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どんな想いだったと思いますか (WhatよりHow)



Q. 学生時代、最も力を入れたことを教えてください。

A. 3年間続けているスターバックスコーヒーでのアルバイトです。
 地域の人々に愛されるお店づくりを目指し、お子様連れでも楽しんで頂きたいという気持ちから、絵本などの読み聞かせ会やお絵かき、工作などお子様が楽しめるプログラムの実施やお店近隣の中学生がスターバックスコーヒーでのお仕事を体験する職場体験などの活動に参加してまいりました。

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 塾で働いてた頃の生徒にばったり会ったとき「就活が始まるからエントリーシートを見てほしい」と頼まれた。エントリーシートとは、就職活動で提出する詳しめの履歴書のことだ。
 自分は就活を失敗しているし、教えてたのも数学だし、できるかなあと思いつつ引き受けた。そのあとで送られてきたのが上の文章。
 読んでみると、意外とすぐにどこがマズイのかを探すことができた。内容や書き方、いろいろと触れて返信をした中で、自分でも印象的だったのが「WhatよりHow」という指摘だった。
 愛されるお店づくり、読み聞かせ会、職場体験などの「何をしたか(What)」より、知りたいのはそれらを「どうしたか(How)」だよということ。
 愛されるお店づくりのためにどうしたの。読み聞かせ会の反応はどうだった? 中学生と働いてどう感じたの。そのほうがずっと大事。


 でも、Whatをたくさん書きたくなる気持ちは分かる。
 エントリーシートの広い枠を埋めるために「大学時代はあれもして、これも、これもしました」と書きたくなる。書きたくなるけど、書くことがなくて絶望する。
 理由は何であれ、やたらと行動してた人のことを見直したりして。そして頭を抱える。今から何か‥いや間に合わない。どうしよう!

 だけど、書けることがひとつしかなくても、Howをちゃんと意識すること。
 どう工夫してどう感じてきたか、自分がいちばん熱を持って書けることを選べば、ひとつの話題だけでも枠は埋まる。
 だから、就活に役立ちます! というアルバイトを選ばなかったことを後悔しなくていいし、今さら一つ上の大学に行かなかったことを後悔しなくていい。
 今いる生活地点での工夫や感情のほうが、何をしてきたかよりずっと大事なはず。

 同じように、婚活やマッチングアプリのプロフィール欄に書くことがなくて尻込みすることもあると思う。
 でも本当は特技や学歴や職業や年収より、どんなふうに喋るのかとか、どんなふうに店員さんと接するのかとか、興味のないことへの向き合い方とか、そういうほうがずっと大事なのにな、と思う。趣味に惹かれるんじゃなくて、趣味をどう楽しんでるかのほうに惹かれるものだし。
 そういうHowはどうしてもアピールがしにくくて、結局悩むことになるけれど、それこそが「何をしたか」からは読み取れないものの正体でもある。
 WhatよりHow。
 そのことに注目しながら、もうひとつ添削してみよう。



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Q. 学生時代、仲間と取り組んで成果を出した経験を教えてください。

A. ゼミナールの仲間と行った、観光魅力度ランキング最下位の県を最下位脱出に向け考えていく取り組みです。
 私はゼミナール所属当初、経験値の面でスキルが劣っていました。
 そのため悔しい思いをしましたが、未熟な私をメンバーに受け入れてくれたゼミメンバーにスキルアップすることで恩返ししたいと考えました。

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 経験値の面で劣っていたのはどんなスキルだろう。
 悔しい思いはどのくらい?
 ゼミメンバーはどうやって受け入れてくれた?
 スキルアップはどうやればできるかな。
 スキルアップすることがどう恩返しになるんだろう。


 羅列するといじわるしてるみたいだけど、これを書かないと意味がない。
 いい子ちゃんモードで書かれた文章は、どうしてもこういう「中身がありそうでない言葉」が並んでしまう。感想文やレポートなんかもそう。Howがないから実体がない。
 それっぽいけどからっぽ。お行儀がいいだけのハリボテの言葉。

 
 こんなふうに、それっぽいことを言う風潮は小学校の学級会からあった。
 当然それ以降のミーティングや研修にも存在する。
 仲良くしましょう。売上目標を達成しましょう。顧客満足度を上げましょう。そんな結論で席を立とうとする議長は今すぐ交代だ。だって、Howが考えられていないから。
 何をすればいいかなんて誰にでも言える。そりゃ仲良くできるならそのほうがいいに決まってるし、顧客満足度は高いほうがいいに決まってる。
 でも、仲良くするにはどうすればいいの。売上目標を達成するにはどうすればいい。顧客満足度はどうやれば上がるの。売上に必死になれば顧客満足度は下がるけどそこはどうする?
 Howの考えられてない意見は、それっぽいだけで、もはや何も言ってないのと同じ。
 お客さまをお待たせしないように。分かります。でもそれはどうやって? 気合の問題?
 それが気合の問題だとしたら、そのミーティングは開く必要がない。

