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希望を持つため分断を加速。いいと思った行為を称賛し、ポジションを取る

先日紹介したこの動画で、イェール大学助教授の成田博士が、希望を持つために、分断が必要不可欠であるという主張をされている。

私なりに言い換えてみる。

希望を持つためには、「これをしたらこう変わる」という未来に一定の確信が必要である。

今の世界、特に日本においては分断がなく、ラジカルにこの社会を変える方法が見つからない。

フランス革命も明治維新も、わかりやすい対立の中で、実際にその「相手方」を殺すことで社会が変わった。

今後、社会に必要なのはより分断を明確にしていくことである。

そうすれば、敵が明確になり、それを倒すことで、社会が変わる。

その道筋が見えることが、希望である

と、成田博士の趣旨はこのようなことだ。

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上記の主張は、われわれの生においてクリティカルな問題提起である。

私ハイデガーという哲学者を研究していたが、彼は人間存在の本質は、可能性をめがける、ということだと直観した。

彼のこの直観をどう解釈さればいいか?

つまり、人間の生の体験には常に、可能性をめがけるという構造があるということで、これはもうそれ以上遡ることはできない、ということ。

そういうものなんだということで、ここを出発点にして、いろいろ考えるべきである。

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今、日本では、何か良い可能性をいただきづらいのは、社会に多様性がなく、これをクリアすればもっとよくなるというイシューが見えにくいのだ。

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では、どうするべきか?

私は、もっと行為レベルでの「ファン」「フォロワー」ということが促進されればいいと思う。

例えば、この成田博士のこの主張面白い!この人を応援したい、もっと意見を聞いてみたい、と思えば、フォロワーなるものになる。(ツイッターのフォロワーよりも、もっと心のこもったフォロワー)

ポイントは、人格レベルでフォロワーになることではなく、1つの主張など、行為ベースでフォローしていくことだ。もし嫌なことがあれば、フォローをやめてもいい。

こういうことを積み重ねていけば、自分の価値観が明確になり、対立軸もはっきりしていき、課題が明確になり、もっとよくするための道筋が見えてくる。

平たく言えば、もっとみんな、ポジションをとろう!ということだ。

世界は複雑すぎて一つの明確な主張をすることは勇気のいることである。

でも、自分の実体験に根付いていいと思ったこと、悪いと思ったことは、率直に主張していくことが、社会へのフィードバックとなり、よりよい社会への貢献となるのではないか?

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