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楽譜のお勉強【92】クラウス・ハスハーゲン『音色』

クラウス・ハスハーゲン(Klaus Hashagen, 1924-1998)は、20世紀後半のドイツで活動した作曲家です。20世紀に様々な新しい楽譜の記譜法が試されましたが、そういった試みを紹介するような音楽理論書の中で譜例をしばしば目にする作曲家です。今日、彼の作品が演奏される機会は少ないですが、彼の書くグラフィックな楽譜からはどのような音がするのか、興味をそそるものです。本日はハスハーゲンの『音色』(»Timbres« für Orgel, 1967)を読んでみたいと思います。

私は2018年から2020年までドイツのデトモルト音楽大学で作曲や管弦楽法を教えていましたが、ハスハーゲンはその大学の前身であるデトモルト北西ドイツ音楽アカデミーの最初の年の学生だったようです。ハスハーゲンはそこでトンマイスター科(音響技師・録音技師を育成する学科です)の学生として学びますが、作曲も履修します。当時の作曲科の先生方にはヨハネス・ドリースラーやギュンター・ビアラスという作曲家たちがいました。20世紀のドイツの作曲家としては重要な人たちなのですが、日本で彼らの音楽を聴く機会はまずないでしょう。日本では主に南西ドイツ放送や西部ドイツ放送、ベルリンの大きな音楽祭で取り上げられるようなドイツの現代音楽が紹介される傾向が強いので、ドイツの様々な地方で行われる特色ある音楽祭でどのような音楽が取り上げられているのか、ほとんど知ることはできません。まあこれは逆も同じことです。基本的に現代音楽は地産地消の趣があると思います。

ハスハーゲンの魅力は何といっても図形楽譜の要素を取り入れた魅力的な楽譜です。ただ、多くのヨーロッパの作曲家がそうであったように、彼もまた完全な偶然性に頼って自作品を書くことをためらいました。図形的な楽譜であるけれども、多くのパラメーターが厳格に指定されている楽譜を多く書きました。

『音色』は、オルガン独奏のための音楽です。ハスハーゲンが最も取り組んだ作曲は電子音楽で、他にも合唱音楽もたくさん残しました。独奏曲はそれほど多くはないのですが、オルガンを使った室内楽曲はいくつかあります。電子音響付きのものも含めると、オルガン独奏曲は8曲(数え方によっては組にされる2セットがあるので6曲)残していて、オルガンという楽器に対して思い入れがあったようです。『音色』は1967年の作曲で、創作の全時期に渡って書かれたオルガン音楽の最初の作品ということになります。

楽譜の冒頭に前書きが書かれています。

この作品の主なコンセプトは、音色の変化と種々のアイディアの音楽的表現です。
この作品は、ダイアトニック (白鍵)、クロマティック (すべての鍵)、およびペンタトニック (黒鍵) のクラスターで構成されています。 小さな音符、符鉤のない音符、五線を省略して書かれた音符の音高や密度は演奏者に任されています。 五線上に符鉤で繋がれている音符は、できるだけ早く演奏する必要があり、書かれた通りに演奏する必要があります。 音のピッチに制限はありませんが、音は表記されているおおよその順序で演奏されます。
レジスター(オルガンの使用するパイプのセッティングのことです)は完全に演奏者の想像力と個々の楽器のリソースに委ねられています。 与えられるレジスター指示は、使用されるストップの最大数 (max) と最小数 (min) を示すものだけです。 略語「add」および「subtrakt」は、ストップが追加または差し引かれることを示します。 作品固有の特質を形成するレジストレーションの多様かつ微妙な変更 (例: 音色の変更) を行うために、ストップ・コントロールを操作するために 1 人または 2 人のアシスタントが必要になる場合があります。

オルガン音楽を書くことの難しさが表れている文章です。基本的なオクターブ操作関係のストップはどのオルガンでもおおよそ利用可能ですが、様々な管の音色は厳密に指示すればするほど、演奏可能なオルガンが少なくなります。現代に作られた巨大なオルガンでは相当特殊なストップを持つものも多く、例えば私が長年暮らしたケルンの聖ペテロ教会は芸術ステーションの異名を持っており、現代音楽に特化した特殊なオルガンで、「ノイズ」というストップすら備えていました。管の中で金属片が暴れ回るような音がしました。例えば『音色』を演奏するときに、「max」の指示があれば、このストップも使用するのでしょうか?楽譜から想起される音楽よりもかなり音数自体が増えた印象になり、作曲家のイメージから乖離していくような気もします。

楽譜を見てみると、小節線の代わりに秒数による時間指定があります。秒数は音楽的エピソードごとに指定されているため、一つのイベントが終わるまでに記譜されている内容の演奏は、自由度の高いものです。また、前書きにも書いてあった音の塊(クラスター)は黒い塗りつぶしで表現されていますが、それぞれに白鍵、黒鍵、全ての鍵盤のいずれかの厳密な指定があります。このクラスターの弾き方も、クラスターの範囲によって下腕部、拳、指、両足、片足など、細かく指定してあります。

注目すべきは、音楽的イベントの持続に合わせて、レジスター・コントロールが細かく指定されていることです。作曲家の語る通り、音色の変遷が作曲上の興味であることが分かります。長く伸びているクラスターや、細かく弾かれている単音群が持続を形成しているときに、その音色がじわじわと、あるいは唐突に変わると、表現の面白みはグンと増します。このために1人もしくは2人のアシスタントを付けることも考慮せよと言っているのだと思います。

全4ページのスコアのうち、最初のページでは発音ごとに少しずつ丁寧に音色が変遷する様や、いわゆる指での演奏で単音群が音域全体に散布していく様が聞かれます。2ページ目は主に分厚いクラスターが書かれており、音が長く伸びる中で音色がじわじわと変容していきます。3、4ページは普通に書かれた音が多く、通常の演奏をしている時間が長いです。3ページ目で短2度を繰り返し弾いている箇所が出てきますが、この際も音色はどんどんと作り変えられ、シンプルな連打には聞こえません。この操作は曲の最後にも特徴的に現れ、ハスハーゲンのお気に入りだったのかもしれません。ただ、最後では細かく動く音型と組み合わされていて、より自由な表現になっています。

オルガン奏者はもともと即興のトレーニングが必須ですし、このように即興的な楽句を多く含む楽曲との親和性は高いです。ハスハーゲンの作品以外でも、オルガン奏者に即興的な処理を求める新しいオルガン作品はとてもたくさんあります。彼が想像を膨らませた音色の変遷は、アシスタントを利用することでよりふくよかになる可能性があります。しかし、現代のオルガンでは、レジスターのセットをプリセットとして電子的に記憶させておいて、ボタンひとつでいくつものストップを同時に変更することが可能になったものもあります。このようなオルガンで、『音色』のような一昔前のレパートリーを創造的に弾いてみると、また違った魅力を再発見できるかもしれません。

*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では、著作権保護期間中の作品の楽譜の画像を載せていません。ご了承ください。



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