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佐藤 航陽『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』を読んだ感想

佐藤 航陽さんが最近書いた『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』を読んだ。既に働かなくても生きていけるくらいの経済力がありながらも、熱意をもって取り組まれているメタバース領域について、どう考えているのか、理解したいと思い手にとって読んだ。

情報として面白いところが沢山あったし、メタバースの重要な側面がどこにあるかを提示してもらえた。

われわれ個人にとってどのようなメリットがあるのか

まず、重要なことは本質を理解することで、著者はメタバースの本質がインターネットの3次元化にあるという。

メタバース革命とは、単なるVR技術の革命ではありません。①コンピュータの性能、②通信速度、③3DCG技術という3つの進化が相まった「インターネットの3次元化」の革命です。

メタバースにせよ、ウェブ3にしろ、どういうことができるのかを把握しても、結局だから私たちにとってどのようなメリットがあるのかを理解しないと意味がない。

本書では、何点か「私たちにとっていいこと」が書かれていたので、いくつか気になったところを引用し感想を書いてみよう。

世界を自分で創れるとして、創りたいのか?

著書は、神を世界を創れる存在と定義し、メタバースは神の民主化であるという。つまり、個人が世界を創れるようになるということだ。

その後、本書では世界がうまく機能するにはどのような要素や運営が必要なのかの説明がなされている。(なにか、完全教祖マニュアルを彷彿とさせる)

ここで私が思った疑問は、メタバース空間を個人が、ツイッターアカウントを作るように簡単に作れるようになったとしても、活気ある世界を作るには、現代においてコミュニティを作るのと同様のハードルがあるということだ。

多くの人に定期的に来てもらえる世界を作ることができるなら、それはメタバース内でなくてもいいのではないか。

たしかに、zoomとslackを組み合わせたような世界(コミュニティ)よりも、3D世界であれば、コミュニケーションは活性化するだろうし、コミュニティは作りやすくなるだろう。しかし、本質的なコミュニティ作りの難しさは変わらない。(どちらかという、コミュニティをつくるような熱意がないことが現代人の課題なので)

個人データの民主化で我々は嬉しいのか?

ウェブ3の大義は、データの民主化だと言われる。本書でも次のように書かれている。

ウェブ3はこれまでGAFAなどのプラットフォーマーが中央集権的に支配していたデータの主導権をユーザーの手に戻し、非中央集権的・分散的なインターネットを実現していこうという流れを指しています。
ウェブ2.0時代では注目という形でSNS上のトラフィックを集めることができた人たちがYou Tuberやインフルエンサーとして経済的な成功を手にしましたが、ウェブ3の時代では人々が欲しがる作品をデジタルデータという形で0から作ることができるクリエイターが経済的な成功を手に入れることになるでしょう。

まず、クリエイターの視点だ。You Tuberや、App StoreやGoogle Play上でアプリを作っているクリエイターからすれば、プラットフォーマーの意向に左右されないというのはよいことだ。

また、広告収入だと短期的な注目の闘いになるが、制作による本質的な価値の創出が収入の源泉になれば、本当に良いものを創る競争になるかもしれない。

一方で、クリエイターでない一般人からすると、そこまで恩恵はないように思える。プラットフォーマーにYou Tubeの視聴履歴やAmazon購入履歴を握られていても、それによる実害は少ないだろう。むしろ自分の興味に合ったものがリコメンドされることは良いことでもある。また、無駄なフェイクニュースなどが蔓延する状態が改善するかもしれない。

人間社会をシミュレーションできるのか?

新しい生態系の仮説を考え、実際にうまく成り立つことを証明することです。世界を変えるためには、これが近道です。…既得権益者と衝突したり会社の上司を納得させたりするなんて時間の無駄。自分の理想とする世界は新しく創り上げてしまえばいいのです。いわゆる独立国のようなものです。
メタバース上に新しい生態系を成立させ、リアルな世界に声をかけて「こちらで活動してみませんか」と参加者を募る。こういうやり方を摂れば、誰も傷つくことはありませんし、領土・領海や財産を誰かから収奪する必要もありません。

人間社会は複雑するがゆえに、その仕組を変えるための正当な根拠となる材料を作るのが難しい。

だから、小さな世界を作ってシミュレーションができる、というわけだ。

ただ、本当にそれができればいいが、本当にシミュレーションとしての効果があるのか?という疑問がある。

本書では書かれていないが、メタバースというリアリティがあり没入できる世界ができたとしても、食事や排泄など生きるための生活はリアルな世界で引き続き行わなければならない。

本当にマトリックスの世界のようにそうした現在リアルで行っている全てのことがメタバース内で完結すれば、シミュレーションは意義があるが、そうなってしまえば、そもそももう仮想世界をそのまま最適化してしまえばいい。

仮想空間ができれば、フジテレビやニッポン放送や野球チームなんて買収する必要はありません。派閥争いをしたい旧世代なんて放置し、自分たちで全く違う世界を新たに創ってしまえばいいのです。

