南十字星の真下でⅠ[さらばゴールドコースト]
トライアスロンのプロになると、オーストラリアまで来たものの、気持ちが折れ、すでに限界を感じていた。
クイーンズランド州ゴールドコーストにある、トライアスロンのクラブチームに通い始めて、もう半年近く経とうとしていた。
「自分じゃ、駄目だな、、、」
と自己不信に陥り、なかば腐っていた。そんな中、雄一くんとの出会いによって、引退を意識し始める。僕はトライアスロンのレースで16才の彼にまだ一度も勝てないでいた。
それどころか、伸び盛りである16才との差は日に日に開いている様に思えた。そんなある日、彼から
「キャンベラの大会一緒に行きませんか」
と誘われた。ゴールドコーストから飛行機を乗り継いで行こうか迷っているという。
僕らはクイーンズランド州内であれば主に車で移動し、それ以外は飛行機を使うことが多かった。
「引退レースにちょうどいいかも、、」
と僕は退き際を探していた。2ヶ月後に行われるキャンベラのレースで一区切りつけようと心に決めた。
ここゴールドコーストには、トライアスロンのクラブチームがいくつかあり、北半球が冬の時期は、
「世界中からトライアスリートが集まってくる」
自分も含め、彼ら彼女らの多くは、早朝と夕方から始まるトレーニングに、お金を払って参加していた。
僕はこの情報を、トライアスロンの先輩に、聞いただけでやってきた。そこで同郷である徳島県出身の雄一くんと出会う。
2002年日本は冬だが、こちらは夏の季節であった。若気の至りとは恐いもので既に、6ヶ月近くそこに滞在していた。そして僕は、
「オッケー、シドニーまで来たら、一緒に車で行こう」
と雄一くんに答えていた。ゴールドコーストからシドニーまで約800キロ。僕は無謀にも自転車で行くことを企てる。
当時、住んでいたアパートのシェアメイトに、翌月出ていくことを伝え、旅の準備を始めた。
「ジョーンズサイクル」という自転車屋さんで、自分のロードバイクに、荷台を作ってもらい、専用カバンを取り付けた。そして、
「荷物は最小限に抑える」
とバイクジャージ2枚とTシャツ、海パン、ウインドブレーカーが各1枚だけをそのカバンに入れた。
また、タオルなんていらなかった、セーム1つを選んで、ゴールドコーストを旅立つことにした。
続
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