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ドイツのオーケストラ演奏家教育の底力 〜『悲劇的嬉遊曲』について〜

ドイツに来て約11年、いろいろな作曲のお仕事をしてきましたが、その中でもオーケストラとのお仕事を数多くしてきました。オーケストラというと日本では例えばNHK交響楽団のような有名なプロの楽団を思い浮かべる方が多いと思いますが、アマチュアの方々が趣味として演奏を楽しむ団や、学校のクラブ活動で学生が音楽を勉強する団、映画やテレビなどの音楽を専門に録音する団など、さまざまな目的に合わせた管弦楽団がたくさん演奏活動をしています。ドイツには本当にたくさんのオーケストラがあるのですが、私はこれまでプロのオーケストラ、愛好家のオーケストラ、また若い学生のオーケストラのために作品を書いてきました。その中で、ノルトライン・ウェストファリア州立ユーゲントオーケストラ(NRW州立ユーゲントオーケストラ)に『悲劇的嬉遊曲 〜C. P. E. バッハへのオマージュ』(2015)という曲を演奏していただいたときのことをお話したいと思います。

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オーケストラの演奏家とのやり取り等のエピソードを前半でご紹介し、後半では作品について譜例をふんだんに用いてご説明していきたいと思います。記事の後半をお読みいただくためには、記事のご購入をお願いいたします。

NRW州立ユーゲントオーケストラ(Jugendorchester)のユーゲントとは、英語のユース(youth)の意味があります。つまり若い人たち、言い換えると学生のことで、すなわちユーゲントオーケストラとは学生オーケストラのことです。この場合の学生とは下は小学生を含まず、上は大学生を含まないと考えてください。大学に入る前の中学生、高校生による管弦楽団ということです。また、州立(Landes-)という言葉が付く通り、NRW州音楽協議会(Landesmusikrat NRW, *2)という、州の組織が管理運営している楽団です。音楽協議会では、他に小学生によるオーケストラ、ブラスバンド、合唱団、現代音楽アンサンブル等を運営しており、NRW州、ひいてはドイツの音楽文化を担っていく若い演奏家を育成しているのです。(*)

私の知る限り、ほとんどの州に州立ユーゲントオーケストラがあります(全部の州にあるのかもしれませんが、全ては確認していません)。州立のユースオーケストラは多くの街を有する州ごとにに一つしかありませんから、所属している演奏家はみなさん大変優秀です。私の作品『悲劇的嬉遊曲』のリハーサルを初めて聞いたとき、それぞれの演奏家の基本的な力量が私の知る中学生・高校生演奏家の通常の演奏技能よりもかなり優れていたため、さぞかし大変なオーディションをくぐり抜けてきたのだろうと考えていました。オーケストラマネージャーとお昼ご飯を食べながらそんな話を聞いてみると、実はほとんどの子はオーディションを受けていないとおっしゃっていて驚きました。

ドイツにはユーゲント・ムジツィエート(Jugend musiziert、「若者は演奏する」という意味)という音楽コンクールがあります。日本での全日本学生音楽コンクールと似たようなものを想像していただくと良いかと思います。地区大会、州大会、更には全国大会があり、楽器ごとに年齢別グループでセクションが分けられ、それぞれ順位が出るのです。NRW州立ユーゲントオーケストラでは、州大会もしくは地区大会で1位を受賞した参加者に声をかけ、オーケストラへの参加の意志を示したメンバーを軸に楽団を構成しているとのことでした。コンクール1位受賞者、もしくは上位入賞者が揃って都合がつかずにオーケストラに参加することが出来ないようなときにのみ、オーディションは行われるそうです。

この音楽コンクールを運営しているのは、ドイツ音楽協議会(Deutscher Musikrat)という州音楽協議会の上位組織です。全国大会での上位入賞者たちによって構成された国立ユーゲントオーケストラ(Bundesjugendorchester)という驚異的な実力者のみで構成されたユースオーケストラもあり、才能と音楽を続ける意欲を見せる若い演奏家を徹底的に育てていく体制を作っているのが本当にすごいと感じました。

しかし、楽器の演奏能力に優れるとは言っても、まだ経験と知識は年齢に見合ったものです。そこで、プロの演奏家になってから必要とされる素養を、若いうちから経験させていこうという教育的目的があって、参考音源のない新曲の初演をさせたりするのです(今日ではMIDI等で参考音源を最初から用意することも可能ですが、読譜能力を鍛える目標があるので、作品を提供する作曲家は参考音源を求められません)。そんなわけで、オーケストラ作品の発表に力を入れていた私にもお声がかかったのでした。

