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私とピアノの30年⑤:音楽から少しずつ離れた20代前半

色々あったけど無事に高校を卒業した私。
ピアノを辞めるつもりは全くなく、まずは山形に残るか東京に行くか…という究極の2択から始まります。


山形を離れて上京

最後の発表会を終えたあと、今後どうするかを真剣に悩む時期に。
常に頭の片隅にあったのは「一刻も早く山形を出たい」ということ。
私が生まれたのは東京。母も東京生まれ東京育ち。
3歳から山形に住んでいるけど、ずっと「東京の子」として周りから扱われてきたし、仲の良い友達はいるけど思い入れは特にない。
いつかは東京で生活しようと決めていた。
動くなら、何のしがらみもない今だ!

そうだ、東京で水商売をやろう。

水商売なら給料も高い。冬休みからスナックでバイトしてたからある程度、仕事への理解はある。
仕事前にピアノの練習室に通って練習もできる。
バイト情報サイトを片っ端から検索した。
「寮完備!会員制の老舗クラブでキャストのお仕事♪」というタイトルを見つけた。
写真から伝わる高級老舗クラブ。ピアノも置いてある。
とんでもない銀座の有名な高級会員制クラブだった。

面接を受けて採用の返事を聞いた2週間後、私は山形を出て、桜が舞い散る東京の地に足を踏み入れた。

思うようにはいかない銀座での生活

お店の寮に入り、系列店で働く優しい年上のお姉さんとルームシェア。
店長は優しくてイケメン、ボーイさんたちもしっかり指導してくれる。
このままホステスしながらピアノを続けていく…はずだった。

あまりに厳しい教育。No.1のお姉さんにも躊躇なく怒鳴る店長。優しいイケメン店長は、どこにもいなかった。
メイクや出勤時の服装、体型管理なども厳しく指導され、あまりの厳しさに入って3ヶ月で辞めていったお姉さんたちは数知れず。
営業時間が終わってタクシーで寮に帰るのは2〜3時。
平日は練習室に通う体力も気力も奪われて、練習できるのは週に数回。

半年後には違うお店に移籍した。

そんななか、初めての演奏の仕事として、高校生まで毎年出ていた地元の音楽祭への出演依頼が来た。

コンチェルトをやろうとして大失敗

演奏依頼が来たのは良いものの、いつものステージ。
ピアノソロをやるにしても、持ち曲は卒業までに全部使い切ってしまった。
頼る先は1人しかいない。お兄ちゃんと呼ぶ地元の先輩。

お兄ちゃんに選曲してもらおう!と軽い気持ちで相談したら
「コンチェルトやる?レッスンもしてあげるから。」

コンチェルトなんてもちろん初めて。
渡されたのはスクリャービンのピアノ協奏曲。
この曲大好き!と楽譜を買って譜読みしたら、かなりハードルが高すぎた。
最初のレッスンで全く弾けず、却下を言い渡された。
これ弾けって言ったのはお兄ちゃんなのに。

次に渡されたのは、のだめカンタービレで有名なガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルー。
「これならできそう!」とノリノリで、また楽譜を買って譜読みしたけど、馴染みのない音形やリズムに全然ついていけない。
レッスンでは半分しか弾けず、却下された。
弾けって言ったのは以下略。

最後の砦として渡されたのが、のだめカンタービレのドラマ使用曲をエレクトーンとピアノ用にアレンジされた曲集。
そこから、ベートーヴェンのピアノソナタ悲愴の2楽章、モーツァルトの2台のピアノのためのソナタ、ラプソディー・イン・ブルー、それぞれの短縮版をセレクト。

順調に練習も進んでいたある日、お兄ちゃんと合わせのために渋谷で待ち合わせ。
時間になっても来ない。連絡も来ない。
メールの返事もなければ、電話も出ない。
待ち合わせ時間が2時間過ぎた頃、やっと連絡が。

「ごめん!事故に遭って病院にいた!俺は無事だったんだけど、エレクトーンパートのデータが全部飛んだ…

エレクトーンは使う楽器の音などをデータに登録しているので、USBだか何かに入れていたデータが飛んだらしい。
ベートーヴェンとモーツァルトは復旧できたけど、ガーシュウィンが復旧間に合わず。
当日は曲目を減らして演奏。それでもお兄ちゃんと演奏できたのは楽しかった。
本番直前の舞台袖で緊張してガチガチに固まる私の横で、お兄ちゃんがハイテンションになって、なぜかラララライ体操をしはじめたのは一生忘れないし、許さないと思います…

どうしても弾きたかったバラード

翌年。また地元の音楽祭で演奏依頼をいただいたので、お兄ちゃんと選曲会議。
「今年はソロでやれよ〜」と言われて、出された選択肢はショパンのバラード。

私がずっと弾きたいと言っていた、ショパンのバラード。
4曲あるうち、2番を選択。
バラードのなかではいちばんマイナーだし、とっかかりやすい曲だけど、実はいちばん表現が難しい曲。
緩急が入れ替わり、最後は激しい感情の波のような状態から、全て諦めたかのような切ない静かなメロディーで終わる。
1番や4番はいわずと知れた名曲だけど、2番も負けてない隠れ名曲。

