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デズモンド・チャイルドの足跡をたどる

HR/HM界の名プロデューサーと言えばデズモンド・チャイルド(以下”DC”)。小室哲哉氏のように80年代・90年代をリアルタイムで過ごした世代には「偉大なるヒットメイカー」です。

デスモンド・チャイルド。Wikiより。

2023年9月に刊行されたBurrn! Classics Vol.4(巻頭がJudas Priest)にDCのインタビューが載っていました。これが面白い内容で、かなり波乱万丈なんですねこの人。1979年にその時の彼女と一緒にグループを組んでデビュー。モータウン+ハードロックサウンドを組み合わせるというアイデアでKISSのポールスタンレーと意気投合してKISSの「I Was Made For Lovin’ You」でヒットを飛ばして作曲家としての道を歩み始めるも、ゲイクラブに入り浸るようになり自分のセクシャリティに目覚めて彼女に「ゲイなんだ」と告白してグループは解散。その後80年代はさまざまなヒットを飛ばすも本人はカルト教団に心酔してほぼすべての収入を寄付し、本人はアルバイトで糊口をしのぐ生活。90年になって洗脳を脱し、パートナー(男性)と結婚して二人の子供と共に(代理母による出産でその奮闘はドキュメンタリーにもなっている)現在は過ごしている、と。なかなかハードライフです。

母親がかなり奔放な美人だったようで、あまり子育てに熱心なタイプではなかったそう。実の父親を18歳まで知らなかった(生まれたときに母の夫だった別の男性を父親だと思っていた)とか。実の父親はハンガリーの男爵(一代で財を築き叙勲されたJoseph S. Marfyという人物)だったらしく、本人もハンガリーの爵位を継承したそう。今はハンガリーとアメリカの二重国籍を持っています。映画のような人生。

父親のJoseph S. Marfyらしい。本人のFacebookより。

さて、本人のバックグラウンドはこのあたりにして、彼の手掛けた曲を通じてDCの足跡を見てみましょう。改めて調べてみて驚いたのが今でもバリバリ現役なんですね。大きくいくつかの時代を経ながら今も一線で活躍中。大きく言えば「ハードロック期」「ラテン(/ワールド)期」「アイドルプロデュース期」に分かれます。考えてみればいわゆる「大物プロデューサー」としてずっとアメリカの音楽業界をサバイブしている人ですね。今回時系列で彼の作った曲を聞いてみて思ったのはDCを追うことはアメリカ音楽史のトレンドのある部分を見ることでもあったなと。そんなDCの足跡を60曲にまとめてみました。

以下、各曲のコメントです。


Desmond Child & Rouge / Westside Pow Wow(1979)

DCが世に出たのは自らの名を冠した「デズモンド・チャイルド&ルージュ」。当時の彼女も含めた女性3名とDCが組んだユニット。この曲はデビューアルバムの1曲目で後のDC節とでも呼べる特徴のあるサウンドがしっかりと萌芽しています。モータウン+ハードロックサウンド。彼らのヒット曲といえば「Our Love is Insane」の方が有名ですが、こちらはモータウン色が強くデズモンドらしさはやや希薄。こちらの曲の方が「らしさ」を感じます。

Kiss / I Was Made For Lovin' You(1979)

DCの出世作となったKISSの大ヒット曲。当時は「ディスコ化した」とKISSのファンから賛否両論あったのですが、YouTubeの再生数であったり各種ストリーミングサービスの再生数を観ると今やKISS最大のヒット曲なんですよね。この曲はポールスタンレーとDCの共作。

Desmond Child & Rouge / The Truth Comes Out(1979)

デズモンド・チャイルド&ルージュのセカンドアルバムにしてラストアルバムのオープニングトラック。DCがゲイであることを恋人に告げた曲であり、それによってユニットは解散に向かいます。ここからDCは自らが演者として表に出るより職業作曲家としてのキャリアを積んでいきます。

Billy Squier / You Should Be High(1980)

DCがKISSでヒットを飛ばした後、ビリースクワイアにも曲を提供しています。こちらはそれほどヒットしませんでしたし代表曲というわけでもありませんが、まだトップヒットメイカーになる前のDCの曲。