 なのに世の中にはこういう会が多い。
 それっぽいことを順番に言い合って、解決っぽい空気にして終わって。
 むしろみんなこういう会で育ってきたから、それっぽいことを積極的に求めている感じさえする。欲しいのは革新的なアイディアじゃない。
 それどころか新しい意見は会の時間が延びるから煙たがられてしまう。それっぽくて、四方に空気を読んだ意見がいい。
 それって、何も言ってないのと同じことなのに。
 意味のないことをぶつけあう意味のない大会。それにみんな疲弊してる。でもなかなかその仕組みに気づけない。学級会からの慣習が、会とは「それっぽいことを言う大会」だと思い込ませているから。

 それっぽいことを言う大会、ワイドショーはその決勝戦だと思う。
「この問題ですけどね〇〇さん、これちょっとマズイことになってますよね」
 司会者がまんべんなくゲストに話を振る。そうですねえと話し始めるその人、経済評論家だよ? と僕は思ってる。
 もちろん経済評論家だってどんな話題にも意見していいけど、でもその人に意見はあったのかな、と見ていて思う。扱う全ての問題にまともに答えられるほどの関心と知識がある人なんているのかな。
 どうしてワイドショーは挙手制にしないんだろう。
 それが手元の回答ボタンでもいい。仕組みとして挙手制にしない限り、ワイドショーが「それっぽいことを言う大会」を超えることはないし、コメンテーターに求められているのも「当てられたらすぐにそれっぽいことを答えられる能力」になってしまう。それがコメント力。中身や深さは問われてない。
 この問題ですけどね〇〇さん、と途中で名前を呼べば、生放送の間を埋める作用が発生するから助かる。でもそれができるのは、あらかじめ誰に話を振るかを決めているから。ゲストの表情からは意見の有無を読み取っていない証拠でもある。

 それっぽいことを言うのが学級会からワイドショーまで続く慣習なら、それを抜け出すのはすごく難しそうだ。
 でも、これを抜け出す方法が1つある。それは「ちょっとわからなかったです」「まだ考え中です」と言うこと。
 それっぽい発言が生まれるのは、わからないのに話し始めるせいだから。
 全ての問題に平等に回答できるということは、そこに必ず嘘や適当さが含まれるということ。だから、いいことしか書いてない家電のカタログは信用しにくい。
 見た目は悪いけど性能は抜群、という文句が妙に信頼できるのは、できないことをできないと言えるからだ。「吸引力は正直3番手なんです。でも軽さだけはどこにも負けません」と言える掃除機があったら、きっと売れると思う。

 でも「わかりません」という発言は、小学校から許されない雰囲気があった。
 だから前の人にならってそれっぽいことを言うしかなくなる。そのせいで意見が似通ってしまう。顧客満足度をあげようと言われたら「顧客満足度、確かに気になってました」と言えばいいだけ。それっぽいことを言うのは簡単だ。
 けど、どうやって顧客満足度をあげればいいのかとか、どうすれば期日までに提出してもらえるのかとか、それには個人の思考力が必要になる。それっぽく思考することはできない。
 それっぽくなくて、聞き馴染みのない発言をするのは、空気の読めない人だったりする。だから、またいつものあれだと苦笑いされて流される。聞き馴染みのないということは、何かを変えてくれたかもしれない意見なのに。
 そしてそれっぽくできない人たちはこっそりと集団を抜ける。変化の機会を失った集団の、それっぽい会議は続く。

 さっきのエントリーシートで他にアドバイスしたのが、ゼミナールのところ。
「ゼミナールじゃなくてゼミで大丈夫」と送った。
 スターバックスコーヒーも2回目以降はスタバでいいし、貴社という言葉も使わなくていい。使い慣れない、それっぽい言葉を使うと、言葉と自分がどんどん離れていって感情が伝わらなくなる。
 敬語もそうで、上手に使いすぎるとなぜか感情を隠してしまう。気をつけに気をつけられた丁寧な感想が、隣の人の「マジでよかったー! 最高でした!」という瞬発的な感想に負けることもある。
 少しぐらいタメぐちが出ただけで怒るような人には、感情が乗らなかろうが敬語を使っておくのが得策。だけど本当は、多少の言葉の揺れがあっても、身振り手振りやそれから表情で、真剣さは伝わると思う。貴社という言葉を使っていないだけで不採用にする採用担当がいたら、その人は見る目がないとしか思えない。
 一流は怒らないから、思い切りぶつかればいい。と信じてみるしかない。

