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ABOUT ME 〜やなぎのこと〜

はじめまして。やなぎです。自己紹介として、私のプロフィールや略歴的なものを書いておこうと思います。
ちょっと変わっているのかもしれない、私のこれまでの人生です。
※Update:2024/02/13


私はこんな人です

<ニックネーム>
やなぎちゃん、やなちゃん、おやなちゃんとか。
夜のお仕事時代に出会った友達はいまだに源氏名のなつめ、めめと呼ぶ。

<何をしている人?>
都内のIT企業で広報やってます。たまに人前でピアノ弾いたり、年に数回被写体になったりもしています。

<好きなもの>
クラシック音楽・K-POP・韓ドラ・アート・着物・ファッション・韓国コスメ・お酒

K-POPはBTS・BLACKPINK・Tomorrow X Together・ENHYPEN・LE SSERAFIM・(G)I-DLEあたりが好き。
ファッションはVivienne Westwoodをこよなく愛しています。ギャルソンとかも好き。
お酒は焼酎や泡盛以外なら、わりと何でも飲みます。

<特技というか趣味というか>
日常会話程度の英語を話します。たまに英訳の依頼も受けたりしています。
ピアノは8歳からずっと続けている人生の一部です。
美術館などの展示を見るのが好きで、月に一度は行きます。

<性格>
短期集中型。ガッとやってババッと仕上げるタイプ。
何にでも興味を持つけど、飽きやすい。広く浅くいろいろかじる。
落ち込むときはとことん落ち込む。楽しむときはとことん楽しむ。
よく陽キャやパリピと言われますが、実際は陰キャ。おうちとベッドが大好物。

と、こんなところです。次は簡単に私の人生略歴。

幼少期:引越しと入院ばかりでほぼ記憶がない

1988年10月18日。江戸川区小岩で、ホテルシェフの父と経理バリバリな母の間に生まれました。
当時、父の転勤で引越しを繰り返し、もゆかりもない3歳頃に山形県の高畠町へ定住。

身体が弱くてよく入院してました。方言が分からなかったし、転園の繰り返しで友達も少なかったから、記憶がほとんどない。
4歳頃にシベリアン・ハスキーを飼ってもらい、片時も離れず過ごしていました。ワンコの写真は自宅に飾っていて、今でも一緒。

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3歳くらい。はとこの結婚式にて。溢れ出るお嬢様感。(自画自賛)

小学生:早すぎる人生の分岐点が訪れる

好奇心が爆発し、習い事で1週間のスケジュールが全部埋まる。
水泳・書道・剣道・ピアノ・合唱・英語塾…と、全て自分で「やりたい」と言い出し、学校帰りに友達についていって勝手に入会することも。

ピアノは両親に何年も習いたいと言い続け、小学校3年にやっと習い始めました。
当時の上達スピードは思い返してみると恐ろしいほど速く、1年後にはショパンのワルツを発表会で弾き、学校行事で伴奏を任されるまでに。
詳細はこちらの記事で。

小5の頃、所属していた合唱団で地元の音楽祭に出演したときの中学生の演目で、4つ上のお兄さんが弾くピアノ伴奏の力強い音と上手さに大きな衝撃を受ける。

レッスンでピアノの先生から、そのお兄さんは、後に私の母校になる山形県立山形北高等学校 音楽科の生徒であることを知ります。
私もそこに行けばピアノが上手になると安直に考え、すぐに「絶対に私も同じ高校に行く!ピアノを本気でやってみたい!」と言い出した。

ピアノを始めて3年目。好きな曲以外は練習しない怠け者が本気になった。
音楽高校受験を固く決意し、受験に必要なピアノ・合唱団・英語塾以外の習い事は勝手に辞めてきたので、両親はびっくり。

ピアノの小学生編はこちらで語っています。

中学生:勉強とピアノしかやらない問題児の爆誕

受験準備を進めながらも剣道部に入部。
先輩たちは小学生の頃から一緒に剣道をしていたメンバーで、楽しくゆるく部活をする日々を送っていました。

辞めた習い事の穴は、受験向けのレッスンで埋まって多忙さは変わらず。空いた時間は練習に回すため、塾を全教科受講にして家で勉強する時間をゼロに。
身体が弱いのは変わらず、毎年の入院宣告のたびに練習できないから嫌だ!と大暴れ。