Cher / When The Love Is Gone(1982)

大女優シェール。彼女にもかなりDCは曲を提供しています。このアルバム「I Paralyze」はDCがかなりフューチャーされましたが結果としてセールス的には惨敗。シェールはしばらく音楽活動を離れて女優に専念することに。DCが単独で作曲して提供した珍しい曲。基本的に自分のバンドでないかぎりDCは誰かと共作しています。

Kiss / Heaven's On Fire(1984)

KISS、というかポールスタンレーとDCのタッグは長く続き、何曲もヒット曲を出しています。なお、KISSのメインソングライターのポールスタンレーとジーンシモンズはそれぞれ作曲陣を抱えており、DCはスタンレーお抱え。Wikiによれば16曲提供しているようですが、ジーンシモンズとの共作は1曲もなし。それぞれパートナーも変えることでそれぞれの曲の個性を強めたかったのかもしれません。

Bonnie Tyler / If You Were A Woman (And I Was A Man)(1986)

後にボンジョビの「禁断の愛」で大ヒットするメロディ。DC本人が「サビはほぼ同じ」と言っています。この曲はフランスではヒットしたけれどUSではあまりヒットせず。なお、ソングライターのDCの特長は初期からCo-Writingを続けていること(DCに限らず、USのプロの作曲家はそういう人が多い)。単独作はほとんありませんが、この曲は珍しく単独クレジット。ちなみにプロデューサーはミートローフで著名なジムステインマン。ボンジョビとのDCの曲はすべて共作であり、「禁断の愛(You Give A Love Bad Name)」もサビ以外はジョンボンジョビとリッチーサンボラのメロディ。DCという作曲家は「1曲丸ごと作る」というより「そのアーティストの良さを引き出す」「フックを加える」的な、プロデューサー的な役割が本分なのかもしれません。基本的にUSのアーティストに曲提供することが多かったですが彼女はUK(ウェールズ)の歌手。

Bon Jovi / Livin' On A Prayer(1986)

DCといえばこの曲、このバンド。ボンジョビの代表曲のほとんどはDCとの作曲であり、日本人リスナーの大半も「DC=ボンジョビのソングライティングパートナー」という印象が強いと思います。DCも自伝のタイトルを「Livin' On A Prayer」と名付けているので本人の中でもこの曲が代表曲なのでしょう。

Aerosmith / Dude (Looks Like A Lady)(1987)

エアロスミスともDCは何曲もヒット曲を出しています。この曲は「女性に見える男性」の曲。ゲイであるDCがこのタイトルを推し、ジョーペリーは最初は難色を示していたそう。

Cher / Main Man(1987)

上述したようにDCが作曲家として歩み始めた初期にもCherに曲を提供していますがそのアルバムが大コケしてシェールがしばらく女優活動に専念することになります。こちらはリベンジ。かつ、かつて「デズモンド・チャイルド&ルージュ」でリリースした曲のカバー。この当時、DCは売れっ子になっており、忙しかったのか(本人談によると時期は不明ですがカルト教団にもはまっていたようだし)80年代はけっこういろんな曲を使いまわしているんですよね。過去に出した曲のカバー曲を提供する、ということがけっこうあります。

Jimmy Barnes / Waiting For The Heartache(1987)

オーストラリアのロックシンガー、ジミーバーンズのヒット曲。この頃になるとDCは大ヒットメーカーとしての名声を確立しており、英米以外のアーティストも手掛けるようになります。USで名声を確立すると世界中から呼ばれるんだなという印象。

John Waite / These Times Are Hard For Lovers(1987)

UKのジョンウェイトのヒット曲。ハードロックテイストもありいかにもDCっぽい感じ。

Kiss / Reason To Live(1987)

いかにも80年代的なバラード。DCの曲って揮発性があるというか、基本的にDCががっつりかかわったアルバムってRYMとかメディアの評価が低いんですよね。いわゆる「商業製品としてのアルバム」感が強い。じっくり聞くより、流れていて心地よい。時代のBGMなんでしょう。

Ronnie Spector / Love on a Rooftop(1987)