 
 オードリーの若林正恭さんは「ゲストに話を聞くときに意識してることはありますか」という質問にこう答えてた。
「それって技とかスキルの話になってくるじゃない。聞き方とか喋り方とか。そこに持ってかれると意外とね、中身がなくなってくもんで。純粋に興味があるっていう、そこのところしか考えてないよね」


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 実は、WhatよりHowが重要なことには、もうみんな気づいてる。
 例えば、ラブストーリー。
 何が起こるかを箇条書きにすれば、出会う、距離が縮まる、好きになる、トラブルが起こる、それを乗り越えて告白、と、ほとんどの物語が似てしまう。
 どう出会うのか、どう距離が縮まるのか、どう告白までいくのか。
 Howこそが物語の腕の見せどころだ。箇条書きにすれば似たような物語、それに好き嫌いが発生するのは、そもそも物語のHowを見ていたということ。
 それは何を撮るかということと同じかそれ以上に、カメラアングルや編集、どう見せるかが大事ということでもある。音楽でいえばアレンジ、小説でいえば文体や構成だ。

 例えば、今からお笑い芸人を目指すとする。
 何にいちばん力を入れるかといえば、当然ネタ作りだと思う。
 だけどどんなにいいネタ(What)が作れても、それをやりきる表現力や演技力(How)がなければ笑いは取れないかもしれない。逆に言えば、力のある芸人さんなら、ある程度のネタでも爆笑をかっさらえると思う。
 アンガールズの田中卓志さんが、以前アメトーークで「もうトークのネタがなくなった」と悩むブレイク中の芸人さんに「最初は100点のやつを持っていくけど、これからは70点のトークを磨いて100点にして持ってくの」とアドバイスしてたのもきっと同じことだろう。
 何を話すかより、どう話すのほうが大事。
 爆笑問題の太田光さんも「女子高校生のマジウケるって話を、全然おもしろくないってみんなは批判するけど、あんなに笑ってるんだからおもしろかったはずなんだよ。ただ、表現力がないだけで」ということをよく言っていた。

 バナナマンのふたりがワクチンの副反応でラジオを休んでしまった回。
 代わりに作家のオークラさんが「バナナマンのコント10選」を紹介していた。
 ここでも「20分のコントをたったひとり、あの恐怖に追い詰められる人間を演じきった日村さんの凄さ」とか「怖い話をただつまらなく話すっていうだけのシンプルなネタなのに」と、演じる力に焦点を当てた紹介が多く、ネタだけが優秀でも決して同じようにはできないのだ、ということがひしひしと伝わってきた。
 そしてそれは才能だけの話じゃない。こうも言っていた。
「当時コントは、台本ができた時点で完成っていうイメージがあった。だけどバナナマンはあのネタを死ぬほど練習して、最初の本読みより5倍、6倍おもしろくしてみせた。練習でコントはここまでパワーアップするんだって思い知らされたんだ」

 ダンスを始めたら、まずは振りを覚えるのに必死になる。
 楽器を始めたら、最初は楽譜と指使いに必死になる。
 でも経験を積んで、それらがある程度すんなりできるようになれば、そこからは、どう踊るか、どう演奏するかが勝負だ。振り通りや楽譜通りにできることはもう大した問題じゃない。
 料理が上手なら同じレシピでももっとおいしく作れるし、ファッションが好きなら同じ洋服でももっとかっこよく着こなせる。
 Whatは必要だけど、スタートでしかない。大事なことはいつもHowに現れる。

 
 だけど、何になるかで悩む人はいても、どう生きるかで悩む人はそんなにいない。
 聞かれるのも目標や夢ばかりで、生活の仕方については誰も聞いてこない。
 Howはいつも見過ごされる。
 そして、いつかいいことが起こればいいのに、いつか名作ができればいいのにと、ぼんやり思ったりする。そう思うことは僕にもある。
 でもただ何か待つんじゃなくて、どう待つのかを考えればよかったのかもしれない。毎日やってみるとか。生活を変えてみるとか。
 どう待つかを考えればきっと、点線だった幻が、形を現してくれる。



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 ランキング1位、発行部数100万部、再生回数1億回、興行収入10億円。
 どれもうれしいはずだけど、結局次回作の励みになるのは1通のファンレターかもしれない。受験時の唯一の楽しみでしたなんて言われたら、他にもあったはずだよと遠慮しつつも、たまらないんじゃないかと思う。
 
