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スナフキンのサンダルを捧げる[全16話 8200文字]


1

川崎市で働いていた会社の陸上部が

「明日から廃部になります」

と突然、上司に告げられた。

そして会社は、早期退職制度なるものを用意して、まだ3年目の僕に200万円の退職金を提示してきた。さらに辞めても1年間は、会社の寮に残っていいという。

まだ20歳だった僕は迷わずその条件に飛びついた。当時は、お金をあまり使うことがなく、世間知らずで、200万円もあれば、一生暮らせるのではと、勘違いしているアホであった。

退職して2、3日後、先輩のいる鶴見寮へ遊びに行った。一緒に辞めた先輩の佐藤さんを訪ねて行ったのだが、同じ職場で働いていた同期の西畑君と出くわした。

彼は夜勤明けで、寮に帰ってきたところだという。先輩の佐藤さんを誘い、

「ビール片手に風呂でも入ろうか!」

と朝から3人、自動販売機で缶ビールを買った。この鶴見寮には温泉旅館のような大浴場があり、けっこう広い。

そこで湯船につかりながら、ビールを飲んでいると

「海外に興味あんねんな〜、俺と一緒に行かへん?」

と先輩が話しかけてきた。すると、会社を辞めていない西畑君が興味をしめして

「僕も一緒に行きたいです」

と言い出した。先輩は少し困惑ぎみに

「1ヶ月ぐらい行くねんで」

と彼を牽制すると西畑君は余程、行きたいのか、

「ん〜、有休を全部使えば、なんとかなると思います」

と真剣に悩んでいる。その彼の横顔を見ていたら、僕も海外旅行に少しだけ興味がわいてきた。

「とりあえず2週間ぐらいなら、行ってもいいっす!」

と3人で行けば、絶対楽しい旅行になると、その場はおおいに盛り上がった。


2

それから暫くして、パスポートを取りに佐藤さんと出かけた。

「西畑君どうしてます?」

と聞けば、あの日以来、彼との連絡が取れないらしい。しかも会社を無断で休んでおり、会社の人間が西畑君を探し回っているという。

もしかして、事件に巻き込まれたのでは、と心配になり、僕もすぐに電話をしたが、

「電源が入っていないか、故障しているためつながりません」

とアナウンスが流れるだけであった。ほんの数日前、一緒に海外へ行こう、と目を輝かせていた彼はどこに行ってしまったのか。

それから何日かして、先輩と向かった先は川崎駅前にある「HIS」という格安の航空券を売っているお店で、

「来週から10日間、どこでもいいからお得なチケットを下さい」

と東南アジアのタイ往復チケットを3万円で手に入れた。ついに日本から飛びたつ日がやってきたのだ。

3

先輩の佐藤さんはスナフキンという、ムーミンのキャラクターが大好きらしい。

そのスナフキンになりたい願望が強すぎて、ドンゴロスの形をした大きな袋を肩に担いで現れた。

その袋にはポケットがなく、パスポートや財布が着替えや洗面道具と一緒に入っている。買い物の時など、袋の中身を何度も探しまわる、不便極まりないものであった。

僕は、初めての海外旅行で、何を準備していいのか分からず、川崎市の図書館で「地球の歩き方」という本を借りた。また、先輩からの助言で

「とにかく新しい服やカバンは、貧しい国では狙われるから、やめた方がいい」

と言われたが、その本にはどこにもそんなことを書いていなかった。しかし、僕もボロボロのリュックに、古いジャケットの格好で旅に出ることにした。


4

灼熱の太陽と蒸れるような湿気が、僕らを包み込んだ。2人は初めて日本から飛び出し、東南アジアのタイ王国に降りたった。

日本から出るのが初めての2人は、旅行の知識どころか英語も全く喋れなかった。ドムアン空港の売店でリンゴを買おうとしたが、どう言って買えばいいのかさえ分からない。

「マイネーム イズ アップル」

キョトンとする店員にまじめな顔でリンゴを指差し、お釣りを受け取って、買物を済ましてきた先輩を見て人間力の凄さを学んだ。

