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楽譜のお勉強【91】ペーター・ルジツカ『タリス.照射』

ペーター・ルジツカ(Peter Ruzicka, b.1948)は現代ドイツの作曲家、指揮者です。作曲家として多作家で、オーケストラやオペラを中心に非常に多くの作品があります。しかし指揮者としての方が作曲家として以上に有名かもしれません。ハンブルク州立歌劇場の音楽監督やザルツブルク音楽祭の音楽監督を務め、現代音楽に限らずクラシック音楽界を牽引してきた音楽家の一人です。本日はルジツカのオーケストラ作品『タリス.照射』(»TALLIS. Einstrahlungen für großes Orchester«, 1993)を読みます。

『タリス.照射』はシュレーヴィヒ・ホルスタイン音楽祭の委嘱によって作曲されました。大オーケストラのためのと書いてあるように、3管編成のしっかりした管弦楽のために書かれています。オーボエは二本しか用いられません。金管セクションはやや特殊な編成で、ワーグナー・チューバを2本用います。その代わりにホルンが削られて通常の4本から2本になっています。また、チューバ(コントラバス・チューバ)を2本用いているのも特徴です。弦楽器は第1ヴァイオリンからコントラバスまで順に14-12-10-8-6という数で、かなり大きめの管弦楽と言えます。

タイトルの「タリス」とはイギリス・ルネッサンスの作曲家トマス・タリス(Thomas Tallis, ca.1505-1585)のことで、副題の「照射」は放射線照射のことです。タリスという作曲家は特に40声のモテット『Spem in Alium』という曲で有名な作曲家で、混声五部合唱のグループが8つという巨大な編成の合唱曲で、音楽史上よく知られています。この作品に照射による構造分析が行われているかのような不思議な響きを持った管弦楽曲をルジツカは書きました。

タリスの原曲の断片がかろうじて聞き取れるようになるのは38小節目のクラリネットからです。それまでは細分化された高音弦楽器群がハーモニクスで高音域に薄いクラスターを広げています。響きの内部交換が緻密で、ポリリズミカルにずらされた音型が小さな音域のグリッサンドをゆっくりと続ける線と、細かく音程を動かす動的な線が絶妙に混ぜ合わされています。最初は虚空にこの謎めいた雲のような響きだけが聞こえますが、次第に発音のタイミングにシグナルを伴うようになります。具体的にはハープやチェレスタなどを契機に響きが滲み出すように書かれていきます。2本のピッコロによる響きの補強も行われます。響きの雲にはあまりバレないように五連符のパルスが仕込まれていますが、これがウッドブロックによって置き換えられて、次第に響きが実像を結んでいくようになります。

そうして先述のクラリネットによる主題の不確かな提示の後、65小節目からかなりはっきりと弦楽器群によって『Spem in Alium』の主題が奏されます。この主題を担当する弦楽器は10人のソリストで、他の奏者たちは相変わらず高音で響きの雲を作り続けます。この組み合わせの響きはかなり特徴的で、原曲のソノグラム解析によって高次に発生した倍音群を電子的に補強したかのような、奇妙な一体感を聞きました。ソリスト群は少し主題を演奏すると不協和な保続音へと移行し、最初から仕込まれている五連符のパルスを時折聴かせながら沈黙します。高音域倍音の雲はいよいよ厚みを増し、持続時間も長く、打楽器による振動を伴いながらソリストたちと干渉し合います。

92小節からは原曲にかなり近い大規模で複雑なポリフォニーで主題が提示されます。響きの雲は存在し続けていますが、かなり薄められて、主題の方が前景として聞こえます。ただしここで行われている主題の提示はパワフルに主題を突きつけるようなものではなく、弱音器を付けた弦楽器群がごく弱奏で鄙びた響きで演奏するので、古い時代のくすんだ景色を見ているような効果があって、極めて印象的で美しいです。この巨大な分割によるポリフォニーも保続和音へと収束し、五連符のパルスを奏するようになります。ここから金管楽器が低音で対峙するようになります。高音の雲は消え去り、少しずつ音価を短くしながらリズムのジェスチャーを作っていきます。

金管楽器群によるリズムが十分に細分化されたタイミングで133小節からトゥッティ(全合奏)で細かい音型がうねる表現が現れます。ただしこの激しいうねりは一瞬現れてはすぐに静寂の高音息の倍音に閉じ込められてしまいます。うねるジェスチャーの後に長く続く静の音楽はタリスが用いた合唱群の極端な対比による効果にも似ています。

132小節からは管楽器によって薄く伸ばされた響きの絨毯にバルトーク・ピツィカートの弦楽器群が楔を打ち込んでいきます。このバルトーク・ピツィカートはかなり丁寧に作り込まれています。まず、弦楽器ぐんは全員がディビジ(分割)されており、非常に複雑な和音を作っています。それをほんの少しだけリズムをずらして鳴らすことで、壊れた打楽器のような、独特の哀愁と余韻を作っています。最後はじっくりと時間をかけて響きが減衰していって曲は幻のように終わります。

ルジツカの作品は細部の作り込みがとても丁寧で、折に触れて勉強してきたのですが、オーケストラ曲はあまりじっくり読んできませんでした。というのも、手書きでそれほど読みやすくない楽譜であり、判型も大変大きなものが多いのです。『タリス.照射』も、A2まではいきませんが、A3サイズよりも一回り背が高く、扱いに苦労する楽譜です。細かい声部分割が魅力の作品をもとに作曲されているので、仕方のないことかもしれませんが、今日読んでみるまで完全な積読状態でした。ルジツカの評価はやはり管弦楽において大変高いので、他の管弦楽曲も勉強してみようと思いました。

参考までにタリスの『Spem in alium』の動画を上げておきます。

*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では、著作権保護期間中の作品の楽譜の画像を載せていません。ご了承ください。


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