 佐野元春さんとアジカンの後藤正文さんとの対談でこんな話があった。
 後藤正文さんが「音源であるか音楽であるかはかなり違うよなということです。自分たちの作っているものは決して音源じゃないよ」と言うと、佐野元春さんが「その通りだね!」と相づちを打ってこう続けた。
「音源という言い方は、僕は少し気に食わない。それと同時にIT関係の連中たちは、僕らが作ったものをデータと言う。それも気に食わない。あるいはそういうプロデューサーたちは、僕らが作ったものをコンテンツと言う。それも気に食わない。僕らが作ってるのは音楽で、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。たまたまデジタルに変換できてデータのように見えるかもしれないけど、元は音楽だということを忘れないでほしい」
 2013年のこの対談からは、コンテンツという言葉に含まれる愛情も変わったかもしれない。だとしてもここで話されてることは理解できる。結果的にリンクとして貼り付けられるとしても、音楽はURLとして生まれてくるわけじゃない。

 最近、ファスト映画というのが問題になった。
 ファスト映画(fast:速い)とは、映画を10分程度にまとめた動画のこと。映像や画像を無断使用した上にネタバレや結末までを含んでいたので、それらがYouTubeにアップされると映画会社はダメージを受けた。そして訴訟問題にまでなったというのが一連の流れだ。
 その話題に関して「伊集院光 深夜の馬鹿力」でこんな投稿があった。
「テレビで、ファスト映画の投稿者が取材を受けるという特集がありました。その放送後、その投稿者の方がツイッターにて『1時間も取材をしたのに、これしか使わない』とお怒りのツイートをしていました」
 1時間も取材をしたのに。
 信じられないよね。2時間の映画を10分の動画にしていた人だとしても。
 伊集院さんは「あまりによくできていて落語みたい」とコメントしていた。

 
 ただ、ファスト映画はどうして問題になったのか。
 無断使用も当然理由に入るけど、一番は「ダメージを与えるほどの利益を上げていた」からだ。無視できないほどの数の人たちが「で、結局どうなるの」を知りたがっているということ。
 気持ちはもちろん分かる。話題になっている映画や本にはそう思うことも多い。
 だけど結局誰が殺されようが、彼女が誰のもとに行こうが、それは情報でしかないのに、とも思う。情報は感情になれない。何が起こるか(What)だけを知っても今後の何かになることはないし、そうやって知った架空の人物のことを思って立ち止まることもない。
 メイちゃんが迷子になるからとなりのトトロは人気なわけじゃない。
 一生かかっても見ることのできない映画や本があるのは残念だけど、それでも作り手が作ったのは情報じゃない。このエッセイが3行でまとめられても、ここまで読んでくれた人に理解の深さで敵うはずがない。
 たとえば本屋に置かれた名言集。確かに優秀な人の言葉は気になってしまう。
 でもそういった速読やダイジェストで得られるのは「カタログ」でしかない。自分に合うものを手っ取り早く探すためのカタログ。それ自体は栄養にならない。
 もちろん、たった一言で心を動かせるのはすごい。だけど、お笑いでは「何の変哲もない言葉」が大爆笑のオチになることもある。カタログに載っていても読み飛ばされるページだ。

 今回、東京オリンピックで初めてスポーツ観戦をした。まんまと惹き込まれた。
 世界基準の放送のせいか字幕も少なく、初見ではルールを理解するのにも時間がかかったけど、それでも選手たちの熱に目が離せなくなる。だから見逃した競技もチェックしたくて、夜のダイジェスト放送を見たら、これが不思議とおもしろくなかった。
 構成が日本びいきだったせいもあるけど、何より得点の瞬間だけを切り取った編集がその原因に思えた。だって、昼間見て興奮した競技でさえ面白みが半減していたから。
 柔道の技が決まった瞬間の爆発は、技の決まらない時間が生んでいたのだ。
 体操のような審査の入る競技の生中継は、確かに待ち時間を飛ばしたくもなる。なのにそれを飛ばしたダイジェストはどうしてかつまらなく感じた。余分なものと切り捨てられたノイズは、実はものすごく大事なとこだったのかもしれない。
 今までも一応、ニュースで話題の試合はチェックしてた。けど、それほど惹かれてこなかった理由がこれだったんだな。情報は感情になれない。
 よく考えれば、真剣な眼差しのどれひとつにも惹かれないなんてことが、あるわけがなかった。


