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東浩紀さんの言うAI「結婚詐欺問題」に対する疑問

東浩紀さんは、人間はAIに対して感情移入できるか?という問題について、「結婚詐欺問題」と称して持論を語っている。以下引用しよう。

それはさらに言えば、情報機械技術によって人間的な関係や価値判断をもサービスに置き換えられる、という考え方である。東は、この問題について考えるにあたっては、人間そのものの性質を織り込む必要があると訴える。

それは「人格」とはなにかを考えることである。AIの人間らしさの判定方法として有名なチューリングテストには、人間らしさとは人間と同じように振る舞うことだという想定がある。

しかし東は、結婚詐欺を例にこの問題を掘り下げる。いくら恋人としての振る舞いが完璧でも、相手から「あれは付き合っているフリだった」と言われれば、本物の愛があったとは思えなくなってしまう。

人間は単に相手のふるまいを見るだけでなく、その基底にある愛や信頼といった関係性を考えてしまう。

この人間の性質は、政治はアルゴリズムに置き換えられるのかという問題とも密接に関連する。政治にしても教育にしても、人の考えを変えることが重要な営みである。そして人間が考えを変えるのは、人格を相手にしていると信じるからである。したがって、こうした営みはアルゴリズムで代替できない。これが東の考えだ。

https://www.genron-alpha.com/article20221206_01/

この考え方、ちょっと考察が浅い。(というか論点がずれている)

いくら恋人としての振る舞いが完璧でも、相手から「あれは付き合っているフリだった」と言われれば、本物の愛があったとは思えなくなってしまう。

とあるが、
(AIと付き合っていたとして)その付き合っていたときに、「愛が成立しているかどうか?」そこが重要なのだ。

東さんは「人間が考えを変えるのは、人格を相手にしていると信じるから」と語るが、その付き合っていたときに主観的に熱愛をしているということが、イコール「人格を相手にしているという確信」なのである。

東さんのAI結婚詐欺問題は、よくある哲学の「中国語の部屋」と同じだ。ただの情報処理で、意味理解を伴っていないと、それは人間と同様には扱えない、というあれ。

ただ、「中国語の部屋」の思考実験で重要なことは、人間同士で頭の中を解剖したとしても、同様にいつまでたっても原理的に意味理解があるのかはわからないということ。これを解決するには、問いを変えるしかない。それについては以下に詳しく書いた。

相手がAIだとわかってもなおかつ人格を確信してしまうような条件を探求すること、それが論点となるべきだ。

ある人間は、AIに人格を確信するし、違う人間はAIは機械だからということでいつまでたっても確信しない。人それぞれなのだ。

そこを起点に考えていく必要がある。

生産的な議論としては、その人格を確信するための条件はどんなものか?皮膚があるとか、寿命があるとか、いろいろなことが複合的に必要かもしれない。

もう1つは、それが技術的に可能か?いつ頃できるか?というような議論。

こちらを掘り下げるのが良いと思う。



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