それはイヤだな、が芽生えてきた!?
・「人が問題ではない」=人に問題を押し付けないことだが、無意識のうちに習慣的にやっている。
・人に問題を押し付ける=プー(ウンチ)と遊んでいるのと同じなのかもしれない

2) 後半
第5節「黒い犬」で紹介されている動画を視聴して、フリーダイアログの形式で進めた。

・渦中にいる人の話ではなく、専門家の支援を得ての後日談としての再著述
・専門家の支援を受けても一気に解決するのではなく、徐々になくなる・気にならなくなるための共存機関がある
・習慣化している、中毒化して悪循環に陥っている状態からの脱却の物語
・私たちは、無意識のうちに習慣化していろいろな局面でプー(ウンチ)と遊んでいるのかもしれない。一定の閾値を超えると「問題」として扱われるが、「問題」になる手前の段階のものは、わたしたちの生活の中にまん延しているようだ。
・その中道化した習慣によって貴重な「時間を溶かす」行為を繰り返していることが多い

3) その他全般的に
・外在化にあたり、どの部分を取り出してネーミングすればいいのか
これは、難しいテーマ。取り出す部分によっては、外在化したものが強く固まってしまい次の新たな問題を起こしてしまうことがある。そのため、外在化したものを固定化するのではなく、仮ラベル程度にとどめておき、常にいろいろなものを外在化し続けていくことで、少しずつじわじわ進めていく形になっているのかもしれない。
・スキーニ-・プーはマイケル・ホワイトの有名な事例で、マイケルは天才肌なので、なかなか同じようにはできない。多くの場合、一発でうまくいくことは稀で、試行錯誤しながら進めていく面が強いように思う

3.読書会を終えての所感

この外在化を、治療やセラピーの場面だけでなく、日常に活かすにはどうしたらいいのだろうか?
日常の習慣化した無自覚なパターンに意識を向けて自覚化し、意識的に切り替えていくことを繰り返しながら、徐々にパターンを変えていくことになるのだろうか?

スキーニー・プーの事例では、ニックはプーと仲良くする習慣的な行動と、その影響によって家族が疲弊することを避けたい想いの綱引きが起きて、徐々に改善していく流れが生まれたように感じた。学習する組織の「エモーショナル・テンション」と「クリエイティブ・テンション」(ロバート・フリッツ)の相克が思い浮かんだ。

一方で、「黒い犬」の動画では、黒い犬(うつ)の捉え方や受け止め方の変化によって、徐々に影響が小さくなっていくケースのように思えた。「うつ」という人生の大きな壁は、自らの変容をもたらす効果を生み出した。だからこそ「黒い犬に感謝しているとはいわないが、すごい先生になっている。自分の人生を再評価し、シンプルにすることを強要された。
私は問題から逃げるよりも、問題を受け入れる方が良いことを学んだ」という言葉につながったのだと思う。

両方ともに外在化の事例だが、問題が問題でなくなるプロセスが異なるようだ。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました\(^^)/ もしよろければシェア、感想などを教えていただけたら嬉しいです。 またぜひ読みにきてくださいね!