元祖「バッドガールズオブロックンロール」ことロニースペクターに提供した曲。ダイアンウォーレンとの共作。シェールのソングライターとしてそれぞれ個別に曲を提供していましたが共作はこの曲が初期の方(最初かどうかは分かりませんが、僕が見た中ではこの曲が最初)。この曲はそれほどヒットしませんでしたがシェールにも提供しているしDC本人もソロアルバムで歌いなおしています。気に入っていたのでしょう。

Bon Jovi / Born To Be My Baby(1988)

DCと組んだSlippy When Wetで黄金期に入ったボンジョビ。続くNew JerseyでもDCとがっつりタッグを組んでヒット曲を量産します。ジョンボンジョビ、リッチーサンボラとDCのトリオは本当に相性がいい。ジョンとリッチーってたぶん歌いだしを作るのが上手いんですよね。DCはサビが上手い。

Joan Jett & the Blackhearts / I Hate Myself for Loving You(1988)

パンククィーン、元祖Riot Girrrrlなんて呼ばれたりもするジョーンジェット。女優業にも進出した彼女のヒット曲をDCが手掛けています。DCとはこの後も何作か続きますが、最初のこの曲が一番インパクトがあり成功を収めた様子。USの歌手でランナウェイズでデビューしたジェットは最初はUS以外(UK、アジア、ヨーロッパ)で成功を収めたアーティスト。ソロになってから全米でもブレイクします。ソロ活動を経て組んだバンドがザ・ブラックハーツでこのアルバムはジョーンジェット&ザ・ブラックハーツ名義。

Bonnie Tyler / Save Up All Your Tears(1988)

再びボニーテイラーに曲提供。

Aerosmith / What It Takes(1988)

エアロスミスのPumpから。名バラード。B'zもオマージュ曲(憂いのGypsy)を出していましたね。

Alice Cooper / Poison(1989)

LAメタルことGlam Metalの祖でありながら商業的に恵まれなかった80年代を過ごしていたアリスクーパー。見事に復活させたアルバム「Trash」はDCがプロデュース。

Michael Bolton / How Can We Be Lovers?(1989)

マイケルボルトンにもけっこう多く曲を提供している。いわゆる「大人のロック」ですがそこそこエッジが効いたギターの曲もあるんですよねこの人。

Cher / Just Like Jesse James(1989)

ずっと曲を提供してきたシェール、ついにヒット曲が誕生。DCとダイアンウォーレンの共作で、この頃のエアロスミスっぽい曲。

Ratt / Givin' Yourself Away(1990)

RATTのバラード、と呼ばれるこの曲。これもDCとダイアンウォーレン、そしてスティーブンパーシー(RATTのボーカル)の共作。91年はグラムメタル最後の年ですね。91年にNIRVANAのNevermind、Metallicaのブラックアルバムが出て急速にグランジ・オルタナティブブームが来てきらびやかな80年代メタル、アリーナロックが姿を変えていきます。

Kane Roberts / Does Anybody Really Fall in Love Anymore?(1991)

ケインロバーツはアメリカのミュージシャンでもともとアリスクーパーバンドのリードギタリスト。彼のソロ作に収録された曲でオリジナルバージョンはシェール、その曲のカバー。作曲家はジョンボンジョビとリッチーサンボラとDCでまんまこの頃のボンジョビ的な曲。歌い方も寄せている気がします。

Alice Cooper / Dangerous Tonight(1991)

プロデューサーとしてがっつりかかわった前作「Trash」に次いで「Hey Stoopid」にも2曲を提供

Bon Jovi / Keep The Faith(1992)

グランジ・オルタナブームの中でも輝いていたボンジョビ。このあたりから全米での人気(セールス)はやや翳りが出るもののヨーロッパ、アジア、南米での売れ行きが上がっていくんですよね。後期クィーンと同じようなセールス変化。

Aerosmith / Crazy(1993)

エアロスミスの「Get A Grip」から。エアロもグランジの影響はあまり受けませんでした。グランジ前から活動していたということもあるし、カントリーに接近してロックリスナーだけでない層を取り込むことに成功したからかも。この曲はスティーブンタイラーとジョーペリーとDCの3人で作成。MVにリブタイラー出演。こういう「親子共演」みたいなのも「80年代グラムメタルバンド」とは違う印象、層にアピールしたのかも。

