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【コラム】反面教師の山行き ⑥

2004年に徳島県の山奥にある祖谷村で山師の仕事をはじめた。因みに、この年に熊野古道がユネスコの世界遺産に登録された。

皆伐という山にある全ての木を伐り倒した後の工程を書こうと思う。

谷を挟んで両側の山の木が全て倒されている状態で、集材機を使って木を集める。まず、この架線の構築から見ていきたい。

ロケット屋さんと呼ばれる2人組がやってくる。そして土場から谷向こうの山に向けて打ち上げ花火の巨大な物をセットしていた。

「山の上の方まで撃ち込んでくれんかねー」

と親方は彼らの作業を見ながら言った。この大きなロケット花火には、ナイロンロープがついていて最初に張るワイヤーロープの代わりになる。

「ドッカーン!」

大きな音の割には角度が甘かったか、

「国さん、すんまへん。.....思ったより下やった、、、」

一気に機嫌が悪くなった親方は

「拓よー、おまんが行って上げてこい」

と僕は川を越えてロケット落下の地点まで登った。さらにロケットについてあるロープを引っ張りながら、山の尾根近くまで上げた。

その辺り一帯はアンカーをとるため立木を残してある。とりあえず適当な木を選んで滑車を取り付けナイロンロープを引っ張った。

そして、その途中に3ミリ程の細いワイヤーロープがつけてあるので、その先端がきたところで引っ張るのを止める。

次は滑車にワイヤーロープを通し直して、ナイロンロープを逆に引いてもらう。土場には集材機という装置があり、ここからは基本的にそれが全てを操作する。

またワイヤーロープが通れば徐々に太い物に換えていく。それに伴い山上のアンカーもより強固な物にしていく。

索張り(さくばり)と呼ばれる架線の構築は山師の仕事の中でも一番難しく、危険であった。僕は何度も経験してるうちに勉強して、この4年後に架線技師の資格を取らせてもらった。

この書いている現場は僕が初めて経験した頃の事で、当時は何もかもが新鮮でとても印象に残っている。

またの機会に集材作業や架線でワイヤーが切れた時の話を書ければと思う。


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