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借りモノの世界で生きる人へ

【エッセイです】ver.1.09

自分の扱う【言葉】が何処から来たか、真剣に考えたコトはあるだろうか。世俗に疎い小童(カワイイ)の私だが……そう、疎いが故のネットの話。

流行語、ミーム、スラング……個人的な認識としては、『共感/共有/あと仲良しごっこ』の為の安易なツールである。
これらの『使用』が、自らの表現の幅を狭め、引いては――

『世界すらもちっぽけ』

――に、変えてしまうのではなかろうか。
同様の種類の言葉や表現から来る安心感。その『内輪』たるサークル内で、歪んだ認識の世界を回り続ける恐ろしさ。俯瞰してみりゃ寒気すら起こる。
そこから革新は生まれるだろうか? どーにも私には腐敗に見える。限りなく縮小した後、廃れ消える。

『流行語etc.』は、『他人が生んだ表現』だ。
世界を見た『他人』が、意識的に、あるいは偶発的に『言葉』として表現した。
それをそのまま拝借する……というのは『他人の目で世界を認識している』と同義だ。
キミの感情すらも、他人に支配されてるかもな。

あえて具体例は出さない。
各々に思い当たるフシがあると信じる。

そしてやるべき事は、世界で起こる諸々に対し

『キミがどのように言語表現をするか』

……コレに注意を払う。シンプルさ。
その『言語表現』が『どこかで見た』と感じるなら、OK、それは他人のモノ。あるいは、無意識に使いまくってきた擦り切れボロボロの表現。

もはや大抵に対し『ヤバい/えぐい』と放つ人は土俵にも上がれない。世界を見くびりすぎだ。

言語表現を鋭利なモノとして昇華させるには……多分詩的な創作がいいんじゃないんですかねぇ。
でないと私みたいに
『おー海、今日、めっちゃ満潮じゃん❗️ キラッキラ❗️ ほぇ〜』とアホ面全開で宣うのだ。

今回の記事に答えなど……いや、全てに答えなどない。私はとにかく気をつけたい。
『なんか最近自分の使う言葉に飽きてきたな〜』って常日頃思っていれば、とりあえず大丈夫そうかな。

おわりんちょ
おやしみチョコ🍫

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