また、このような指摘もあるが、仮にメタバースが使える状態でホリエモンが新しい野球の世界を創るとしても、上述のように、新たにコミュニティを作る問題が出てくる。リアル世界でセパ両リーグで繰り広げて多くの人が注目するプロ野球だからこそ、その1つの球団を買う意義があるのであり、新たな仮想世界でプロ野球を作っても、選手やファンなどの生態系を作るのは至極難しい。

所与の条件を変更できる可能性

個人的に、メタバースの最大のメリットはこれなのではないかと思った。

著者は次のように指摘する。

「人格は身体の特徴に引っ張られている」ということになります。そして、もし人格と身体が切っても切れない不可分なものだと仮定するならば、身体から解放された場合に自分がいったいどんな人格になるのかを自分自身もわかっていない、ということです。

これはとても本質的な指摘だと思う。

外見が変われば、思考や感受性も大きく変わるだろう。

また、外見が原因で形成された内的な特徴(性格など)も、外見が変われば変わるだろう。

もしメタバース世界で、これらを自分で設定できるとすればそれは、所与条件という社会における平等実現を阻害する最大の原因を克服できることになる。

しかし、先の指摘とどうように、リアル世界で一定の活動(食事や仕事など)をしなければいけないのであれば、一定の気休めにしかならないというのも事実だ。

ただ、それでも、救われる人は多いのではないか。

データと量で世界を最適化してどうなるか?

著者によると、メタバース世界において、取得できるデータの量が飛躍的に増えることが、世界の最適化を加速させるという。

アルゴリズムは学習できるデータの量と種類が増えるほど精度を高めることができます。

リアル世界で、私たちの一挙一動のデータを取得するのは難しいが、3次元メタバース世界での行動は、目線から身体の動き、発話などのデータが全て記録できる。それゆえ、そのデータに基づいて、世界の仕組み(アルゴリズム)を最適化できるという。

しかし、そこまでデータが取れるようになったとして、我々はどんな世界を設計するのか?

以前このブログで「全ての問題が解決されてもしょうもないので、ゆっくり今を味わおう」と書いたが、あらゆる問題が解決されてしまえば、意識が消滅し、そもそも何もなってしまう。問題があり、それに挑むのが人間の生なのだと思える。

人的な法からAIによる法へ

次のような記述がある。

単純な世界の問題は法律で対応できますが、複雑化した世界の問題ではAIの力を借りる必要があります。

これはたしかに現実的なメリットだと思う。何百万の人間の動向をケアしながら政策を作るには、データの取得とそれによるアルゴリズムの調整が必要で、人間にはそんな複雑なものを処理できない。

意識をコンピュータにアップロードしてもしょうもない

また、本書で次のようなことが書かれている。

現実世界に脳が存在しないのに、意識のパターンはその人が生きているかのうように存在し続ける。こういうSF映画のような世界が、遠くない未来には現実になっているかもしれないのです。

これも想像をするだけであれば、思考実験的に面白いが、実質的にはあまりメリットがない。以前書いたとおり、意識をコンピュータにアップロードしてもしょうもない

意識をアップロードできたとしても、オリジナルの人間の意識はどこかで消えてしまうので、もしそれがプログラムとしてサーバー上で生きることが確定したとしても、オリジナルが死ぬ前に「おれのプログラムは永遠にこの世界で生き続ける」と思えるだけで、オリジナルは普通に死ぬ。(もちろん、延命は一定程度できるだろうが)

どれほどリアリティある世界であり、どれだけ没入できるか

仮に3D世界を作れるとして、それがどれくらいリアルなものかによって、没入感が変わってくる。

没入感が強く、現実と見間違うくらいであれば、自分は本当にアバターのような姿になり、新しい自分を他者にも受け入れてもらっている実感が伴い、本当の意味で現実逃避になりえる。

しかし、そうでなければ、ただのファミコンと同じ一時しのぎの快楽になってしまう。

リアリティある世界を体験するには、通信速度と、処理速度が重要になるようだ。

特に、量子コンピュータとBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)が鍵を握るという。

メタバース世界をリアルなものにするには相当なコンピュータの処理速度が必要になる。ムーアの法則による処理速度の増加では対処できず、量子コンピュータなみの革新がないと厳しいらしい。

また、脳とコンピュータを接続する新しい技術BMIも必要になる。聴覚や視覚だけでなく五感すべての体験をコントロールしないと本当に没入することはできない。それらに働きかけるには脳に直接インタラクションしなくてはならない。

現時点でも、視覚については本当の世界にいるようなレベルまで来ているようだ。

フィンランドのVRスタートアップVarjo社は、人の目と同じレベルの超解像度を実現するVR端末を開発しています。一般的には人間の目が認識できる最大の角画素密度は60PPD程度とされていますが、Varjo社の最上位モデルは最大70PPDを実現できると謳われていて、世界中から注目が集まっています。

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以上、私たち個人にとって、メタバースはどういう意味を持つのか?という視点で佐藤 航陽『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』を読んでみた。又時間をおいて再読してみたい。

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