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ドゥルーズ哲学【流動】の私的解釈

【私的解釈なので、全然違う❗️ みたいな反論は現在受け付けておりません】




哲学的思想というのはどうしても『厳然』と存在しているイメージが拭えない。手出しできない場所にある古い考えみたいな。
そこでおそらく彼、ドゥルーズは思ったのかな?

『コレ誰の為にあるんじゃ』

緻密な思考の果てに(あるいは拭いきれぬ不和?)紡ぎ出された哲学的思想は、一体我々小市民の生活にどのように役に立つのじゃ❓
という、まるで小学生の反論とか主婦の疑問みたいな考え、好きですねぇ。

『えっと……なんか人間関係とか政治とか生きる意味とか……』みたいにショボくれてしまうんじゃなかろうか。

別の人の本には、ドゥルーズの話題が出た時に『私は積極的に誤読をする』みたいな事が書いてあった。【誤読】というのは、結構正解めいていると思う。
なぜなら、既に亡くなった人の思想があったとして、厳密に自分の解釈と一致してるかは確かめようがないから。部分的に重なってはいるだろうが、あくまで厳密の場合ね。
プラス、生きていて対話したとしても、やはり厳密な一致を証明するのは難しい。どれだけお互い『そうそう❗️』って同意し合ったとしてもな。
その確かめようがない事に、沢山の時間を割くのは徒労に終わるんじゃないかなーって(๑•ૅㅁ•๑)

つまり、とある『思想』を『ほぼ完全に』理解した上で行動を起こすのは遅すぎる……って感じかなぁ❓
人によっちゃ、行動すら起こさず、更に思考の迷宮に入り浸ってしまうかもだが(私とか)

だからやるべき事は、思想の一部を引きちぎり

『おっ、これええやん』

と自分なりに解釈し、生活に使用する。
なんならハンナ・アーレントの言う『活動』に使うとか、色々かな。
まあペダンチックな野朗にならないように気を払う必要はあるだろうが。

ペダンチックって知ってるぅ❓
衒学的な事さぁ。
衒学ってだって❓
調べりゃええじゃん……まあ、ウザい奴の事やねぇ❗️
↑ペダンチックの実例

はい、今はこの程度の解釈しかありませんが、彼にはとても好感を抱いております。

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