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品川暁子評、B・S・ジョンソン『老人ホーム――一夜の出来事』(青木純子訳、創元ライブラリ)

老人ホームのある一夜を描いた実験小説 九人の意識と行動が同時進行する!

品川暁子
老人ホーム――一夜の出来事
B・S・ジョンソン 著、青木純子 訳
創元ライブラリ

■一九七一年に発表された『老人ホーム 一夜の出来事』は、九人の意識と行動が同時進行する大胆な実験小説だ。登場人物ごとに章立てになっており、それぞれが三十四ページを割り当てられ、ページに番号が振られている。八人の老人と一人の寮母は、同じ場所、同じ時間を共有しており、その意識と行動は一ページ、一行レベルで一致するように書かれている。また発話は太字で示される。
 登場する老人たちは知力や体力がそれぞれ異なるため、各章の冒頭には年齢や既往症、そしてCQ値と呼ばれる認知症の進行度を表す数値(数値が高いと認知症がそれほど進行していない、数値が低いとかなり進行している)が記載されている。どの程度の認知レベルか事前にわかる仕掛けだ。認知症が進行している老人はほとんど意識がなく、何枚も続く白紙ページで表現されている。
 最初に寮母が登場し、その夜に行われることを説明する。まずは食事、次に合唱、作業や歩行訓練、競技をしたあと、演芸会が行われるようだ。だが、老人たちは自分の考えに夢中で、身の回りで起こっていることにほとんど注意を払っていない。そのため、実際に何が行われているのか断片的にしかわからないが、読み進めていくうちにだいたいのことがつかめてくるだろう。
 前半は比較的若い老人たちが登場する。CQ値も高いので、老人たちの生い立ちや性格もわかる。セーラ・ラムスンの意識は、過去の結婚相手や子供たちのことでいっぱいだ。だが、ちゃんと歌を歌い、課せられた「仕事」をきちんとこなし、寮母の機嫌を損ねないようにしている。チャーリー・エドワーズは、真面目で几帳面な性格だ。軍隊でピアノ弾きを務めたあと、バンドマンとして生活していたことを回想している。アイヴィ・ニコルズは仕切り屋で寮母の信頼も厚そうだが、こっそり本を読んでいるのが見つかって寮母に怒られている。ロン・ラムスンは痔の痛みで苦しんでいて、頭のなかは痔のことで埋め尽くされている。どんなにCQ値が高くても身体的な痛みがあればまともな思考ができないということを痛感させられる。痛がる様子はかわいそうだと思うものの、笑わずにはいられないコミカルな章だ。
 後半に入ると余白ページが増えてくる。グローリア・リッジはCQ値も低めで思考にまとまりがない。食いしん坊でほかの人の食事に手を出したため、 「ツネゴン」がやってきて手をつねられている。どうやら寮母から日常的に虐待を受けているらしい。ショネッド・ボウエンはCQ値が高いものの、身体になにか異常が起きているのか、それとも認知症が急激に進行しているのか、意識が急に飛んだり、まばらになったりする。ジョージ・ヘドベリーほど低いCQ値になると、思考は単語レベルにまで下がり、余白が何ページも続く。ロゼッタ・スタントンも同様にほとんど思考していないが、古めかしい言葉がぽつりぽつりと紙面に浮かぶ(訳者のあとがきによると、原文ではウェールズ語を話しているのだそうだ)。
 最終章で寮母がふたたび登場し、どのような「仕事」や「催し物」が行われていたかが判明するのだが、寮母の行動や考えは、これまで読んできた内容からほとんど読み取れず、「そんなことが起きていたのか」と驚かされることになるだろう。認知力や体力が衰えた老人を相手に寮母は女王のようにふるまい、思いのままに老人たちを動かせると思っていた。だが、その思惑がまったく届いていなかったことがわかると、あきれるとともに笑ってしまう。だが、実のところ「あの人たちが何を望んでいるかわからない。でもね、彼らが別世界の住人だってことはわかっている(三一七ページ)」と、寮母自身も他人の気持ちを考えることを放棄しているのだ。
 出版当時、B・S・ジョンソンの作品は本国イギリスであまり高く評価されなかったようだ。ジョンソンは作品を発表するごとに新しい形式を取り入れた。一九六三年に発表された処女作では真っ黒なページが使用され、二作目ではナイフでくり抜かれたページが挿入された。また、章ごとに綴じて箱に入れ、どの章からでも読めるようにした作品もあった。本書でも、意識の同時進行という奇抜な試みだけではなく、白紙が何ページも続いたり、改行が多かったり、文が紙面の上から始まらなかったりして、通常の小説と異なっている。そのため前衛的すぎると思われたのかもしれない。だが、電子書籍が普及しているデジタル社会の現代においては、ジョンソンの作品はまた別の価値を生むように思える。実際、ジョンソンを再評価する動きがあり、二〇一三年には生誕八〇年を記念してエッセイや戯曲など未発表作品を集めた本が刊行された。
 B・S・ジョンソンは一九三三年ロンドンに生まれた。デビュー作でT・S・エリオットに認められ、グレゴリー賞を受賞。三作目の『トロール』でサマセット・モーム賞を受賞した。一九七一年に発表された『老人ホーム 一夜の出来事』は五作目にあたる。
(英語講師/ライター/オンライン英会話A&A ENGLISH経営)

「図書新聞」No.3639・ 2024年5月18日に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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