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待場京子評 カーター・ディクスン『五つの箱の死』(白須清美訳、国書刊行会)

評者◆待場京子
不可能犯罪ミステリの巨匠カー、名誉回復のための新訳――古典ミステリの真髄がここに
五つの箱の死
カーター・ディクスン 著、白須清美 訳
国書刊行会
No.3606 ・ 2023年09月09日

■さまざまな理由でこれまでスポットが当たってこなかった古今東西の奇想天外な話を、推理作家山口雅也がジャンルを問わずに厳選する「奇想天外の本棚」シリーズ。第一期全十二巻の配本も終盤を迎える今回、満を持して登場するのは、カーター・ディクスンの『五つの箱の死』である。
 ミステリ好きのなかには、「ついに」と膝を打たれる方もおられるだろう。以下、ミステリ通の方々にはいまさら何をという情報ばかりだが、どうかお許しいただきたい。カーター・ディクスンは、本名ジョン・ディクスン・カーのほうが馴染みがあるという向きもあるだろう。カーは一九三〇年代にアメリカとイギリスを往き来しながら、いわゆる密室殺人などの不可能犯罪を売りにした本格的なミステリを精力的に発表し、アガサ・クリスティーやエラリー・クイーンに肩を並べる巨匠である。
 さて、そんなカーの脂の乗りきった時代に書かれた『五つの箱の死』は、さほど高い評価を得ていなかった。あまりにも有名な代表作『孔雀の羽根』と『ユダの窓』に発表年がはさまれていること、トリックがフェアでないと評されてきたことが、そのおもな理由だという。山口氏によれば、今回はカーの「名誉回復」のための試み。読みやすくなった新訳で本作の真価を問う。
 ロンドン。四月の雨そぼ降る深夜一時。家路に急いでいた若き医師ジョン・サンダースは、道端で若い女性マーシャ・ブライストンに呼び止められる。彼女は四階建てのある家の前に立ち、四階にいる父の様子を見に行きたいのだが、ひとりで行くのは怖いといってサンダースに助けを求めてきたのだ。
 請われるままサンダースは四階に登る。そこは住居として使われており、居間にいたのは、蝋人形のように食卓を囲んで座る三人の男と一人の女。みな意識がなく、薬を盛られているようだ。サンダースが調べてみると、そのなかの太った大柄な男は背中から刃物でひと突きにされ、すでに事切れていた。
 死んでいたのはこの部屋の主、投資仲買人のフェリックス・ヘイ。残る三人はヘイともども薬物アトロピンを盛られて昏睡状態だ。謹直な雰囲気の中年男性はマーシャの父で、腕の立つ外科医デニス・ブライストン卿。三十代前半でつややかな黒髪の美しい女性は、美術評論家で画商のボニータ・シンクレア。老年期にさしかかる小柄な男性は、エジプト=イギリス輸入商会の代表者バーナード・シューマン。三人はみな名の知られた、成功を収めた人物だ。一見なんの繋がりもなさそうなこの四人がなぜ深夜に会合を開いていたのだろう。
 事件当夜、サンダースが現場の階下で言葉を交わしたファーガソンと名乗る男の弁によれば、生存者の三人はみな後ろ暗いものを隠している「犯罪者」だという。それを証明するかのように、あるいは犯人がそれを告発しているかのように、事件現場の三人はそれぞれポケットやハンドバッグに、奇妙なもの――四つの時計、目覚まし時計の仕掛け、生石灰と燐、を忍ばせていた。しかも、殺されたフェリックス・ヘイは、自分に万が一のことがあった場合に開けるようにと、厳重に封印された五つの箱を弁護士事務所に託しており、その箱にはそれぞれブライストン卿、シンクレア、シューマン、ファーガソン、残るひと箱には、ヘイとの関係がいっさい分からない女性の名前が記されている。
 こうして事件の謎が深まっていくなか、あの名物探偵が登場する。はげ頭で巨体を揺らして歩き、言葉は尊大にして辛辣なヘンリー・メリヴェール卿、略してH・M卿だ。今回はその登場の仕方にぜひ注目してもらいたい。カーの演出に度肝を抜かれ、笑いがこぼれること必至である。本作では、しかし、そんな人を人とも思わないようなH・Mが、長年の友人に対する優しさも垣間見せ、ほろりとさせられる場面もある。
 謎は多層的で、ひとつを解けばまた次が現れるが、H・Mによる謎解きが最後に有機的につながっていくさまは、さすがは巨匠の筆。サスペンスフルな場面あり、告白調の手記あり、初々しい恋あり、道ならぬ恋あり、様式美と呼びたいほどのトリックあり。熟練の腕で見事に書き分けられた登場人物は、その来し方までもありありと目に浮かぶよう。そして、今回も事あるごとに角を突き合わせつつ、張り合いつつ、煮ても焼いても食えないキャラクターの名探偵とベテラン警部が事件に挑む。
 本作が書かれたのは一九三八年。日本では堀辰雄の『風立ちぬ』が書かれた時期である。大英博物館の前には路上カメラマン。写真好きのH・Mはそこで写真を撮ってもらったりもする。各種犯罪の小道具も、現代人にとってはもはや、のどかさや郷愁すら感じさせる。ゆったりとした気分で力を抜いて、涼しい部屋で読んでほしい。日頃のストレスと暑さに疲れた身体も癒されるはずだ。
(翻訳者)

「図書新聞」No.3606・ 2023年9月09日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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