Steve Vai / In My Dreams With You(1993)

意外な関わり。Vaiは商業的に成功したバンド(Whitesnakeなど)にもいたので有名プロデューサーの人脈もあったのでしょう。DCとしてもグランジ・オルタナの中で従来とは違う「ロックバンド」とのコラボに挑戦したかったのか。アルバムの中では確かにこの曲だけポップ。

Joan Jett & the Blackhearts / As I Am (1994)

ジョーンジェットがシンプルなロックサウンドに回帰(80年代はいわゆる「80年代サウンド」に染まっていた)した「Pure And Simple」からのナンバー。

Bon Jovi / Something For The Pain(1995)

ボンジョビの「These Days」から。94年のカートコバーンの死によってグランジムーブメントはやや沈静化し、従来の大御所ハードロックアーティストたちが活動再開し始める(AC/DCとかオジーとか)中、ボンジョビも新譜をリリース。ただ、このあたりからちょっとボンジョビとDCのコラボはマンネリ感が出てきたかも。

Aerosmith / Hole in My Soul(1997)

「Nine Lives」からのナンバー。90年代エアロが行きつくところまで行ってしまった感のあるアルバム。これもタイラー、ペリー、DCのナンバーで、転調などを駆使してバリエーション感を出しています。この後、98年にアルマゲドン、「ミスアシング」大ヒットでエアロはある意味燃え尽きる。ミスアシングはDCは不参加でダイアンウォーレンが参加。

Dream Theater / You Not Me(1997)

ドリームシアターにも曲を提供していました。忘れていた。イメージ図アンドワーズ、アウェイクを経てケヴィン・ムーアが脱退してしまった後のアルバム、フォーリングイントゥインフィニティからのナンバー。今聞くとフックがあっていい曲ながらヒットはせず。サビで急にDCっぽくなる感じが面白い。

Robbie Williams / Old Before I Die(1997)

UKの大スター、元テイクザットのロビーウィリアムズにも曲を提供しています。ちょっとサイケでオアシスっぽいロック。

Ricky Martin / Livin' la Vida Loca(1999)

80年代、90年代が終わりだんだん過去の人になるかと思われたDCが放った特大ヒット。しかもラテン。他の曲と同様にDC単独作ではなく共作なので他の人たちはラテン音楽シーンの作曲家たちですが、そこに入り込めるのが面白い人脈。ゲイ人脈(リッキーマーティンもゲイ)なのだろうか。ゲイクラブで関係者が知り合って仕事の話になった、とか。

Alejandra Guzmán / Soy Tú Lluvia(2001)

メキシコのロックの女王。ラテンでも実績(ヒット曲)を出したので声がかかったのだろうと思います。シェールとかKISSとか「すでに実績のある大御所」に曲を提供することが多い。そういう人に気に入られる魅力があるんでしょう。この曲が面白いのは作曲者がスティーブンタイラー、ジョーペリー、DC。つまりエアロスミス。これ、ナインライブスとかゲットアグリップのアウトトラックだったんじゃないでしょうか。曲調がまんまエアロなんですよね。歌詞はスペイン語ですが。

Bon Jovi / Misunderstood(2002)

この曲はちょっと新機軸を感じた曲。この時までのボンジョビにはなかったサビの感じ(この後多用するようになりますが)。「Bounce」から。バウンスって今聞くとなかなかハードロックしていていいアルバムです。

Kelly Clarkson / Before You Love(2002)

アメリカのスター発掘番組「アメリカンアイドル」のファーストシーズン勝者のために書かれた曲。優勝したケリークラークソンによって歌われ、2002年に全米で最も売れたシングルに。ここでDCは「新人への曲提供」でも大きな実績を残します。もちろん、昔から若手にも曲提供していたのでしょうがどちらかといえばベテランに曲提供する方が多かった印象。00年代以降は若手、スター発掘番組出演者への曲提供といったことが増えていく。

Alejandra Guzmán / Lipstick(2004)

メキシコ、ロックの女王へ楽曲提供再び。この曲はラテン世界でスマッシュヒット。

Jesse McCartney / Because You Live(2004)