ムッと込み上げてくる熱気に、着ていたジャケットを脱ぎ捨て、空港の外に出た。するとバイクタクシーやトゥクトゥクのドライバーらしき男たちがやってきて

「どこに行くんだ、俺の車に乗れ!」

と執拗に付きまとってくる。僕らは、バンコクの市街地へ行くバスを見つけて、なんとか乗ることが出来た。

当時は2001年の冬である。その頃のタイは通貨危機の影響でバーツが暴落しており、何を買っても安いイメージがあった。

僕らはバンコクのカオサン通りにある安宿に泊まった。バックパッカーと呼ばれる宿で、2段ベッドが4つ並んでいる。
その部屋には最大8人が寝ることになる。

到着した日、その部屋は佐藤さんと2人だけであったが1泊150円という衝撃的な値段に驚いた。晩飯を食べようと外に出ると、色んな屋台が並んでおり、僕らは、

「焼きソバとビール2本」

ジェスチャーのみで注文した。合計は、たったの100円。その焼きソバは、クソまずいのだが、この値段で文句を言えるわけがなく、一気にビールで流しこんだ。



5

初めての海外旅行でバンコクまでやってきた。次の日の朝、先輩の佐藤さんが

「マレー鉄道に乗って、行けるとこまで、南へいく」

しかも、1人で行くと言いだした。僕は1人になることに戸惑っていたが、先輩は

「9日後にドムアン空港で会おう!」

とドンゴロスを肩に担いで、歩き去った。まるで、スナフキンが冬になると南へ旅立つように、風に吹かれていなくなった。

初めての海外旅行で2日目にして、1人ぼっちになってしまった。カオサン通りのカフェで「地球の歩き方」を読んでいた。すると突然、

「おまえー、日本人やんなー」

と怪しい日本語で喋りかけられた。インドネシアのバリ島出身という男は、

「おまえ、どこ行こうとしとるんや?」

と聞いてきた。僕はただ悩んでいた。先輩が南へ行ったのなら、北へ向かうか、、、はたまた東へ行くか、、、、

「行けるところまで東へ、カンボジアを目指そうと思う」

と咄嗟に出た言葉が、意外にいい考えに思えてきた。

「おまえ、カンボジアはビザがい〜るぞ〜」

とバリの男は拙い日本語で教えてくれた。カオサン通りは旅行代理店がたくさんあり、そこで申請すれば3日後にはビザが取れるそうだ。

まだまだ怪しい感覚は、拭えないが、バリの男を信用して、カフェの隣にある旅行代理店でカンボジアのビザを取ることにした。


6

旅行代理店がビザの申請手続きをしてくれるので、僕はパスポートを預けた。

タイの国では外国人旅行者がホテルやゲストハウスに泊まる際は、パスポートを見せなければならない。

僕は2日目の宿をまだ見付けていないのに、ビザの申請で、パスポートが手元にないことに気付いた。そしてその事をバリ人の男に伝えると

「おまえ、俺の部屋を使ったらえ〜よ」

と男は上を指した。このカフェの2階部分はゲストハウスになっていて、彼はそこに泊まっているという。

バリの男の部屋を見せてもらった。大きなベットが1つにトイレがあるだけのシンプルな部屋だが、充分な広さがあった。

とりあえずそこに荷物を置いて2人で飲みに行くことにした。怪しいバリの男に連れられて、屋台が立ち並ぶ市場までやってきた。

「ここは海鮮が美味いんじゃ」

日本人には、あまり馴染みのない味に、少し戸惑ったが、無理やりビールで流し込んでは、

「うまいねー」

とお世辞を言っていると、バリの男は調子に乗って、どんどん皿を持ってきやがった。

7

コイのような大きな魚を丸々1匹、塩焼きにした皿があった。見た目は旨そうだが、一口食べると

「なんじゃこりゃ〜」

と思わず、箸が止まった。塩焼きにされていたのは表面だけで、中まで火が通っておらず、半分ナマの状態であった。

しばし、やめようと思ったが、その食べかけの、生臭い身を、目をつむってビールで流しこんだ。

ひとしきり食べて呑んで、落ちついた頃、凄まじい吐き気が僕を襲った。僕は屋台の裏に走り、込み上げてきた物を勢いよく吐き出した。

