東京の満員電車で空中浮揚する体験,そして僕は新境地にたどり着いた。

僕は,この夏東京にいた。仕事の関係の研修で,3週間東京の住人になったのだった。

普段,地方の田舎に住む僕が東京に・・・。憧れと不安,期待と恐怖,もう既に消えてしまったかと思われていた思春期の心は,僕の深くに未だ眠っていたらしく,(僕のような地方在住者が希望的観測から都会に持つ)東京という甘美な響きにむくむくと頭をもたげてきたのだった。こうなるともう空想がとまらない。どうしようもない雑念が次から次へと浮かび上がる。口元にはニヤニヤした笑みが・・・。なんとも締まらない話である。一方で,それを打ち消すような考えも僕に現実を突きつけてくる。「隣の人が怖いひとだったらどうしよう」「東京なんて危険な街だから,なんかあったらどうしよう」まるで生まれたばかりの小鹿のようにガクガクと足が震わせそうな妄想が暴走モードに入っていた。もう,こうなるとどんなに頑張ってもどうしようもない。僕の心に嵐は吹き荒れ,暴れまわる妄想や空想たちはトロッコ問題の暴走トロッコのように僕の東京生活のシュミレーションに決断を迫ってきた。ニヤニヤがガクガクになり,ため息を生む。もう行くのが嫌になりかけたとき,突然脳内イベントが発生し見通しの甘い男性週刊誌の特集やスポーツ新聞の3面記事のような空想が救世主のように現れ僕のモチベーションを高めてくれる。そうして,僕に再びニヤニヤがもたらされた。しかしそれも長くは続かず・・・。全てのものは移り変わっていくのである。どんな素晴らしい(と思っている)思考もイメージも全て移ろい行くのである。

何度目のループを巡っただろう。

東京という言葉の持つ魔力に圧倒され,そこから生まれるジレンマにスキャンダルが発覚した政治家や芸能人が記者団にフラッシュを浴びせられながら質問されるときのように揉みくちゃにされながら,僕の思春期の心は揺れていた。ループは永遠に続き,僕はそこから抜け出せないのじゃないかと諦めかけていた。

それでも時間は過ぎていく。

時間というのはフェアーである。時間の流れは,どんな人も一定に過去から現在,そして未来へと運んでくれる。時間は差別しない。僕らは場面や状況によって相対的にそれの差異を感じることはあるけれど,ふと自分という殻から離れて雄大に空を飛ぶとんびの眼から見てみると,やっぱり誰にも同じように時は流れているのだろう。僕らは普段気づかないけれど,僕らを乗せた地球は秒速何十Km,何百kmで移動していると言われている。もうどうしようもないくらい移動していて,それに僕らは気づいてない。それが現実なのである。

かくして,時間は流れていった。

どんなに頑張って逆らおうとしても,時の流れに逆らうことはできない。全てのものは移ろいゆく,それは東京生活を前に揺れまくっている心を持つ僕にも同様だった。むしろ揺れまくる心は,時を刻むために振り子を揺らす柱時計のように,僕に時の流れを刻んでいたのかもしれない。とにかく,僕は時の流れをいやおうなく意識することとなる。気がつくと僕は出発の日まで連れてこられていたのだった。

そして,その日はやってきた。

空港から飛行機に搭乗する。何回目だろう。もう,こなれたものだった。でも,今回はその後住むのだ。僕は,東京に住む。ぜんぜん実感が湧かなかった。このために手続きをした。家も借りる手配をしたし,研修にも申し込んだ。1泊2日の出張では持っていかないスーツケースに何日か分の衣服や生活用品,仕事道具を詰めた。何から何までいつもと違ったし,先にも書いたとおり沢山のシュミレーションもした。でもそれでも実感は湧かなかった。住んでみないと,実際に経験してみないと,僕にはやっぱり分からなかった。そう,さっぱり分からなかったのだ。東京という言葉の魔力や研修という非日常さにすっかり頭は興奮してしまい,ループに入った思考は10000000回くらい巡っていたのだが,身体の方はというと全然ついてこれていなかったのだろう。今思えば,いつもと違うスーツケースの重さが何度も非日常性を告げていたのだとは思いはするけれど,頭が暴走していたそのときの僕には身体の発するその声は届いていなかった。