アメリカの男性アイドル。”あの”マッカートニーとは関係なく、同姓なだけ。いい声です。

Lindsay Lohan / I Live for the Day(2005)

お騒がせアイドル、リンジーローハンにも曲を提供。いかにもDC節なメロディを持ったハードロック調の曲。

Meat Loaf / The Monster Is Loose(2006)

正しく「ロックとオペラの融合」を果たした「Bat Out Of Hell」シリーズの3作目。ジムステインマンとDCがタッグを組んだ作品でけっこうがっつり関わっている。ジムステインマンとDCはたびたび他の作品で共演(ジムがプロデューサーのアルバムに曲を提供したり)して旧知の仲。DC、ダイアンウォーレン、ジョンシャンクス、ジムステインマンあたりはけっこう絡みがある作曲家ネットワーク。この曲はモトリークルーのニッキーシックスも作曲に参加。

Paul Stanley / All About You(2006)

DCにとって世に出るきっかけとなった恩人であり長年の作曲パートナーとも言えるKISSのポールスタンレーのソロ作。このアルバムにはがっつりと曲を提供。

Sebastian Bach / Falling into You(2007)

元スキッドロウのセバスチャンバックに1曲提供。DCらしいパワーバラード。

Bon Jovi / (You Want to)Make a Memory(2007)

この頃にはだいぶボンジョビとDCの関係は薄くなってきているけれど 各アルバムに数曲は提供が続いていて、これは「Lost Highway」に収録。このプレイリストで取り上げる最後のボンジョビの曲。提供自体は2013年の「What About Now」まで続くけれど、この頃になるとジョンボンジョビはDCよりジョンシャンクスと組むことが増えてくる。

Scorpions / Love Will Keep Us Alive(2007)

唐突にスコーピオンズとがっつりアルバム1枚、「Humanity: Hour I」で共作。12曲の作曲に参加しており、「スコーピオンズとDCのコラボ作」と言ってもいい作品に。商業的な大ヒットは生まなかったけれど、DCらしいフックが加えられたことでスコーピオンズの中でもメロディの評価は高い1枚に。このアルバムはメロディが異質なんですよね、他の蠍団のカタログに比べると。それはDC節の注入によるもの。

Katy Perry / Waking Up in Vegas(2008)


大物プロデューサーとしての立ち位置をしっかり確立しており、先のリンジーローハンもそうだけれど話題性のある新人大物アイドルに楽曲提供するケースがちらほら。ケイティペリーにもデビューアルバムに曲を提供。

The Rasmus / Livin' In a World Without You(2008)

フィンランドのロックバンド、ザラスムスのアルバムを丸ごとプロデュース。後にこのバンドはDCとの共作でユーロビジョンにも出ることに。

Ida Maria / Bad Karma(2010)

ノルウェーのSSWに曲を提供。ラスムスからの北欧繋がりか。アヴリルラヴィーンやP!nkのプロデューサーであるブッチウォーカーがアルバムをプロデュースしたので、彼に頼まれて参加したのかも。欧米の有名プロデューサーに頼むと有名作曲家とかも連れてくるんでしょうね。「俺がプロデュースしたらDCも曲書いてくれるぜ」みたいな。そういう横のつながりは大切。

Weezer / Trainwrecks(2010)

ウィーザーと共作。ウィーザーのリバースクオモはアメリカンハードロックが好きだから80年代ハードロックの有名人であるDCと作曲してみたかったのかも。

Ricky Martin / Lo Mejor de Mi Vida Eres Tú(2011)

リッキーマーティンとの関係も続いており、この曲が収録された「Musica + Alma + Sexo」はDCがプロデュース。全曲に関わっています。まぁ、リヴィンアヴィダロカは一世を風靡しましたからね。リッキーのUSでのキャリアにおいて大功労者。

Sick Puppies / There's No Going Back(2013)

オーストラリアのオルタナティブメタルバンド、シックパピーズ(病気の子犬たち)に曲を提供。幅広い。やっぱりバンドとしてもDCに曲を頼むと「大ヒットするかも」みたいなガチャ感があるんだろうか。射幸心。

