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読書会のメモ「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ BookⅡ」 第3回

昨年(2022年)12月に出版された国重浩一さんの「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ BookⅡ」。
毎月1回1章ずつを目安に進めていく仲間内での読書会のと備忘メモとして残していく。
今回は2023年3月5日(日)に取り組んだ「第3章 言葉の力」について。
手元のメモを整理する作業時間を取れずに、公開が遅れてしまった。

第2回「第2章」⇦                ⇨第4回「第4章」


自由な対話の展開となり、前半は主に1節の内容を中心に進んだ。後半は、5節が中心に展開した。
以下、出てきた話題の中から印象に残った部分を備忘的に書き出しておきたい。

■印象に残った言葉やフレーズ

○認知症の方との会話の例より

「また同じことを話している」と受け止めて、適当な応答をしていると、語り手としては伝わっていないと捉えて、さらに同じ話を同じように語り続けるのかもしれない。
同じ話の繰り返しに感じても、登場人物のことやその時の気持ちなど、興味を持って異なる角度からの問い掛けをしていくと、違った展開で話が進むことがある。
それを何度も繰り返していくと、話に広がりが生まれ、語りたいことの背景を深く共有していく機会になった。

○「言語はその根底においてパフォーマティヴである」

・ストレートに言うと聴いた方も断りにくく感じるため、相手のことを慮って、直接的な表現を避けることもある
・言葉を額面通りにしか受け取れないと、コミュニケーションに苦労する
・慣れてない人にとっては、京ことばのように行き過ぎると感じるものも、コミュニケーションに苦労する
・コンスタティヴとパフォーマーティヴのバランスは、お互いの関係や距離感などによっても、この匙加減は違ってくるだろう
・関西では、パフォーマティヴを語感やイントネーションで表現しているのかも

■所感

相手が不快な思いをしないようにしたいという想いがベースにあるからこそ、質問によって相手におこる変化に対してまで細かく留意する姿勢が生まれるように感じた。
そのことによって、聴き手の先入観を排した「語り手が主役の語り」が生まれるように感じる。
改めて、病名は分類名であって原因ではない、ということに想いが至った。

日本語のコミュニケーションでは、言外の意味について考えさせられることは多いが、英語圏でもおなじようなパフォーマティヴな捉え方についての考察があることはとても興味深い。

■第3章の主観的な要約

国重さんがお伝えされたかったことをできる限り把握したいと思い、自分なりに要点を整理しながらまとめてみた。

第1節 「すごい人が来たんです」
人の話というのはその人が話しているからといってその人の考えであるとか思いをしっかり伝えるものではない
話す時は何らかの思い出した言葉を使って話す
人とのやり取りにおいて相手が話す言葉が何を意味しているのかについてはすごく慎重にならなければいけない
人がその人自身の口で何らかの言葉を語るということは実に影響力の大きなことでもある

第2節 言葉は意味を伴って私たち伝わる
聴き手には、実のところしっかり判断できないことが往々にしてある。
しかし話し手がひとたび何かしらの言葉を口にしてしまうとその言葉の意味が伝わってくる。
話し手が言葉にする苦悩の表明であるとか、問題の深刻さについて、そこに反応することができない時など、人の話を聞くという場面では話し手が言っていることを受け取ることができない場合が多々ある。
なぜなら、その話を聞いていくことはその話しての苦しみを引き伸ばすことになるかもしれないし、その部分を聞くことは聞いてとっても辛いから。
そのため、やんわりと話題を変えたり気分を変えるための言葉かけをしたり教訓めいた話をしたりしてしまう。この手の反応が返ってくると話しては自分の話を聞いてもらえなかったと感じることが多いだろう。
言葉がコミュニケーションの一環として利用される場合には、何らかの情報を伝達するだけのものと見るだけでは不十分である。
オースティンの「言語行為論」によると、文には事実を述べている(コンスタティヴ)のと、行為をさせようとする(パフォーマティヴ)のがある。言語はその根底においてパフォーマティブである。(哲学者、柄谷行人)
パフォーマーティヴなメッセージ を伝えようとして、コンスタティヴなメッセージとして受け取られることで、フラストレーションや怒り、絶望を感じる場合もある。逆にパフォーマティヴな側面をうまくキャッチできなくてコミュニケーションに苦労する場合もある。
伝わるはずだと思って発している自分のことばを考察してみると、伝えようとしている情報が含まれていないことが往々にしてある。きちんと伝わるように、自分のことばを言い換える試みをする価値はある。
・「リンゴを買ってきた」 私はリンゴを買った/買い物に出かけた/私の手元にリンゴがある→(おやつを食べていい状況なら)「私にリンゴを勧めているのだろうか?」と考えるように仕向ける可能性もある →「リンゴを買ってきたけど食べる?」
・「このマイクはおかしい」/マイクを直せ → 「マイクを直す手配をしてもらえますか」
・「マイクのある場所をご存じないですか?」→「マイクが必要なので、探してもらうわけにはいかないでしょうか」

第3節 発語によってパフォ-マンスする
私たちは発語するたびに何らかの行為を示唆するメッセージを表現している
淡々と事実を述べてるように見えても、そこには自分が望むこと、望まないこと、相手に求めたいこと、求めたくないことなど、さまざまなことが含まれている。
発語を通じて、そのような人であるかということさえ立ち現れてくる
「好きな音楽は何ですか?」→〇〇の音楽が好きな私
「好きな色は何ですか?」 →〇〇の色が好きな私
ひとたび発語してしまったら、その言葉をまとった人として存在してしまう
限定的な質問など他の関与の結果として出てきた言葉を、あたかもその人自身から出てきた言葉として受け取られることがある。
「相談は何ですか?」「お困りごとは何ですか?」→そのことを解決したいという(パフォーマティヴな)メッセージとして受け取る。しかし、話す方向性を提示したのは質問した側であり、語りたいことではないかもしれない。
クライエントにはしっかりと語る場が必要であることや、ちゃんと受け取って理解してほしいという思いがあることが抜け落ちてしまう。

第4節 質問の形式を変えてみると
「どのように問いかけることができるのだろうか、一緒に考えてみよう」
質問が変われば、答え方にどのような変化が起こるのだろうか。答えるときにどのような違いが起こりうるか。
定番の質問を繰り返すことは、人によっては反発を招く、答えようがない時もある。
相談をめぐるキーパーソンを探るにあたって、家族構成の情報がない場合もある。
ここでは、ナラティヴ・セラピーの質問の体系化はできなかったが…「相手が何を語ったのか」の検討にとどまるだけでなく、「どのように問いかけるのか」について十分に問い考えていくことが必要になる。


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