どのタイミングだったのだろう。僕が東京に住むことを意識したのは・・・。

初めての西新宿の駅に降りたときだろうか?不動産屋さんで契約の印鑑を押したときだっただろうか?不動産屋さんとのメールのやり取りで何度も目にした名前の見知らぬ土地「茗荷谷」へ足を踏み入れたときだろうか?google mapを頼りに坂を下っているときだっただろうか?通り沿いのファーストフード店に週末行ってみようかなって考えたときだろうか?東京のアパートの近くのスーパーを見てホッとしたときだっただろうか?3日分の食料を入れたスーパーの袋の重さをズシリと感じたときだろうか?アパートを見つけたときだっただろうか?アパートの階段を登るときに響く音に忍び足にしたときだろうか?部屋のドアに鍵を挿したときだっただろうか?音を立てないように部屋のドアを開いて中に入ったときだろうか?荷物を置いてクーラーのスイッチを入れたときだっただろうか?服を脱ぎ,汗を拭いて着替えたときだろうか?布団と生活用具を確認して,コップに麦茶を入れたときだっただろうか?

いつのタイミングで東京に住むことを意識したのかは全く思い出せないが,いつの間にか僕は東京の住民になっていた。そして,周囲は無関心に僕を東京の住人として迎え入れてくれていた。とっても歓迎してくれた不動産屋さんの担当のお姉さん以外は・・・。テレビをつけたときにNHKで高校野球をやっていた。その光景は,僕の脳裏に焼きついている。きっと,そのときの僕は頑張っていたのだと思う。

僕は,東京が好きなのだと思う。東京の大学を受験したこともあるし,東京に就職を考えたこともある。東京には,何度も行ったことがあるし,行くこともそんなに苦ではない。とはいえ,住むところではないと思っていたし,公言してきた。東京在住の方には失礼な話なのだが,田舎暮らしに慣れ,一時間に一本の電車やもしくは汽車,座れないことなんて考えられない生活から考えると東京で何度か経験した満員電車は想像を絶する対象でしかないのだ。人見知りの僕にとっては,恐怖ですらある。だから,座席が空いててもスペースが1人分だと基本立ったままつり革をつかんでいる。(詳細は,前回の記事『僕が北海道を好きな理由 ー北海道へ到着,ひんやりと,ブルッ!!そして私はRestroomを探してサマヨッタ』を参照https://note.mu/yasushiorita/n/nad691753a09e)そんな僕が,満員電車!!恐怖でしかないのだった・・・。

お盆休みから始まった研修は,僕に救いをもたらしてくれた。満員ではないのである。それでも恐るべし丸の内線。茗荷谷から乗ると座れなかった。それでもスペースがあるからつり革につかまった僕はある意味快適にお盆休みという非日常である東京での日常生活を開始したのだった。しかし,ここでもやはり時は平等に流れていく。やがて,非日常の東京は日常を取り戻していく。そして,僕は満員電車を経験する。

お盆休みが終わると東京は日常を取り戻していた。その証拠に,駅のホームには列ができており,電車は乗せきれない程の乗客を取り戻していた。僕は,身体の前にリュックを持つことを覚え,電車には背中から乗り込みそのまま押し込む技があることを学んだ。電車の乗客の視線に2本やり過ごして3本目に乗っても10分程度しか経っていないことを知った。それでもどこかで乗らないといけない。僕は満員電車に乗った。でっかい身体をなるべく小さくして,息をするのにも気をつけた。噴出す汗。つり革を持つ手に力を込め,彫刻になった僕がそこにいた。その経験が,今子供たちとだるまさんが転んだをする時に活かされている。動きを止めると,心の動揺も止まる。そんな気がしていた。上手くいっている!!喜んだのもつかの間,流れる汗がポタポタと,その感覚が僕を現実に引き戻す。汗を拭う。身体が動くと心も動く。満員電車で自意識過剰な中年男が1人で奮闘していた。孤独な戦いだった。みんなの視線が僕の滴る汗に向けられている気がした。ポタポタと汗が垂れる度に周りの人のストレスがたまっている感じがした。隣の女性は,この車両に乗ったことを後悔しているだろう。そう思っていた。汗を拭う。そのたびに心は動揺していたのだった。