譜面だけ見たら技術的にはそこまで難しく感じないものの、いざ手を付けてみたら、ものすごく難しい。さすがは、ピアノの詩人。
激しいパートでもしっかりとメロディーを歌い上げなければいけないので、神経も体力も消耗する。
「こんな曲を作って自分で演奏していたなんて、本当に身体弱かったのかな、ショパンは…?」と疑ってしまうくらい。

レッスンでは毎回コテンパンにされて、何時間も練習室にこもって練習して、やっと本番。

緊張しすぎて、大失敗した。

第2主題の最初で右手がすべって大コケ。最後までなんとか弾ききった。
聞いていた地元の中学生は「うわぁ〜すごい…」「カッコいい〜」と客席から聞こえるくらい感動してくれていたので「この子たちが満足してくれたなら、まぁいっか」と思って戻った舞台裏。
母校の学年主任だった先生に「仕事しながら大曲引っ提げてきたのは感心するけどな、少しはマトモな演奏を聞かせてくれよ…」と、こってり怒られた。

昼の仕事を開始して、練習時間が激減

地元の音楽祭が終わってほどなくして、世界を揺るがすリーマンショックが起こった。
全ての業界に影響があった経済的打撃。もちろん、水商売はコロナ禍と同じくらいの大打撃。社用で使われることが多い銀座の街は閑古鳥が鳴きまくり。
周りのお店はどんどん潰れ、私がいた人気店と呼ばれるお店も暇に。

そこで起こったのが、入店から2年以下のキャストのリストラ。人気があろうとなかろうと、関係なくどんどん切られていく友達やお姉さんたち。
私も例外ではなく。年末でお店を辞めさせられた。
このときに感じたことは、保証がない仕事は怖い

夜の仕事は楽しいし稼げるけど、長く働いても売上があっても、会社員のような退職金や社会保険などの福利厚生は一切ありません
夜の仕事はバイトとして続けて、お昼の仕事をすることを決断。

最初に働いたのは美容室のフロント。
覚えることはものすごく多いし、夜に5時間しか働いたことない私は、早起きと8時間の仕事、夜のバイトで毎日ヘトヘト。
夜の仕事をしていたときの1/3くらいしかもらえないお給料。
銀座のクラブで週3日働いたけど、それでもどっぷり夜に浸かっていた頃には程遠い収入。

ピアノなんて買えるお金はないし、普通のマンションだから楽器不可。
(そもそも夜だけやっていた頃は稼げば稼ぐだけほぼ全部使っていたのが悪い…今も浪費癖直らないけど…)
ずっと愛用していたハイブランドコスメも買えない…
練習室に頻繁に行くお金も時間もない…

週に数回から月に数回まで減った練習時間。
毎日の仕事に精一杯で、音楽と向き合う時間は全然ない。1曲仕上げるのにも無理がありました。

地元の音楽祭への出演辞退

そんな頃、唯一の音楽の仕事(といってもノーギャラだけど)、地元の音楽祭の出演案内が自宅に届いた。

練習量と弾ける曲を考えたら、現実的に考えて無理!
そもそも仕事を休んでレッスンに行く時間とお金を捻出することさえも困難。
本番で山形に行くためにも、リハなどもあるので、仕事を数日休まないといけない。
休んだ分だけ、お給料は減って生活に影響が出る。

今年は見送って、来年までにしっかり仕上げて出演しよう。
とその年は諦めて辞退。

辞退した途端に自分の中にあった糸がプツッと切れてしまった。

生活を削ってまで、年に一度の演奏だけのために練習する必要ある?
練習が充分にできないのに、レッスンに通うの?

そうして、どんどんピアノから遠ざかっていった。
地元の音楽祭には、それ以降、出演することはありませんでした。

電子ピアノを譲り受ける

それから2〜3年くらい経った頃。今所属している会社で働いて、同年代の友達もできた。
数ヶ月に一度、気が向いたときだけ、練習室に通うお金の余裕も少しだけ。

そんなあるとき。職場の同僚が使わなくなった88鍵キーボードをくれると申し出てくれた。
彼はピアノ弾き語りをする、シンガーソングライター。
同じ職場で働いていた、お兄ちゃんに相談してみたら

「昔、アップライトピアノ壊してるし、キーボードでクラシック弾くのは無理だろ…
うちのピアノちょうど買い替えたし、古いのあげるから使いなさい…」

はいはい、そうでした。私、アップライトピアノを弾き潰して壊したんでした。
詳細はこちらで。

で、お兄ちゃんの家にあった私も弾き慣れている、かなーり良い電子ピアノを譲ってもらうことに。
木目の可愛らしい見た目にちゃんとした鍵盤とタッチ。
これで練習室に通わなくて済むし、ヘッドホンで練習できる。

我が家に届いた瞬間、嬉しくてすぐにショパンのエチュードを弾こうとしたら、全然弾けずにガックリ。
数年、ほとんど弾いていない状態なので、当たり前。
ハノンからやり直すことに。

それでも、レッスンに通いたいとか、人前で演奏したいとか、そういう気持ちが芽生えることなく、自分の密かな趣味として、気が向いたときに練習する程度に留まったまま、20代前半が終わるのでした。


ピアノとの出会いからをまとめた「私とピアノの30年」バックナンバーはこちら↓


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