さっきまで食べた、すべての物を吐いてしまった気がする。その後も体の調子が悪く、部屋に戻って寝ることにした。

どのくらい寝ていたであろうか、ズボンの上から誰かに触られている感覚で目が覚めた。横にあのバリ人が背を向けて寝ていた。

「何だ?気のせいか?」

僕はまだ頭がボーッとしていて、もう一度眠りについた。

今度はジーパンのチャックを開けられ、明らかに俺の息子を触られている感覚で目が覚めた。

僕は恐る恐るゆっくりと目を開いた。なんとあのバリの男が俺の息子を触っており、狙われていたのだ。

僕は飛び起きてトイレに駆け込んだ。

「やばい、犯される!!」

さっきまで二日酔いのボーッとした頭は、いっきに酔いが覚めた。僕は急いでトイレの鍵を閉めた。篭ること1時間、夜が明けるのを待てずに部屋を飛び出した。

8

人生初の海外2日目の夜はバンコクの街を彷徨っていた。

タクシーやトゥクトゥクなど乗る気になれなかった。とにかく歩いて、迷いながら、バンコク中央駅にたどり着いた。

夜が明けたばかりの、人がまばらな駅で、ベンチに座り「地球の歩き方」を開いた。アユタヤという遺跡の町がここから2時間くらいで行けることが分かった。

その本には列車の値段が200円と書いてあったが、実際は80円程でキップを買うことが出来た。列車に揺られてアユタヤに着いた。ここで僕が一番心配したのはパスポートを持っていないことであった。

駅前のホテルやゲストハウスに行き

「ノー パスポート、ステイOK?」

と小学生以下の英語で話しかける。

相手に伝わっているのかすごく怪しかったが、何軒か訪ねていくと泊めてくれるホテルが見つかった。

アユタヤの町は、とかく田舎でゆったりとした雰囲気が、僕の心を落ちつかせてくれた。自転車を借りて名所を見て回ったりした。

アユタヤには寺院や仏像など遺跡が沢山あるらしいが、僕はそれらに興味がなかった。水上マーケットや、リヤカーで物を売っている光景を観ているのが楽しかった。

アユタヤのホテルで2泊して3日目の朝、僕は意を決してバンコクに戻ることにした。

9

バンコク中央駅からカオサン通りまではタクシーを使った。僕は例のカフェ手前でタクシーを降りて、こっそり歩いて中を覗いた。

なんとヤツが、こっちを向いて座り、コーヒー片手に本を読んでいた。僕は生きた心地がしなかった。

一旦離れて、今度はカフェの正面を迂回し、隣の旅行代理店に入った。

「パ、パス、パスポート返して!」

バリの男に気付かれずに、何とかパスポートを手にした僕は、隠れるようにバンコク中央駅まで引き返した。

カンボジアには、この駅から国境の町まで列車で行けるみたいだ。一刻も早くバンコクから離れたい気持ちで、列車に飛び乗った。

車窓が都会から、田園風景に変わっていくにつれ、僕の心はようやく落ちついてきた。列車に揺られて約8時間、日が暮れて、アランヤプラテートという国境の町にたどり着いた。

事前に調べていたホテルに泊まり、翌朝、タイとカンボジアの国境を陸路で越えることになる。カンボジアと言えば、アンコールワットが有名で、僕もその名前は知っていた。

図書館で借りて持ってきた「地球の歩き方」はタイの特集なので、カンボジアの情報は、あまり書かれていない。明日から何の情報も無しに旅を続けることの不安と楽しさを感じながら、眠りについた。

10

ホテルを出て国境のゲートまで5キロというので歩いて行くことにした。国境まで続く大通りにでた所で、信じられない光景が飛び込んできた。

永遠と続く人々の列がそこにあった。それらの人々は大きな荷物を抱えて、ただ前を向いて行列を作っていた。

その長蛇の列の横をタクシーやトゥクトゥクが行き交っていた。僕は歩くのを諦め、トゥクトゥクに乗って国境ゲートに行くことにした。

この間、人間が成せる行列に度肝を抜かれ、恐怖を覚えた。後から聞いた話なのだが、あの行列はポルポト政権で迫害を受けたカンボジア難民が、帰国するために数日かけて並んでいるらしい。

