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「哲学の誤配」

久しぶりに読書の快楽にどっぷり浸かった。というか興奮が冷めやらない。東浩紀『哲学の誤配』に収録されている講演草稿「データベース的動物は政治的動物になりうるか」を読んだからだ。これが中国杭州で講演されたと思うと尚更ひりひりとする。

講演の草稿だからだろう、語りかける相手がクリアにイメージされているようで頭に流れるようにテキストが、内容が入り込んで来た。短い原稿ながらその思考の深さ、射程の長さは、そして矛盾するようだかその軽やかさは圧巻。何度も繰り返して読みたいテキストに久しぶりに出会えた。

読書という行為は、読んでいるときの思考の運動そのものを指すものと思う。つまり一度読んで書かれてある情報を頭の中にインプットして終わり、という類いのものでは決してない。読んでいるまさにその最中に起こる運動こそが重要だ、というかそれ以上でも以下でもない。読書は、消費活動ではないのだ。

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