塾のおかげで高成績だったのを良いことに、学校での素行は良くはありませんでした。
課題はほぼ提出しない。授業中は寝る。英検の試験前は教科に関わらず、授業中に参考書を開いている、など。
多分、人生でいちばん頭が良かった時期。

3年生になると、練習のために体調不良と嘘をついて何度も欠席して、友達にバレて「また練習してんの?」とメールがよく来てた。
家族、友達、学校内外の先生方に支えられ、音楽にかじりついた楽しい中学生活でした。

中学時代のピアノ生活はこちら。

高校生:憧れの学校でも問題児

憧れの山形県立山形北高等学校 音楽科に入学。主専攻はピアノ、副専攻で声楽とオーケストラ(1st ヴァイオリン)を取ってました。
夜中まで練習や専門教科の勉強をしたりして、毎日が音楽漬け。

素行の悪さは高校に入って頂点へ。
一般教科の授業は睡眠時間。先生に反抗するだけでは飽き足らず、短いスカート、パーマ、バイト…などなど数え切れない校則違反。
高校時代もよく適当な理由をつけて欠席して練習したり、オーストラリアから友達が来たのを理由に学校行事すっぽかしたり…
音楽以外のことはなーんにもしたくありませんでした。

実技試験やらコンクールやら色々あったので、部活とか恋愛とかみんなが経験しているような青春は過ごせなかったけど、なんやかんや楽しい高校時代でした。

高校生編の詳細はこちら。

卒業後:進学せずに夜の世界へ

もともと目指していた某有名音大付属の短大を受験して合格するも、進学しない選択をします。
色々と理由はありましたが、大きくはこんな感じ。

・自分が大学に行く想像ができなかった
・音大卒でも音楽の仕事はほぼできない、普通の仕事もできるか分からない
・「ピアノに追われない生活」をしてみたかった
・「良い成績を取る」「コンクールで勝つ」から離れてピアノを弾きたい

生まれ落ちた東京へ。生活面や練習面を考えて、行き着いたのが水商売の世界。
昼間は練習やレッスン、夜は仕事、毎月地元に帰って大師匠のレッスン、年に1〜2回は演奏…という生活を3年ほどしていましたが、そんな生活もそう長く続かず。

不規則な生活で慢性的な睡眠不足から始まり、意外と忙しい夜のお仕事で体調を崩して精神的にも不安定に…
リーマンショックの影響もあって、当時所属していたお店を卒業。
お昼の仕事をしながら、夜は銀座のクラブやラウンジで働いていました。

20代:コールセンターから今の会社の前身部署へ

お昼は美容室のレセプションを経て、山形のアンテナショップの契約社員に。夜は銀座でアルバイト。
練習時間など確保できるわけもなく、ピアノからも遠ざかるばかり。

そんな中で契約満了で路頭に迷いかけた21歳の4月。高校の先輩からの紹介でコールセンターのオペレーターに。それが今、私が所属している会社の親会社。
同年代の友達もたくさんできて、楽しく仕事をしてました。
2年くらい経ったある日、風邪から回復したのに声が思うように出ない…。違和感を感じて、検査をしたら、声帯炎を発症+小さなポリープが。
声を長時間使う仕事にドクターストップがかかり、退職か異動の選択を迫られました。

その後、後に今の所属企業になる、チャットボット事業の部署へ異動。
チャットボットの回答や学習データの制作、プロジェクトマネージャー、営業を経て、正社員に。

30代:広報に着任&ピアノを再開

2018年、所属する部署が分社化後し、広報を兼任することに。
今はチャットツールのプロジェクトマネージャーをやりながら、広報やマーケティングに関わっています。

自分の時間にも余裕ができ、2019年からピアノを本格的に再開。
先輩や師匠の門下発表会に出たりして、年に数回は演奏機会をいただけています。
約10年のブランクから人前で演奏できるまでに戻るのに時間はかかったけど、ピアノは私の人生の一部だと気付かされました。

最近では、ありがたいことに周りから「ピアニスト」としてご紹介いただいたり、ご認識いただけることも多くなりました。
少しずつアマチュアピアニストとしての自覚が芽生えています。
たまに人にピアノを教えたりするようにもなりました。

こんな感じの30年ちょっと。
ゆるーく気ままに思ったことを発信をしていけたらと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします!

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