Foreigner(外国人)と書かれたゲートには誰も並んでおらず、軍服を着たおっさんが、暇そうに1人で座っていた。

出国カードを書くように渡されたが、タイ語と英語のみで書かれており、名前と生年月日以外どう記入すればいいのか分からなかった。

「ジャパニーズ?」

と入国管理官の男が聞いてきた。

「イエス」

と僕は答え、次の質問を待った。しかし軍服を着たおっさんは、名前と生年月日だけが書かれた出国カードとパスポートを見くらべて、

「オッケー」

とパスポートに出国スタンプを押し、ゲートを通過させてくれた。カンボジア側のゲートも同じような感じであった。

日本のパスポートが如何に信用のある物かを見せつけてくれた。

11

ポイペトというカンボジア側の国境の町にやってきた。ここからシェムリアップの町までは、ピックアップトラックに乗ることになる。

トラックの荷台に15人くらいの乗客がすし詰めで、出発した。カンボジアの道はアスファルト舗装されておらず、至るところにクレーターという穴があり、そこを通るたびに人もトラックも跳ねた。

ピックアップトラックの客は、半分が欧米人のバックパッカー。残りは現地の人達で、中にはニワトリの入った竹かごを抱えてる人もいた。

「女こどもは荷台の中に、男はトラックのあおりに座れ」

と舗装されていない悪路で、あおりに座っているのは、危ない気がしたが、意外と大丈夫であった。途中で何度も現地の人を拾ったり、降ろしたり、時として荷台の中は混雑する。

あおりに座っている自分は体の半分を外に出しながら、落ちないことだけを考えていた。風が気持ちよかった。このピックアップトラックの運転手は猛スピードで悪路をぶっ飛ばした。

踊るように飛び跳ねるこの道のことを

「ダンシングロード」

と呼ぶ。総距離160キロ、大阪〜名古屋くらいの距離であった。もちろん信号機などある訳がなく、この男はクラクションを鳴らしまくって、道を横切ろうとする人や牛を怯えさせた。

のどかな田園風景が永遠と続いていた。痩せ細った水牛が、同じく痩せ細った男に引かれて田を耕している。

たまにアヒルの親子が水田に浮かんでいるのを見つけて心がなごんだ。

12

ピックアップトラックの乱暴な運転にいくらか慣れてきた頃、突然その事故は起こった。

「ガッシャーン」

何かにぶつかった衝撃で車が止まった。自転車に乗った男が道端に倒れていた。トラックの運転手は倒れている男に向かって

「馬鹿やろー、気をつけろ!」

と現地の言葉を浴びせて、何もなかったように車を動かし出した。すると僕の横に座っていた、カナダ人の青年が立ち上がり運転席の屋根を叩いて

「ストップ!ストッープ!!」

と車を止めさせた。さらに欧米人のバックパッカーが2、3人詰めより、運転手の男に謝ってくるように英語で諭した。

苦々しい顔をした運転手は倒れている自転車の男の横まで歩いていった。そして、謝ると思ったが、なんと自転車を足で蹴飛ばして、何か罵声を浴びせ、最後にお金をその男に投げつけて帰ってきた。

