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楽譜のお勉強【95】ガブリエル・イラーニ『メタファー II』

ガブリエル・イラーニ(Gabriel Irani, b.1946)はルーマニアに生まれたイスラエルにルーツを持つ作曲家で、ドイツの作曲家として長年活動しています。初期は生地であるルーマニアのジョルジュ・エネスコ音楽大学でルネッサンス音楽やバロック音楽、対位法などを教えていました。その後イスラエルのテルアビブ大学で対位法や音楽理論を教えました。1978年と1984年にドイツのダルムシュタット夏期講習会に参加して、当時最先端の音楽の潮流に出会うことで、大きくキャリアを転向することになります。ファニホウ、ラッヘンマン、アルフテルなどのレッスンを受けましたが、特にリゲティ、クルターク、フェルドマンらの音楽思考に傾倒したようです。1988年からはベルリンに移り住みました。

本日はイラーニのエレクトロニクスを伴うバス・フルート(フルート持ち替え)独奏曲『メタファー II』(«Metaphor II» für Bassflöte, große Flöte (1 Spieler) und Live-Elektronik, 2005)を読んでいきます。この作品はフルーティストのエリザヴェタ・ビリュコーヴァ(Elizaveta Birjukova)との共同作業で作曲された作品で、彼女のアルバム「Obvius」に収録されています。このアルバムには私のフルート独奏曲も収録されているのですが、10年以上前のCDなので現在は廃盤のようです。イラーニの収録作品はYouTubeにビリュコーヴァの演奏で動画がありました。

フルートとエレクトロニクスの作品ということで、舞台上で演奏しているのは一人ですから、独奏曲と書きました。しかし、実際には機械をコントロールする人との二重奏です。フルートの音がライブ録音され、遅れて再生されるディレイ効果と、前もって録音されたフルート・パートとの二重奏になるセクションがあります。

曲はバス・フルートの独奏から始まります。まばらに短く奏されるEb4からさまざまな倍音が聞こえ、カラートリル(異なる指遣いで音色の異なる同音をトリルで演奏すること)のロング・トーンへと続きます。そのEbが息の長い旋律断片を演奏するところからエレクトロニクスとの掛け合いが始まります。最初のモチーフはEb4 - D4、続いてE4 - C#4と先行したモチーフを上下に半音広げた旋律片、さらに最初のフレーズの終結音としてC4が奏されます。開始音から少しだけ音域を広げただけですが、7層のディレイと合わさることで、細かく震えながら豊かな差音が聞こえるクラスター状の響きのカーペットになります。バス・フルートが吹き始めてから7つの最初のディレイは1.50秒後、次が3.25秒後、その後はそれぞれ4.25秒後、5秒後、6秒後、7.75秒後、9.25秒後に再生が始まります。ディレイの再生タイミングは少しずつ緩急がついていて、0.75秒から1.75秒までの幅があります。響きが増殖していく様子は聞いていて興味を引くものです。続くフレーズではさらに音域の拡大が行われ、主に上昇していきますが、メロディーのプロポーションはほぼ同様で、ディレイのタイミングも同じです。このようなディレイの層が3回聞かれます。

最初のセクションではメロディーを紡ぐごとに徐々に音域が上方に拡張されていったのですが、続くセクションではそれを受けて高音を担当する通常のフルートによってあらかじめ録音された声部とバス・フルートの二重奏になります。ここでは旋律の上下動が激しく、バス・フルートの高音とフルートの低音が錯綜しますので、実際の演者がどのタイミングでどの音を演奏しているのか判別しにくいのが面白みになっています。明らかに演奏している分量よりも多くの音が聞かれますが、一つの楽器のような様相を示しています。

擬似二重奏の部分が終わると、奏者は楽器を通常のフルートに持ち替えます。そして再び7層のディレイを伴う響きの絨毯が織られていきます。この3つ目の部分では、バス・フルートのディレイと異なり、微分音を伴うクロマティックな刺繍音による細かい動きが中心となります。小パッセージの動きは少しずつ大きくなり、最終的には半音階のようなパッセージを素早い動きで演奏していくことになります。このように、ここに用いられるディレイも、冒頭とは違って、とても細かいもので、0.33秒を中心に、0.34秒(0.33秒2回と合わせて1秒を構成)で作られています。5回目の再生の一度だけ0.67秒の間が開きますが、それでも1秒未満で、最初のセクションの一番短い間隔よりも短いものです。音自体が細かな音価で書かれており、微分音を含む狭い音程での揺らぎになるので、ディレイと合わさって非常に繊細な輪郭のぼやけた模様を描いていきます。最後は半音階が段々音数を減らしていって、E5とF5の2音の繰り返しに集約されていき、終曲します。

アイディアも考え方もシンプルで、リラックスした筆に聞こえる音楽ですが、場面ごとの効果は高く、説得力を感じました。これは、作曲家と演奏家の共同時間が、作曲過程でしっかり取られていたことに由来すると思います。この曲でのディレイの効果の高さ、ディレイ開始タイミングの塩梅などは、耳で試した結果のように思えます。演奏家としっかり打ち合わせて作曲する魅力を再確認しました。

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