しかし,人は学習する。それはある意味,ハプニングがもたらしてくれる。

ある時から,僕は僕より少し上の世代のサラリーマンの前に並ぶようになった。その日は,いつもよりか少し早く家を出た。赤坂見附駅の近くにある富士そばでそばを食べようと思ったからだった。僕はそばが好きだ。とっても好きだ。朝から食べたいくらい好きだ。だから,研修会場の近くにある蕎麦屋に行こうと思っていた。でも,遅れるのは許されない研修である。もし,オーダーを忘れられて遅れたらどうしよう,僕が席についても気づいてくれずに食券を取りに来てくれなかったらどうしよう,券売機が壊れていたらどうしよう,食べ過ぎて・・・,などと考えるとリスクが大き過ぎる気がしてそばを食べる気になれなかった。だから,家で卵かけごはんを食べたり,前の日のサラダの残りを食べたり,前の日に買っていたパンを食べたりして,極力時間を使うリスクを減らす涙ぐましい努力をしていた。それが,そばを食べる!!慣れることで,自信がつく,自信は食生活に彩りを持たせることにまで波及するのである。話を戻そう。とにかく,その日僕はいつもより早く家を出た。そうして,いつもより15分早くホームに着いた。いつもと違う顔ぶれだったような気がする。僕は,いつもは1~2本電車をやり過ごして列の先頭に付近から電車に乗っていた。乗れるかギリギリのところで乗り込むのは嫌なのだ。エレベータに乗ろうとした瞬間重量オーバーのブザーが鳴るトラウマのせいか,ギリギリには抵抗があった。乗れるのかギリギリのところで入ろうとしたとき,えっ,お前その身体でこのスペースに乗り込むの?って周りの人が思っていそうで乗り込む気にはなれなかった。しかも,僕は背中で押し込む技術をまだマスターしていない。どう考えても無理だと思っていつもは先頭を目指していたのだった。でも,その日は急いでいた。そばのために。なんとしてでも食べたかったのである。このように,そばは人の心に火をつけるとても有能な食品である。だから,その日の僕は,列の後ろに並んだ。たぶん乗れる。そばのことしか考えていない恋をしたての少年のようなそのときの僕には,怖いものなんてなかった。世界は自分だけのものであり,何でもできそうな気がした。そして,電車が入ってくる。ドアが開く。先頭から乗り込んでいく。僕はギリギリ乗り込むことができた。もう無理かな?僕が振り向いたとき,後ろにい往年の企業戦士が今話題のワールドカップのモールでも通用するのではないかと通用するのではないかと思うほどの勢いで僕を背中で押し込んできた。日本代表候補!!日本の潜在的能力はこうして培われている,まだまだ伸び代がある。そんな風に確信したくらい彼は押し込んできた。それをサポートするようにもう1人企業戦士が。団結。彼らは常に戦っている。僕は,その力を受けて2人分ほど奥に押しやられた。ドアが閉まる。加わっていた圧が少し緩む。そのときだった。火照った僕の顔に結構な勢いのある冷たい風が当たった。クーラーの風だった。救われた。汗が引いていく。ベストポジション。僕は企業戦士にGood Jobと心の中で感謝した。僕は,いつもの満員電車よりリラックスしていた。

企業戦士のおかげでいつもよりリラックスして通勤をしていた僕は,つり革に少し体重を預けて立っていた。いつもと違い身体の力が抜ける。電車の加速,減速に合わせて少し身体が動き,慣性の法則を体感する。そうなると,いつもは感じない感覚を感じるようになる。他の人が僕に触れているのである。前の企業戦士も隣の若い女性も,皮膚が触れても平気な顔をしている。田舎では考えられないことである。僕の身体は,固まろうとしている。何で平気なの?東京に住むということはそういうことなのだろうか?僕は,ここにいるよ。そう心の中で僕は叫んでいた。そのようなことが一変する出来事を大都会東京で僕は経験することになる。満員電車の周辺で僕が叫んだ,その数日後のことだった。

