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「忠臣蔵」今昔―文化の栄枯盛衰

320年のロングセラー

赤穂浪士の討ち入りが創作物の題材になったのは、討ち入りの翌年(年をまたいで討ち入りの一か月後)、1703年の「傾城阿佐間曽我けいせいあさまそが」である。
以来320年。「忠臣蔵」は、歌舞伎・浄瑠璃・落語・浪曲・端唄・小唄・小説・映画・テレビドラマ・舞台・漫画etc.と媒体を変えながら、今日まで語り継がれてきた日本における一大モチーフである。
明治維新~大戦期を経て、生活様式や価値観がすっかり変わっても、耐え忍んで義を貫く赤穂浪士の物語は、幾世代にも渡って日本人を感動させてきた。

時代劇の低迷で影を潜め

30年ほど前までは、師走に入れば旧作がTVで放映されたり、正月の映画や長時間の時代劇で必ずと言っていいほど新作が世に送り出されていた。
ところが昨今、まったくと言っていいほど新作は作られないし、話題にも上らない。

これは、大掛かりなセットや鬘・衣装・小道具のすべてを揃えなければならず、俳優の所作・殺陣やロケ地にも往生する時代劇は、長引く不況で映像業界に敬遠されたことと関係があると思われる。
メディアの露出が減れば、自然と認知度が下がるのは自明である。

映画斜陽の時代を境に、かつて人気のあった「国定忠治」「次郎長三国志」「宮本武蔵」といった作品の認知度が下がっていったのと同じだ。

かくて文化は滅びゆき

あらゆる文化や作品がそうであるが、どんな題材にも多角化→多視点化→否定(揶揄)→衰退の運命がある。
「忠臣蔵」で言えば、大石内蔵助を中心とした討ち入りの顛末から始まり、隆盛とともに、四十七士の各エピソードが充実する。そのうち、敵役である吉良上野介の視点など別の切り口の作品が登場し、「忠臣蔵」の大筋が一般常識となる頃に、ドリフターズによるコントや近作の「決算!忠臣蔵」(2019年)のようにコミカルな扱いを受け、それまでの「義」や「忠」、大真面目な討ち入りが「否定」されるのだ。
2024年公開予定の「身代わり忠臣蔵」も、この流れであることは間違いない。

それでも続くよどこまでも

「忠臣蔵」の不人気は今に始まったことではない。
バブル期の「真面目」を否定した浮ついた文化の浸透以来、「古臭い」「今さら『義』や『忠』でもない」といった価値観の変容から、もはや「知らない」ところまで来た。
それでも春になれば桜の開花を気にするように、「忠臣蔵」にある耐え忍んで逆転する痛快さや、自己犠牲・儚さといったものは、どこか日本人の価値観に共鳴するものがあり、かつてほどの認知度はないにせよ、形を変えながらも受け継がれていくのだろう。


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