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治療と正常の創作活動

全ての作品は本来、無意図/無目的的であるべきで、分類とは第三者がなんか勝手につけるべきで、作者が最初っから分類ありきで創造してはならない。

おみゅりこ。の晩御飯後の脳内より

『このように伝えたい』という意図が先立ち、それを達成する為に創作物を拵え、めでたく伝わるとする。

何が楽しい……❓

次に、たまたま本にあった草間彌生氏の言葉を。

しばしばこれらの得体の知れない、魂の背後に見え隠れする不気味なものは、怨念にも似た執拗さをもって、私を強迫的に追いかけ廻し、長年の間、私を半狂乱の境地に陥れることになった。  これから逃れ得る唯一の方法は、その「モヤモヤ」、輝いたり、暗く深海に沈んでしまったり、私の血を騒がせたり、怒りの破壊へとけしかけるモモンガア、それらは一体なんだろうかと、紙の上に鉛筆や絵具で視覚的に再現したり、思い出しては描きとめ、コントロールすることであった。

ところでさっき家族と幽霊の話をしていた。
スマホで撮った和室の動画に

んー

という誰のでもない声が入っている。同じような動画がもうひとつある。私も夜中、謎の物音を感知していた経験があるが、家族の為に隠した。

幽霊やイマジナリーフレンド、草間彌生氏や私も持つ『不気味』なもの。全て観念上の話であり、どう頑張っても客観的に証明はできないが、確かに『居る』

私の場合『迫り来る暗幕から逃れる』という自覚された名目のもと、創作をしている。頭の中でほっといたまま漂わせていると様々な不調が生じ、ベッドから起き上がるのも億劫な自分が完成する。

しかしある意味『意図』である――が、自分の想定する『正常』に向かう為の治療でもある。つまり素朴な願いであって、結果として創作が『なされる』

ちなみに草間彌生氏は薬物で症状を抑えている最中、創作能力に低下がみられたとか。
肉体の健康を取るか、創作に人生を捧げるかは自由だが。

とにかく創作は、じっとしていられない人が自然と行うものだ。いちいち意図やら目的を持ち出してまでするもんじゃない。

うそうそ

私がそんな選民思想じみた小言を言うワケないじゃないか。

あ、お風呂に入ります。さようなら❗️

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