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読書会のメモ「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ BookⅡ」 第4回

昨年(2022年)12月に出版された国重浩一さんの「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ BookⅡ」。
毎月1回1章ずつを目安に進めていく仲間内での読書会のふりかえりと備忘メモとして残していく。
今回は2023年4月2日(日)に取り組んだ「第4章 カウンセリングの会話」について。

第3回「第3章」⇦     ⇨第5回「吃音とナラティヴ・アプローチ」


意図したわけではないが、今回は比較的「節」ごとのテーマに沿った話の展開になったように感じた。
①そのテーマについて出てきた話題の中から印象に残った言葉やフレーズと、②著者がお伝えされたかったことをできる限り把握したいと思い、自分なりに要点を整理しながらまとめてみた節ごとの要約を、備忘的に残しておきたい。

■第1節 カウンセリングの会話とは

◆印象に残った言葉やフレーズ

・考えがまとまってから話す、結論から話すという社会的なディスコースがある。
・1on1では、とりとめもないことを話をするためのネタを探しているような違和感がある
・まとまる前に話し出しても、口を開くと、それらしいことを話せてしまう。これは何なのだろうか?

・悩みごとを話して、解決していくという大前提があるように感じる。その中の選択肢として、とりとめもない話をしてもいいということなのかな。

・頭の中では、あれこれずっと考え続けている。言ってみて初めて「私はこんなことを考えていたんだな」ということもあるけど、そもそもさらけ出す怖さというか、言葉にする勇気がいるため、頭の中で考えて終わりのこともある。
・一方で、グーリシャンの言うように、考えているだけでは固まってこない。
聴き手としてのリフレクションを、まとまらないまま言葉に出すのはリスクがあるようにも感じる。

・話し手が自分の話の聴き手になるということは、ここでは話しながらが聴くことを指しているようだが、聴き手から語った言葉で返してもらって再度聴くことによる気づきもある。

・「その人の想いや考えに秩序を与え」(p67) → 堂々巡りの頭の中が整理される

◆事後の要約

カウンセリングの会話では
相手に、理路整然とした話、はっきりとした主訴、明確な原因や目標を求めるのではない。
とりとめのない話、行き先のない、 結論のない話、確信のない話をしてもいい。

人にわかるように説明するというプロセスは、多くの人にとって自分の考えや思いを整理していくことにつながる。

カウンセリングでの会話そのものが、その人の思いや考えに秩序を与え、その人にとっても目に見えるような形にしてくれる。
自分が表現していくことによって、相手に受け取られ、そしてその言葉を自らも聞いていく。 その表現をした者として、自分を見る機会になる。
<話し手>が、自身の話を<聴き手>として聞くというプロセスが存在する。

トム・アンデルセンは「考えていることを見つけるためには、話し続けなければならない」(ハリー・グーリシャン)を引用して、「表現が先で、それから意味が生じる」と著者は述べている。
またオープンダイアローグのセイックラ& アーンキルは、ほぼ同じことを「思考は話すプロセスの中で形作られていく。考えを声に出して言うことで初めて思考としてまとまるのである」と表現している。

■第2節 無知の姿勢

◆印象に残った言葉やフレーズ

○「自らを中心化せずに影響するというカウンセラー側の実践」
・クライアントが言った表現ではない言葉を、カウンセラーが使っていいのか?
・カウンセラーが感じたことを言っていいのだろうか、混乱させてはいけないと思ってしまう。
・クライアントが答えを持っていると理解されがちだけど、「双方の関わりの中から何かが生成される」ことを伝えたいんだろうね。

○専門性を持つ人と専門家は、同じではない
・傾聴ボランティア(素人)とカウンセラー(専門家)の違いはどこにあるのか?
・クライアントにとっては、ボランティアのカウンセラーも変わらない。
・専門性を持って取り組むことは必要。

・行政の仕事は、資格の有無で判断されるが、資格というラベルを持つ専門家が、専門性を持つとは限らない。
・専門性はグラデーション的なので、追求すると限りがない。
・資格化されていない中で名乗るということは、その名前を背負う覚悟が必要で、そこから学び続ける必要を感じることが生まれる。
・自分事としてクリティカルに考え続けることが大事。