私がこのオーケストラのための作品を書き下ろしたのは2015年で、楽団が2016年にドイツ国内4箇所とイタリア国内3箇所のコンサートツアーで演奏するための作品として委嘱を受けました。このツアーのドキュメントCDの画像を見出しにしています。画像でご確認いただけるように、ツアータイトルは「Kontraste」(コントラスト)です。現代の新しい音楽、ヴィニャフスキの協奏曲に聴く軽やかなヴィルトゥオジティと若いソリストのスター性、さらに若い感性で挑戦するブラームスの壮大な交響曲という、分かりやすいコントラストを持ったプログラムを、学校の夏休みに合わせた一週間の練習合宿で仕上げます。普段別々の街に住んでいる学生たちは毎週揃って練習することは出来ません(NRW州は端から端まで特急列車で行くと、片道でも3時間ほどかかってしまいます)。ですから、普段はそれぞれに練習して準備をして、合宿期間に本番の感じを叩き込むのです。

演奏の指導に当たるのは主に西ドイツ放送交響楽団(WDR Sinfonieorchester Köln)の団員たちです。NRW州の公営放送局であるWDRが誇るこの管弦楽団は、ドイツでも有数の実力派オーケストラとして知られています。年間に初演する委嘱作品の数も十数曲以上あります。古典のレパートリーももちろん、厚みのある、それでいてコントラストの強い柔軟な音色で定評があります。その団員たちが若い演奏家たちに演奏技術を伝え、困難な読譜に助言し、解釈の幅を議論していくのです。学生演奏家たちの顔を見ていると、普段接している音楽とは違った、全身全霊を音楽に投入していく喜びが本当に特別な人生の価値なのだということを実感しているような充実した笑顔を見せていました。休み時間も、男子はサッカーしたり、女子は尽きない井戸端会議をしたり、仲間意識を高めているのをとても嬉しく見ていました。

毎日夜まで続く一日の練習の後の講師たちの一席に参加させてもらいました。若くてやる気と能力のある演奏家を教えていくのは、それ自体とても楽しいことだと思います。しかし、もう一つ、講師の方々は面白い視点を持っていました。NRW州立ユーゲント・オーケストラの団員は将来音楽大学に進み、プロ・オーケストラに就職する人も多いです。中には西ドイツ放送交響楽団に入団する人もいたりするそうです。自分たちが将来一緒に演奏するかもしれない人を育てている気持ちでやっていると、第1ヴァイオリンの講師が言っていたことがとても印象的でした。

『悲劇的嬉遊曲 〜C. P. E. バッハへのオマージュ』は、優秀なユースオーケストラが演奏することをある程度意図して書かれています。プロのオーケストラのプログラムとしても演奏効果があると思いますが、若い人々が何を考えてこの曲を演奏するのかを楽しみに作曲したのです。まず、タイトルが挑戦的、もっと言うなら意味不明です。普通、悲劇的(tragic)なものは嬉遊(divertimento)的ではありません。さらに、若い演奏家からすると、C. P. E. バッハという作曲家は必ずしも馴染み深い名前ではありません。さすがに大バッハと勘違いする団員はいませんが、名前を聞いたことのない団員は何人かいたようです。

『悲劇的嬉遊曲』という、一見すると支離滅裂なタイトルは、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-1788)という作曲家の作曲様式から考えていくと、意外とスムーズにその意図が透けて見えます。ヨハン・セバスチャン・バッハの次男であるカール・フィリップの音楽は、多感様式(Empfindsamer Stil)と言われ、唐突な感情表現の変化が特徴的です。私がまだ若い頃(20代くらい)、カール・フィリップの曲を聴くのはなかなか大変でした。旋律線の動きや和声の着地所がよく分からない展開を見せるので気持ちが翻弄され、曲の像を掴むことがうまく出来ないので、印象に残り辛かったのです。しかし年が経つにつれて、聴くたびに発見のある彼の音楽に魅力を感じるようになっていきました。

私は普段、かなり計画的に作曲するタイプだと思います。実際、NRW州立ユーゲントオーケストラのための作品の初期スケッチは、短くてシンプルなモチーフから始まり、仕様音域が拡がるにつれて拍の分割をシステム的に増殖させていくという、算数的な音楽を準備していました。若い演奏家が演奏したことのないようなタイプの音楽を、練習すればその面白みが分かっていくような仕掛けをほどこして、感性の扉が開かれればという狙いもありました。しかし、委嘱が決まってからこの管弦楽団の若いフレッシュな演奏を何度か聴くうちに、作品の内容が楽団の音にあまり合っていないような気がしてきたのです。そんな時、ふと私の頭にC. P. E. バッハのオラトリオ『イエスの復活と昇天』(Die Auferstehung und Himmelfahrt Jesu)がちらついてきました。この曲は厳密に読んでいくと、とても計算されて作曲されているのですが、音楽があちこちに方向転換するイメージがあります。

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