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『差別』とか『区別』とか色々

芸能人の発言や
インフルエンサーの発言で
様々議論となっている事柄ですが
『差別だ!』という声が大きくて嫌になりますね


子育てってそんなに偉いんですか?

元アイドルが子どもの触ったパンを買わされたと怒っていますね
面倒見切れていないわけで
お店としては売り物を壊されたわけです
それは買い取っていただきたいですよね
で、きっと今までは
「お子様のされたことですしー」
で済んでいたんだと思います
いや
済ませていたのかもしれません
「子供のしたことですし」
という言葉はやられた側の言葉なんですけどね
なんでやった側が謝罪のためにその言葉を使うんですかね
ソモソモ謝罪ではないですし。

まずそうならない為の状況を作りましょうよ
という話なんです
躾が必要だと思いますし
全て家庭内からだと思っています。
よく『外ではしっかりしています』という方がいますが
家の中で出来ないことが何故外に行くとできるようになるのか
それを教えていただきたいです
実際、屋外で一日過ごした際子ども連れの方と接する機会がありましたが
千差万別だなと思いました。
しっかりしている家としていない家
そこには
子どもとのコミュニケーションといったものにも差があるんだなと思いました。
ベビーカー一つとってもそうですし
何でもかんでも子育て世代を優先しろ!という考え方は違うと思います。

障害者に対する配慮

車椅子で通常席を使うのに
自分で介助者を用意せずに、映画館側のスタッフに手伝ってもらっていた
最近もうできないと通達された!差別だ!
と大騒ぎしているようです
車椅子席は整備されていますとのことですが
それでも健常者と同じことをしたい!というのであれば
もうそれは制度側が用意した枠組みの外なんですよ
どこまで制度を拡大すればいいのでしょうか
(枠組みの中で楽しんでいる人達もいる。その人達に迷惑をかけているのにね)

ムービングゴールポストという考え方

どれだけ制度改革をしても
どれだけソフト面を改良しても
『まだ足りない!』
と大騒ぎする
要するに
『騒げば騒ぐだけ自分たちが有利になる!』
と思っているのでしょうか?
世界的問題としては
慰安婦問題等もその手法を使っています
結果として問題の本質から遠ざかってしまっているように感じます

『差別』と『区別』

『差別』は集団に対して差をつけること
『区別』は集団を分けること
という定義となるようです
『障害者差別』と『障害者区別』は違うわけです
差別はダメです
でも区別は仕方がないことです
最大多数の最大幸福のを実現することが善とされているのです

騒ぐことによって不利益を被る人がいる事実

今回話題に上げた
パン屋での問題、映画館での問題
正直騒ぎ立てたことによって
不利益を被る方がいるというのが事実だと思います。
子ども連れでパン屋にくるな
車椅子で映画館にくるなんて
そういった差別が産まれる可能性もあります
いくら個人単位で幸せになったとしても
大多数の人が白い目で見られるのであれば
それはまた違う問題になってしまう
私はそう考えています


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