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『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』 ~安らぎと回復のブックカフェ~

カフェのある書店を開いたヨンジュと、バリスタとして雇われることになったミンジュンの二人を中心に、書店に出入りする人たちがお店の内外で考え、しゃべり、聴き、変わり、そして歩む、群像劇風の物語。

まず、この本を読むだれもが、ヒュナム洞書店の佇まいを好きになる。

いま、彼女がある空間を心地よいと感じるかどうかの基準はこうだ。身体がその空間を肯定しているか。その空間では自分自身として存在しているか。その空間では自分が自分を疎外していないか。その空間では自分が自分を大切にし、愛しているか。ここ、この書店は、ヨンジュにとってそういう空間だ。

おそらく店主のヨンジュにとってだけでなく、この店を訪れるみんなにとって、自分を疎外せず大切にできる雰囲気が、ここにはあるのだろう。

ヨンジュは、ミンジュンと一つの空間を使いながら、沈黙は自分と他人を同時に気遣う行為にもなり得るのだと学んだ。相手の顔色をうかがいつつ無理に話をする必要のない状態。その状態での自然な静寂に慣れていく方法も学んだ。

本があって、コーヒーがあって、二人のすべきことがそれぞれにあって、一緒に過ごしてはいるのだけど、静寂を恐れる必要もないような雰囲気。
著者によるていねいな描写のおかげで、私たちまでもがこの本を開くたびに、ヒュナム洞書店に足を踏み入れたような安らぎを味わうようになってゆく。

では、二人とそれを取り巻く登場人物はどのような人たちなのか?

世間で言うところの成功からはずれてしまった人たち、敷かれたレールを進んできたけど何かちがうと気づいた人たち、希望を実現したはずなのに今のありように違和感を覚える人たち・・・。

具体的には、就活でのつまずきや夫婦の不仲、非正規がゆえの理不尽、仕事への失望、将来への不安など、日本にも通じる現代の韓国のさまざまな問題。それぞれの悩みやつまずきが、たとえば次のようなミンジュンによる比喩を通して語られる。

きれいなボタンを作ってきたのに、それをはめる穴がない。

僕は和音だと思うんだけど、ほかの人たちにとっては不協和音のような気がします。

ヒュナム洞書店は、その空間だけでなく、そこで読書すること、会話すること、イベントを開くことなどを通して人々に安らぎと回復を提供する。それぞれの人たちが失ってきた自信や意欲や愛情を取り戻せるような回復装置として。

ここで想起したのは「オープンダイアローグ」だった。
1980年代にフィンランドのケロプダス病院で開発された、統合失調症やうつ、PTSDなどに取り入れられた手法で、治そうとせず、アドバイスせず、ただただチームでの対話を続けていくという精神医療のアプローチ。

気持ちがすっきりするのだけが良いことじゃない。複雑なら複雑なまま、モヤモヤするならモヤモヤしたまま、その状態に耐えながら考えつづけないといけないときもある。

ヒュナム洞書店に来る人たちは、誰しもそれなりの悩みやつまずきを持っていて、しかもそのことを互いにわかりあっている。

また、そうした他者の悩みやつまずきに対して判断、評価するのではなく、正論を押しつけたりするのでもなく、まずは受け入れ、みんなで共有し振り返るというオープンダイアローグ的なプロセスがこの書店にはある。

それはわたしたちからエネルギーを奪っていく一日ではなく、満たしてくれる一日だ。

この本の登場人物に限らず、世の中のみんなが何らかの悩みやつまずきをもっている。ほんとうは、世の中がヒュナム洞書店のような雰囲気で満たされていればいいのだけれど、残念ながら現実の世の中はますます殺伐な雰囲気になってきている。

だからこそ、この本を開くたびに安らぎと回復を与えてくれるヒュナム洞書店のような空間が、クリニックだけでなく、書店だけでなく、いろいろなところにいろいろな形で生まれれば、世界は少しいい方向に動いていくのかもしれないと思った。

ヒュナム洞書店は、これからのボクたちに必要な空間やコミュニティの理想であり、現代の社会に「根を下ろす」べきお手本なのかもしれない。

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