この衝撃の一部始終をトラックの荷台から見ていた僕は、平和な日本に生まれて良かったと心から思った。

シェムリアップの町に着いたのは夜だった。何とか宿を見つけて、その日はぐっすり眠ることができた。


13

アンコールワットは有名だが、当時の僕は、寺院や遺跡にほとんど興味がなかった。

今になって必死に思い出しているが、アユタヤで見た景色とカンボジアでの記憶がごちゃ混ぜになっており、アンコールの遺跡など、ほとんど思い出せない。

シェムリアップでもレンタルサイクルを借りて、走り回った。当時は、まだジャングルの中に地雷が残っているから、気をつけろと注意を受けていた。

あと犬が異常に多く、放し飼いにされており、何度も犬に追いかけられた記憶がある。噛まれると狂犬病にかかって死ぬという噂があり、とても怖い思いをした。

カンボジアの屋台はタイに比べて、かなり貧弱な造りで、ガスがなく、薪に火を焚べて鳥を丸焼きにしている所などがあった。

14

シェムリアップの町に3日間滞在して、バンコクに戻ることにした。帰りは乗り合いバスでバンコクまで直行するという。

カンボジアからタイの国境を越えると、すぐさま道が快適になった。途中に何度か、食堂のような所に停車し、休憩をした。

日本のドライブインの原形というか、田舎の駐車場が広い食堂兼土産店。そんなある時、コーラの瓶を見つけたので買うことにした。

「テイクアウト?」

とアロハシャツを着た店員が聞いてきた。僕は

「イエス」

と答えて、待っていた。アロハの青年はビニール袋を取り出し、なんと手で掴んだ氷をそこに入れ、瓶のコーラもその袋の中に注ぎ込んだ。

さらに、ストローをさして、にっこりと笑い、僕に手渡した。瓶が貴重であったのだろうか。

僕はアロハの彼が見ていない所で、一口もそれを飲まずに捨てた。次からはその場で飲んで、瓶を返すことにしようと心底思った。


15

最後の夜はバンコク中央駅近くのホテルに泊まった。明日は早く起きてドムアン空港に行く。

先輩は果たしてどんな旅をしてきたのか、会うのが楽しみになってきた。

「1人で南に行く」

と僕を置いていったのが、まだ1週間前とは思えない程、いろんなことが起きた。佐藤さんなら、マレー鉄道に乗りマレーシアを越え、シンガポールまで行ったのでは、など想いを巡らせながら、眠りについた。

ドムアン空港で搭乗手続きを済ませ、ゲート前の待合場所で先輩を待っていた。明らかにズタボロの、誰も近づかない風貌で、先輩は現れた。

死にかけのスナフキン。カンボジア難民でも、これ程ボロボロの男はいなかった。

「お、おつ、お疲れ様でーす」

と僕から声をかけた。

「ああぁ、拓か」

と先輩は僕に気付いて、にっこり笑った。僕はその笑顔に少し違和感を感じたので、よく見ると前歯が2本抜けていた。

「どうしたんすか、その前歯は?」

先輩は、またにっこり笑って

「これねー、海岸を歩いてたらコケちゃって、、、」

と先輩は照れるように笑って、抜けた前歯を見せた。

「それはそうと、搭乗手続きを急ぎましょう」

と僕は出発時間が迫っている事に、気を取り戻し、出国ゲートを抜けて帰国の飛行機にギリギリ間に合った。


機内の隣席にボロボロの破れたTシャツを着たスナフキンがいる。足元は便所スリッパを履いていた。

「そのスリッパはタイで買ったんですか?」

と僕は何から喋っていいのか、分からない状況で、とりあえず聞いてみた。

「ああぁ、これねー。最初はビーサンやったんだけど、かぶれちゃってね、、」

と先輩は目を落とした。足元をよく見ると親指と人差し指の間が赤くかぶれており、痛々しい傷の痕が見えた。

聴くところによると、先輩はマレー鉄道に乗り、タイ南部にあるプーケットの近くまで行った。そして、まだ開発されていない島があると聞いて、船で行ったらしい。

そこで先輩は海岸線をひたすら歩いて、足がズルムケになってしまった。そして、靴擦れの痛さに耐えかね、その便所スリッパを購入したという。

しかも、開発されていないと言われた島は、工事現場がたくさんあって、今まさに開発中であったらしい。

残念なスナフキンを横に、今度は僕の話をした。本物のゲイに襲われそうになったこと。

アユタヤ、アランヤプラテート、シェムリアップ。先輩がいなくなってからのタイとカンボジアの旅を語った。


16

僕らは成田空港に戻ってきた。入国審査官が先輩を不審者と決めつけ、別室に連れて行こうとしたが、無事に川崎まで帰ってきた。

凍てつく寒さの中、真夏の格好をした2人は街で浮いた存在だったかもしれない。まだ夕方で少し早かったが、いつも行くバーのマスターを見つけて、店を開けてもらった。

話の流れが西畑君にいった時、ふとマスターが、

「昨日、西畑君のお母さんから電話があって、実は長崎の実家に帰ってたんだって。

でも、会社の人とは話したくないというから、会社から連絡があっても、ずっと隠してたって、、、

でも、もう1か月も経ってしまって、どうしたらいい?」

と相談があったらしい。あのマジメで不器用な西畑君が失踪したと聞いたときは、ビックリした。でも、実家にいると聞いて、なんだか安心した。

スナフキン先輩が持っていた、ビーチサンダルに「マイペンライ」と書いた。そして流行っていたチェキを使い、バーのマスターが僕ら2人の写真を撮った。

そして、スナフキンのサンダルと一緒に送るという。本当は西畑君と佐藤さんと3人で行くはずの旅はこういう形で終結した。

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