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英語コーチングprogritの上場と教育における功利主義

progritという英語コーチングサービスが上場した。

語学コーチングという分野で、会社を経営する身として、少しコメントしてみたい。

教育を提供する組織は、規模が大きいほどいいのか?という点について。

つまり、

教育において、顧客(学生)に創造する価値を、合算することに意義はあるのか?

ということを私はずっと考えていた。

年間100人の人に90の価値を提供したとしよう。90というのは、その顧客が主観的に満足度を数値化したものというような理解でいい。その各個人に対する価値と人数を乗じれば900になる。

もしこれを、大規模スケールして年間に10000人の人に50の価値を提供すれば、それは50万になる。

基本的な前提として、スケールすれば、それだけマニュアル化が強まり、顧客に提供する価値は低くなると考えられる。(ただ、マニュアル化して無駄なく、価値あることだけに集中して、逆に価値が上がる場合もある。だから一概にはいえない)

900と50万では社会に提供した価値という観点でみれば、圧倒的に後者の方が大きい。

ここで、注意点。

今、さらっと「社会に提供した価値」と書いたが、

個々人が主観的に感じた満足度と、その人数を乗じた「数」とは何を意味するのか?

人々の満足度などそもそも数値化できないし、それを足し合わせることもできない。

そして、顧客の目線から見れば、90か50かの満足度が全てなのだ。他の人にも高い満足度を提供しているかは関係ない。

つまり、小規模にやっている学校の90のサービスの方が、50の学校より良いという単純な結論が出せる。

だから、上場したり、グローバルな組織となるというような教育機関の大きさは、個人の満足度に関係ない。

よく、小さい規模でやっていた人が、「より多くの人に提供したい」と言って事業化するケースがある。

ただ、多くの人に提供することが善という考え方には、上述のような個人の価値を合算すればより大きな価値になるという功利主義的な考え方がベースにある。

ただし、

ここで考えるべきことが2つある。

それは、一人の顧客目線で、小規模と大規模で、どちらがより価値あるサービスを提供できるかということだ。

まず、大規模にやったほうが、沢山の試行錯誤データが取れたり、それに基づいて大人数で議論し、よりサービスを改善できる可能性が高い。

一方で、教育の場合、人と人のコミュニケーションであり、そのサービス提供者の心の状態がモロに顧客の体験に直結する。

だから、大組織の歯車的な一定の決められた範囲内でサービスを提供する先生が、小規模でオーナーシップを持って意欲の高い先生より、高い価値を出すのは難しいといえる。

どちらもメリデメがある。

もちろん、受講料も満足度に大きく影響するだろう。大規模に展開するには、プロモーション費やオーバーヘッド的な間接費用が嵩み、学生への価値は下がる。

ただ、一つ言えることがある。

大規模にやったほうが、(個人への価値創造の総和ではなく)個人への価値創造が大きくなるということであれば、スケールしたほうが小規模にやっているよりも善であると確実にいえる。

例えば、教育組織であれば、先生が1000人いて、学習者に心理的なアンケートをとって、性格的に相性のよい先生が担当する、というようなことは価値があり、かつ、数人でやっているような塾ではできないやり方だ。

しかし、これも単純な話ではない。

アンケートで推測した人の相性なんて、どこまで真理としての正しさがあるのかわからない。

小さい規模で頑張っている先生の熱意とかのほうがそれを上回る価値創造に繋がる可能性があるからだ。


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