愛犬キャット物語 (全3話 3,048文字)
1.オカンの仇
キャットという名の大型犬とお婆さんの物語を書きたいと思う。
引っ越して間もない頃、我が家に生まれたばかりの子犬がやってきた。真っ黒で小さくて、何かに怯えているのか、ずっと震えている様に見えた。
「さぁ、ご飯だよ〜」
とドッグフードを与えても食べようとせず、何故かキャットフードを好んで食べる。
キャットフードばかり食べていたので名前がキャット。
名付けたのは親父で、これからどんどん大きくなる犬にとって、とても迷惑な名前だが、家族全員が「キャット」と呼んで可愛がった。
特にオカンは役回り上、餌やりやお散歩など1番お世話をしていたと思う。
ラブラドール・レトリバーの成長は驚異的で、リードを引っ張って散歩していたオカンが、いつの間にやら、引っ張られる状況に代わっていた。そんなある日、彼女は、
「ほな、キャット!散歩に行こうか」
と家を出た。そこでオカンはキャットに跳びつかれ、顔から地面へ叩きつけられた。
学校から帰った僕は、腫れあがったオカンの顔を見て、
「お岩さんみたいやで」
と言いつつも、痛々しい気持ちになったのを憶えている。
高校で陸上部だった僕は、脚力に自信があった。オカンの仇をとるため、その日は朝からキャットを連れ散歩に出かけた。
隣町にある野鳥の森まで10キロ、キャットが僕を引っ張る形で走った。
そこから童学寺の坂を登り、トンネルを抜け、森林公園まできた所でキャットの足が止まった。そして彼は、
「もう歩けない、勘弁してくれ!」
という顔をしたので、僕は鮎喰川沿いを引きずって帰った。それまでのキャットは、僕の顔を見れば、飛びついて、
「散歩に連れて行け!」
といった態度だったのが、その日を境にお座りして待つという賢い犬の格好をする様になった。
2.親父の威厳
キャットという名の大型犬の物語である。
オカンが怪我をしてから、親父がキャットを散歩へ連れて行くことになった。
自転車の前カゴに、野球のバットとボールを入れ、大型犬のリードを持ちながら、自転車を走らせる。どう見ても危なっかしい格好の散歩であった。
オカンが怪我をしたので、危険だから代わったはずの散歩は、さらに危ない形で親父に引き継がれていた。
キャットが我が家に来て3年で僕は高校を卒業し、家を出た。さらに4年が経ち、弟も
「神戸の大学に行く」
と家から居なくなった。親父はまだまだ元気だが、怒る相手がオカンだけという、物足りなさを感じていたのではないか。
子供たちの代わりに、母方のお婆さんが泊まりに来るようになる。半年から1年毎に神奈川の伯母さんの家とウチの実家を行ったり来たりしていた。
祖母は80歳を過ぎても精力的に働いた。
「まだまだ若い者には負けん」
と夏の暑い日でも庭の草刈りをやり、土を耕し、野菜を育てる。
また、お婆さんはキャットにエサをあげたり家の掃除や洗濯など、とても懇親的であった。
お婆さんの育てた野菜をオカンが漬物にして作ったアテは、さぞかし美味かったであろう。親父の酒も進んだはずだ。
たまにだが、祖母が神奈川に行く時や、うちの実家に帰る際に彼女達3人は、
「親子水入らずの旅行」
を楽しんだ。大体は2、3日で帰ってくるのだが、その間の実家は、親父とキャットのみで掃除が苦手な親父が居間をぐちゃぐちゃにしていた。
旅行から戻り、余韻に浸ることもなく、散らかった家の片付けは、さぞかし大変だったと思う。
またオカンは、近所のうどん屋さんで、働いていた。弟が高校に入る頃からなので、十数年勤め上げたと思う。
ある日、僕はそこの店長と一緒にご飯を食べる機会があった。仕事をしないでフラフラしている僕に、
「お母さんと一緒にバイトでもどう?」
と心配して声を掛けてくれたのだ。
「オレはうどん屋になるつもりはない」
