見出し画像

馬場理絵評 川崎明子『人形とイギリス文学――ブロンテからロレンスまで』(春風社)

評者◆馬場理絵
「人形の人間化」、「人間の人形化」がいかに起こりうるか――人形に焦点を当て、六つの文学作品を読み解く
人形とイギリス文学――ブロンテからロレンスまで
川崎明子
春風社
No.3592 ・ 2023年05月27日

■『人形とイギリス文学――ブロンテからロレンスまで』は、人形に焦点を当て、六つの文学作品を読み解いていく。人形が人間のように心を持つ者として扱われることがあるが、その逆に人間が人形のように受動的な存在となってしまうこともある。本書は「人形の人間化」そして「人間の人形化」がいかに起こりうるかという問いを通して作品分析を行う。
 第一章は、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』において人形が持つ存在感に着目している。孤独に耐える幼いジェインは、愛への強い渇望をボロボロの人形を愛することでしか満たすことができない。成長したジェインは自動人形のような感情を放棄した人間になることを拒み、ロチェスターの操り人形のような都合の良い女性に身を落とす危険を回避し、彫像のようなシン・ジョンとの求婚を退ける。ジェインの成長物語は「人間を愛し人間に愛されること」の探求において展開していくと論じることができるのである。
 第二章は、チャールズ・ディケンズの『荒涼館』のエスターと人形の結びつきを考察する。幼いジェインと同様エスターも人形を心の拠り所とするが、エスターは「服従・無私・勤勉」を体現する象徴として人形を手本とする点においてジェインと大きく異なる。エスターの理想は、「誰かにとって自分の人形のような唯一無二の愛される存在になる」ことである。だが、エスターは結婚によってイプセンの『人形の家』のノーラのような受動的な人形となるわけではない。エスターという指人形の操り手である作者ディケンズは、エスターの幸せが結婚によって実現するさまをはっきりと描き、物語を巧みに閉じるからである。
 第三章は、ジョージ・エリオットの『フロス河の水車場』を扱い、人形を巡って提示されるマギーの問題を分析する。幼少期のマギーは兄トムへの溢れる愛をぶつけるための人形とトムに向けられない怒りをぶつけるための人形を持ち、それぞれの人形はマギーのやり場のない感情の受け皿となる。賢く自己主張が強いマギーは当時のジェンダー規範を逸脱した女性である。結婚をして人形のような受動的存在となる機会を退け、マギーはトムを愛し続ける。マギーは意図せずトムの人生の障害となってしまうが、マギーが人形ではなく直接的にトムに愛を示し、命がけでトムを洪水から救うとき、マギーはトムに許される。しかし二人は助からず、互いを強く抱擁し、死んでいく。
 第四章は、主人公が抱く人形が印象的なフランシス・ホジソン・バーネットの『小公女』を扱う。人形エミリーはセーラの話し相手となり、インド駐在の父の不在の寂しさを紛らわす役割を担っている。父の死後セーラの生活が一変すると、エミリーはセーラと父のつながりを示すものではなくなり、空腹や孤独感といったセーラの人間としての苦しみを共有できないために次第に重要性を失っていく。セーラは人間や動物という生きた話し相手を獲得し、その過程で父に代わる庇護者と出会い、父のいない世界を力強く生き抜いていく。
 第五章は、H・G・ウェルズの『トーノ・バンゲイ』をドールハウスの役割を考察しながら読み解く。ジョージと貴族の娘ビアトリスの複雑な恋愛関係は、幼少期のドールハウスを使った人形遊びを反復する形で展開する。二人は恋人関係となるが、ジョージはもめごとを起こして邸を追い出され、のちに別の女性と結婚する。経済力を得たジョージはビアトリスと再会するが、かつて人形を使って役を演じる遊びをした二人は、今はお互いに相手の演じる「キャラクター」が掴めずぎこちない関係となる。ジョージはかつてドールハウス遊びをしたようにビアトリスと人生という「ゲーム」を「プレイ」したいと望むが、ジョージの求婚が実ることはない。
 第六章はD・H・ロレンスの『息子と恋人』における人形と「犠牲」の概念の関係を考察する。主人公ポールは幼少期にアラベラという名の姉の人形を悪気なく壊してしまい、姉にアラベラを焼いてしまおうと提案する。ポールはアラベラを自分の罪の犠牲として焼く。のちにポールは、彼と関わる女性たち、そして彼自身を犠牲とする様々な試練を経験する。アラベラは「ポールの性質や課題を凝縮した存在」である。母の死を乗り越えることでポールは自らの人生の困難を克服する。
 本書は、人形が文学研究において非常に有効かつ重要な視座を提供してくれることを示している。幼少期の人形との関わりは人格の形成に大きな役割を果たし、生涯にわたって影響力を持つことがある。人間の人間らしさは、逆説的に人間らしくないものとの比較において定義されることが多い。人形を通して人間を見つめるとき、文学作品を根本において支えるジェンダー・セクシュアリティの問題や主体をめぐるさまざまな問題が浮き彫りとなる。各章の考察では人形研究というアプローチによって、六作品の「面白さ」が巧みに論じ上げられている。
(バーミンガム大学博士課程在籍。東京藝術大学ほか非常勤講師)

「図書新聞」No.3592 ・ 2023年05月27日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?