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 乃木坂って、どこ? という乃木坂46とバナナマンの番組で、自分たちの狭い得意ジャンルだけでクイズ王にチャレンジするという企画があった。
 最初に、ゴールデンボンバーの問題で出てきたのが生駒里奈さん。「ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんの曲が私の心を救ってくれたんです。だからこの問題を取られるわけにはいかない!」と意気込んで回答席に立った。
 一方、隣に立つクイズ王の古川洋平さんは冷静だ。「最近話題のバンドなので、ある程度知識は入ってます」と言った。問題が読み上げられる。
『問題。ゴールデンボンバーがオリコン週間チャートで初めて‥』
 ピンポン!
 回答ボタンを押したのはクイズ王だ。そのスピードにスタジオがどよめいた。「Dance My Generation」
 正解のチャイムが鳴り、周囲が驚きの声を上げた。そんな中、悔しくて無口になる生駒さんが映る。どうしてそんなに早く分かったのかを聞かれて、クイズ王が説明を始めた。
「オリコン週間チャートという言葉と、初という言葉が聞こえたのでおそらく1位であろうということで押しました」
「すっげー!」とバナナマン日村さんが声を上げる。「このレベルだよ! なあ生駒!」
 すると生駒さんは、突然クイズ王のほうを向いて早口でまくしたてた。「でも、でもその時に鬼龍院さんはどんな想いでレコーディングしてたと思いますか! それは分かりますか!」
 どんな想い‥と困惑するクイズ王の周りで爆笑が起こってる。「生駒! それは今関係ないんだって!」

 その後、生駒さんはNARUTOの問題も担当した。
『問題。手のひらにチャクラを乱回転‥』
 ピンポン!
 押したのはまたクイズ王だった。「くそぉ!」と今度は生駒さんが回答テーブルを叩く。
「それでは、クイズ王!」「えっと、螺旋丸(らせんがん)」
 当然正解だ。チャイムが鳴り響く。
「これは分かった?」と聞かれて生駒さんは首を縦にブンブン振っている。さらに「問題は何だったの」と聞かれると「手のひらにチャクラをこう螺旋状に巻いて、溜めたのをこうやって敵に撃つのが螺旋丸なんですよ!」とまたまくしたてた。
 そしてそのまま隣にいるクイズ王に「この螺旋丸をどうやって習得したか知ってますか!」と食ってかかった。泣きそうな顔で「これ、ミナトっていうナルトのお父さんが作った技なんですよ。それを自来也(じらいや)先生がナルトに教えてくれて!」と叫んでいる。

 どんな想いだったと思いますか!
 どうやって習得したか知ってますか!
 クイズの答えからはこぼれ落ちるものを、知っている人がいる。その人がクイズ番組の大前提を大声でぶち破ろうとしてる。
 他の人が話してる間も、生駒さんは「ああ、自来也先生ごめん」と悔しがっていた。






■参考にさせてもらったもの
□山崎玲奈の誰かに話したかったこと 2021年8月30日
 オードリー若林正恭さんのゲスト回でした。
□アメトーーク 元・今が旬芸人 2012年9月27日
 売れっ子芸人はスギちゃんのことです。
□バナナマンのバナナムーンGOLD 2021年7月30日
 オークラさんと東京03の飯塚さんがバナナマンのコントについて語る2時間でした。
□佐野元春さんと後藤正文さんの対談(The Future Times)
http://www.thefuturetimes.jp/archive/no04_extra/sano/
□伊集院光 深夜の馬鹿力 2021年7月12日
 小耳にねじ込め!というコーナー内での投稿です。
□乃木坂って、どこ? 2014年11月9日、16日
 クイズ王の古川洋平さんはトークもおもしろくて大好きです。クイズ王批判ではないのでそこはお願いします。番組は現在も「乃木坂工事中」という名前で続いています。
□太田光さんの発言はどこでだったか覚えていませんが、2008年あたりによく話されていた記憶があります。

■エントリーシートの箇所は「エントリーシートを読める文にする」というタイトルで文章と動画にしています。勉強の下手な人のためのサイト「勉強できようサイト」のもので、僕が作っています。
□エントリーシートを読める文にする
https://dekiyo.exblog.jp/30268438 (文章)
https://youtu.be/cLvcw4sgrhE (動画)

■このエッセイを書いてたときの気持ち、ラジオになりました

■他のエッセイはこちらから
https://note.com/yasuharakenta/n/n24a3c79136c4
□(たとえば夢や目標の話はこのエッセイ)
https://note.com/yasuharakenta/n/n1b9c1e5382f8


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サポートは、ちょっとしたメッセージも付けられるので、それを見るのがいつもうれしいです。本当に本当にありがとう。またがんばれます。よろしくおねがいします。