Selena Gomez / Love Will Remember

ディズニーアイドル、セレーナゴメスにも曲を提供。ディズニーアイドル出身の女性歌手ってけっこうロックな人多いですね。オリヴィアロドリゴもそうだし。番組的にアリーナロックとか「みんなでもりあがる系の曲」がよくBGMで使われるからかも。ハイスクールミュージカルのジャーニー「ドントストップビリービン」とか。80年代的なロックの復権にはディズニーの影響大だと思う。

Bonnie Tyler / Believe in Me(2013)


久しぶりのボニーテイラー。DCとは80年代初期からの付き合い。すっかり落ち着いた歌手になりました。この曲は2013年のUKのユーロビジョン出場曲。

Zedd / Beautiful Now(2015)

トップDJ、Zeddにも曲を提供。プログレッシブハウスのダンスポップで世界中でヒット。DC節って「歌メロをつなげながら転調する(あるいは転調感を出す)」のが特徴だと思っていて、コード進行が印象的。この曲もヴァース~ブリッジのコードのつなぎ方に一部DCっぽさがあります。

Ava Max / Kings & Queens(2020)

ボニーテイラーの「If You Were a Woman (And I Was a Man)」が組み込まれた曲(ボンジョビの禁じられた愛でも使われた曲)。それによってクレジットにDCの名前が。歌いだしがボンジョビ。

Desmond Child(feat Countess Luann) / VIVA LA VIDA(2020)

久しぶりにDCが自分の名義でリリースした曲。単独クレジットも久々。きらびやかでジャジーなポップ。Countess Luannという人はTV番組のパーソナリティでもあるらしく、なんらかの企画? 番組の中で曲をお願いした、とかなのだろうか。「Countess Luannの曲」という説明もあるが、各種ストリーミングサービスではDC名義で配信されています。

The Rasmus / Jezebel

再びフィンランドのバンドのラスムスに曲を提供。この曲「イザベル」で2022年ユーロビジョンのフィンランド代表として出演。

Weezer / What Happens After You?(2022)

Weezerと再び共作。

Jordan Smith / Sparrow(2022)

アメリカンアイドルから出てきた歌手、ジョーダンスミスに曲を提供。この人いい声してるんですよ。アメリカンソングコンテストというユーロビジョンの制作陣がかかわったUSの番組でジョーダンスミスが歌った曲。

Marcus King / Blood on the Tracks

ブルース/サザンロックの期待の若手、マーカスキングにも曲を提供しています。「カントリーのロック化」の一例。まぁ、もともとボンジョビにもそういう側面がありましたからね。このプレイリストではちょっと異質なサウンドながらサビの畳みかけてくる感じはDCっぽくて意外と相性がいい名曲。

Chris Willis / If I Had Only

ゴスペルシンガー、クリスウィリスとコラボした曲。

Winger / Proud Desperado(2023)

2023年、最新曲はWingerとのコラボ。ここで80年代ハードロックというかグラムメタルが出てくるのは感慨深いです。Wingerも現役バリバリ。最近のインタビューによるとキップウィンガーってミュージカルとかプロの作曲家として成功してるみたいなんですよね。Savatageがトランスシベリアンオーケストラで成功を収めているように、知られざる成功者。


以上、DCの60曲でした(一部TidalとSpotify,Apple Musicで曲がなかったりしたので選んだのは合計61曲)。

でもDCって幅広いアーティストに関わってますよね。英米だけでなくドイツ、北欧、南米まで。大物だけでなく売り出し中の若手バンドとか。意外とギャラが安いというか、相談に乗る感じなんでしょう。Co-Writingでプロデューサー的な立ち位置が多いからできる仕事術なのかも。ある意味「作曲コンサルタント」的な。一人で全部やるより、一部アドバイスする形なら多くのアーティスト、作品に関われますからね。

80年代~90年代初頭のボンジョビやエアロに関わっていた時が最盛期な印象がありましたが、グランジオルタナの時代もアイドルプロデュースなどを通じて存在感を保ちラテンでヒットを飛ばす、都度都度才能があるミュージシャンと組んでいまだに現役バリバリでやっているのが凄い。来年デビュー45周年ですが、これからも曲を書き続けていくのでしょう。

それでは良いミュージックライフを。





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