その日は,朝から雨が降っていた。

僕は,東京生活2日目の夕立にあったときに買った折りたたみ傘をさしていた。そして電車に乗り込む。雨の日の電車は,いつもにも増して乗客が多く,そして傘を持った人たちは,僕が乗るのをためらうくらいやや殺気立っていた。いつものように2本やり過ごした僕は,3本目の電車のドアが開いたときに自分の判断ミスを知ることになる。雨の日のいつもの電車は,その前の電車よりも人が多かったのである。そして,人の多さと比例するようにイライラも増していたような気がした。僕はあわてて折りたたんでいた傘をカバンにしまい乗り込んだ。おじさんの持つ傘が触れたのか隣の隣にいる若い女性が眉間に皺を寄せている。おじさんは,ポジションが悪いのか身体をしきりにくねらせながら何か言いたそうである。おじさんが身体をくねらすたびに後ろのおばさんは迷惑そうにその向こうのお兄さんの方に逃げようとするけどギュウギュウ詰めの車内では身動きができず迷惑そうにおじさんを見ている。そんな時,僕は背中で押し込まれた。何重にもおしくらまんじゅうの層ができていた。柔道や相撲やアメフトなど様々なスポーツを経験してきた僕でも今までの人生で経験したことのない圧力を感じていた。うら若き乙女もヒールのエッジを利用して押し込んでいた。こんなに入るのか?僕は都会の人の持つポテンシャルに驚いた。身をよじりながら乗り込んでいた。ドアが閉まる。いつもなら感じる圧力のゆるみが感じられない。ギスギス感はマックスになり,反対側のお姉さんは今にも舌打ちしそうな顔をしている。なんだか僕の心もソワソワし,ゾワゾワに変わろうとしていた。修羅の雰囲気に包まれた車内でイライラの足音も聞こえてきていた。そのときだった。電車が発車した。僕の足が一瞬浮きそうになる。否,浮いたのかもしれない。つり革には人差し指が届いていたものの,僕は身を預けるしかなかった。右に左に僕はなされるがままに漂っていた。何とか立とうと思うけれど無理だった。向かいの彼女の顔が引きつるのがドアのガラス越しに見えた。おじさんは流れに棹差して立とうとしていた。おばさんは,おじさんの前腕で背中を押す格好になっていた。お姉さんは,おじさんの傘を睨んでいた。そうして僕も・・・。僕だって嫌なんだ!!僕だってどうしようもないのに!!!何でみんな勝手に怒ってるんだ!!!!あー!!!!!僕の心にも嵐がそこまで近づいてきていた。ストレスはゲージのマックスに近づいていた。噴火!暴発!それは避けたい。でも,揺れる心はエネルギーをためていた。そのときだった。電車が大きく揺れた。そう感じた。なすすべもなく,波に流されて僕の身体は持っていかれる。足は浮いている。でも僕の身体は倒れない。支えられている。他の誰かに,名前も知らない誰かに支えられている。僕は支えられていた。足はついていないのに倒れなかった。僕は,名前も知らないその人たちを見た。いろんな表情をした人がいた。その人たちの後ろに多くの人が見えた。みんな生きている。そう感じた。そして,その人たちにも大切な人がいて,愛する人がいて,愛されている人がいて,嫌いな人がいて,嫌っている人がいて。ごはんを食べて,トイレに行って,仕事して,本を読んで,愛を語って,風呂に入って,寝て,みんな生活している。そうみんな生きている。みんな一緒,みんな生きている。生き方は人それぞれかもしれないけれど,今,ここで,みんな生きているんだ!!そんな考えが広がった。そうすると,みんな幸せになって欲しいな。心からそう願えた。そうして僕は,心の中で祈ったのだった。


これが僕が東京で得た新たな境地である。僕の手が届かない存在だった大都会東京は,僕に新たなものを与えてくれた。あの日,あの場所にいた全ての人に感謝している。そして,それまでに出会った人々にも。その多くの出会いに導かれて今の僕がいる。


そして,僕はまた新たな旅に出る。新たな境地は,今は既に今の場所になっている。時はいつでも等しく僕を運んで行ってくれている。





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