と、オカンの目の前で、無下に断る生意気な時期であった。
その頃、僕は気が向けばキャットを散歩に連れて行き、気が向かなければ、寝そべって遠くを見ているキャットの真似をして、部屋でただひたすら、遠くを見ていた。
いつの頃だったか忘れたが、庭の柵を飛び越えて、
「キャットが家出した」
と聞いたことがある。それは親父とオカン2人が必死になって探し回ったが、見つからず、4、5日して、ひょっこりとキャットは現れたという。
どこかに行きたい場所があったのか、はたまた自由を求めて彷徨っていたのか。
その数年後に同じように家を出て見知らぬ土地で彼は亡くなった。
真っ黒でツヤのあったキャットの体は、白い毛が混じりはじめ、最期は半分くらい白くなり、膿や目やにも出ていた。
普通は10年くらいが寿命と言われるラブラドール・レトリバー。
「我が家のキャットは18年」
という大往生を遂げた。
犬を飼って暮らしたい。これが親父の子供のころからの夢であったそうだ。
賃貸住宅では叶えられなかったが、自分で家を建て、庭を作り、連れてきたのがキャットである。
酒を呑み、時々おこる親父の癇癪は、もしかしたら、愛犬への威厳を示していたのかもしれない。
3.バースをな、知っとるか?
キャットという名の大型犬の物語である。
姉貴の結婚式にグアムへ、家族総出で行くことになった。
姉貴はアメリカの大学を卒業し、そのままラスベガスで働いていた。そしてそこで出会ったジャックという青年と式を挙げることになったのだ。
僕はその頃、徳島県の吉野川上流でラフティングのガイドをしている。徳島の実家から両親を連れ、高速バスで関西国際空港までやってきた。
弟は大学生で、神戸に住んでおり、僕らは関空で合流する。
僕と弟は海外への旅行を、何度か経験していたが、親父とオカンは初めての出国であった。
グアムの空港に降り立ち、到着ゲートの入国審査官に
「どこのホテルに泊まりますか?」
と聞かれた親父は
「アイとな、ジャックのな、ホテル。ほなけん、ジャックにな、聞いたら分かるけん」
と阿波弁で、たたみかけるように喋る。多少の日本語を理解している、入国審査官もお手上げであった。
空港からタクシーでホテルに行く時も親父は
「アイとジャックのな、ホテルにな、行ってくれ」
とタクシードライバーを困らせた。外国人を見ると何故か彼は、
「全員がジャックの知り合い」
と勘違いをしている節がある。
話は遡るが、姉貴が外国人の彼を徳島に連れてきて、初めて親父に会わした時である。親父は、
「バースをな、知っとるか?」
と阪神タイガースのランディ・バースを、アメリカ人が知らないわけがないと怒っていたらしい。
話を戻そう、結婚式の前夜、ホテルのレストランで両家が向かいあって食事をしていた。
家族の紹介で英語と日本語が混じる中、オカンの順番になった。
乾杯のビールを一口しか飲んでいないのに、すでに真っ赤な顔をしたオカンは、
「ジャックさん、アイを宜しく頼みます」
と、とてもシンプルな挨拶をした。
その後の親父の挨拶は、グタグダで通訳のアナウンスが止まっても、彼は
「徳島の酒と焼酎について」
と纏まらない話を喋り続ける。とても間抜けなスピーチをしていた。
まあ、相手方の両親が何を喋ったかなど、飲んでいたので、全然覚えていないが、楽しい結婚式であった。
親父とオカンを徳島の実家まで送り届け、お留守番をしてくれたお婆さんとキャットに声をかける。お婆さんは居間を綺麗に掃除して、なんと晩御飯も用意してくれていた。
そうして姉貴の結婚式を無事に終えた両親は、
「あ〜、疲れたー」
と初めての海外旅行を終えた疲労の中に何とも言えぬ達成感があり、それを見ているキャットは嬉しそうにシッポを振っていた。
完
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