◆事後の要約

結論まで整った話をして他の視点が入る余地がない時は、共感的な姿勢で迫っていくだけでは不十分。その人の語りが同じところを堂々巡りしないように働きかける。行きつ戻りつ、時には、遠回りをするような話をすることが重要。
「わかっているけど、できない」ことに苦しんでいるので、そこにも付き合う必要があるということ。

「『無知の姿勢』で質問するという専門性を発揮する」マクナミー&ガーゲン

「クライエントこそ専門家である」という表現には少し注意が必要。
「自らを中心化せずに影響するというカウンセラー側の実践が見えない」(パレ)
どちらかが答えを知っているという視点ではたぶん不十分で、双方の関わりの中から何かが生成されるということに焦点を当てることが大切。

■第3節 物事の<程度>は言葉では伝わらない

◆印象に残った言葉やフレーズ

○思考を直接やり取りするコミュニケーションについて
思考だけで本当にコミュニケートできるのだろうか?言葉をイメージして思考しているのだろうか?
思考そのものが自己内の対話なのかもしれない。

○言語コミュニケーションの怖さ
動物占いや血液型占いなど、言った瞬間にレッテルを張られる怖さはある。言語コミュニケーションの怖さ。
言葉にすることの怖さはある。分かろうとしてくれる人がいることはとても大事だと思う。

◆事後の要約

映画『エンダーのゲーム』の思考を直接やり取りするエイリアンは、音声媒体のコミュニケーション言語しか持たない種を高等生物とみなすことができなかった。
音声コミュニケーションで、<聴き手>と<話し手>の間に齟齬が生じるのは事実。
「苦しい」「好きだ」「悲しい」など、私たちの言葉は<程度>を正確に伝えてくれない。
話し手も控えめに表現することも、少し大げさに表現することもある。
量的研究が好まれるが、「症状」「思い」「反応」の程度は、スケーリング・クエスチョンでは正確に反映できない。

■第4節 言葉の意味

◆印象に残った言葉やフレーズ

・オープン・ダイアローグでは投薬なしで治ると思う人がいる。ナラティヴ、認知行動療法・・・合う人・合わない人がいる。
・一方で、理論3割で7割は(カウンセラーの)人間性ともいわれる。

・「合う・合わない」というのはちょっと違うのでは?パレはいろいろなものを包含している感覚がある。何かの理論に則って取り組むというより、その人にしっかり向き合うことを重視しているように見える。

・パラダイムの壁:パラダイム(理論)が異なると、壁の向こうとこっちでは伝わらないし、効果はない。壁の大きさを感じることも。

◆事後の要約

どんな理論も完全なものではない。理論や考え方を検討するときには、鵜呑みにせず、有効な場面と、有効ではない場面の両方について考える必要がある。
コミュニケーションで使う言葉は、辞書的な意味に制限されることはなく、異なる意味を込めて使われることもある。バフチンは「生きた対話のコミュニケーションにおける言葉の使用は、本質的に、常に個人的な文脈的なものである・・・言葉は何かを表現するが、その表現された何かはその言葉に内在するものではない」


所感

第4節の内容に触れて、ボームの「ダイアローグ」が思い起こされた。言葉にどんな意味を乗せて使っているかは人によって異なる。同じだと捉えるところから齟齬が生じる。異なることを前提にして、その違いを探求すると、豊かな広がりが生まれる。

関心を持つものが集まって話をするので、お互いに「言いたくなること」が湧いてきている感覚がある。湧いてきたものが場に出てくるバラエティ豊かな展開は、自分一人では生まれないものだし、知的な好奇心も大いに刺激されて楽しい。
一方で、反射・反応的な会話が支配してくると、場に生まれようとするものがあっても、場に出れなくなっていく感覚もある。こうした感覚を味わえるのもまた豊かな時間だと思う。

第3回「第3章」⇦     ⇨第5回「吃音とナラティヴ・アプローチ」

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