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おいクソガキ、想像してみろよ。

「死」と「私」は、或いは「私の生活」は、とても離れたところにあって、それはドラマの中で起きる非現実だった。おめでたいことに、アラサーなんて言われる年齢になっても、身近な人の死を経験したことがなかった。

そんなこんなで、いい年して甘ったれた、想像力の欠けた大人になった。

「身内の不幸」で休む人がいれば、ちゃんと「それはお気の毒に」と思えるし、知り合いの大切な人が亡くなってしまったときには「お悔み申し上げます」と言えるのが常識だと知っている。

でも、ずっと他人事だったのよ。

だから、親を亡くした友人の前で、うっかり、「うちのママがうるさくて」なんて無神経なことが言ったんだよね。


それが一年前までの話。

「死」は突然、私の生活に現れた。


わたしよりずっと健康で、たくましくて、朗らかで、綺麗だった母。

発色がキレイで羨ましかった髪はすっかり抜け落ちて、

泣いているのを見たことがなかった人が子供のように沢山泣いて、

食べることが好きだったのに、何にも食べれなくなって

それで、たった3ヶ月で美しかった人がミイラのようになった。


人間ってこんな状態でも生きることができるんだと不思議に思うほどだった。


アラサー女子たちが集まって「わたし、結婚できないかも~」なんて言いながらも、なんだかんだ落ち着くところに落ち着いて、結婚式にはお涙頂戴の親への手紙を読み上げて、子供を授かって、ときどき孫を見せに実家に帰る。

そういうのが「普通」で、当たり前にあると思ってた。

でも、もう、どうやっても叶わない。


「明日死ぬかもしれないのに、やりたいこと我慢したくない! 人はみんないつか死ぬのよ!」なんて知ったようなこと言って、なあんにもわかってない。

そういうバカで、自分勝手で、世間知らずなわたしが、
大切な人を失った他人の気持ちとか、親孝行の大切さとかに少しでも気づけるように、今感じていることを言葉にしてみようと思います。

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