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楽譜のお勉強【87】ジェラール・ブーケ『コン・ヴォーチェ』

チューバはご存知のとおりオーケストラや吹奏楽で低音を担当する大きな金管楽器です。ルーツは古いのですが、現代のチューバの形は19世紀頃に整ってきて、大合奏で用いられ始めます。しかしロマン派の時代は、そもそも他の時代に比べて管楽器の独奏レパートリーを充実させることに腐心した作曲家が少なく、チューバのためのオリジナルのレパートリーはほとんど皆無と言っても過言ではありません。ロマン派の流れを汲む近代の作曲家、ヴォーン=ウィリアムズなどが協奏曲を書いたりして、少しずつ独奏楽器としての魅力を発揮していきました。今日でも他の金管楽器などと比べてレパートリーの数が多いわけではありませんが、西洋音楽史の中で重要な意味を持つチューバの曲が生まれてきています。

作曲家にとってチューバの学習の難しさは、楽器の種類が多いことが一因としてあると思います。クラリネットなども楽器の種類は多いですが、個別の楽器に対応した重要なソロがオーケストラ曲の中で使われていたりして、大変ではあるのですが、個別の楽器を学ぶためのリファレンスが揃っているとも言えます。チューバのパートはオーケストラなどでも楽器を指定してあることが少なく、曲調や響きの嗜好などをもとにしてそれぞれの曲に相応しい楽器を選んでいるようです。クラリネットと違って、楽器を指定しても、そもそもその楽器を演奏家が持っていないというケースもあるので、楽器を詳しく勉強することで表現の開拓をしたい作曲家は悩ましく感じた人もいるでしょう。

個別の楽器の機能の差異やそこから来る表現の限界の話は一旦脇へ置いておいて、チューバの表現の持つ魅力を、どの種類のチューバを用いても活かせる音楽を書くことを勉強しようと思うと、チューバ奏者が作曲した曲はとても意義深いです。本日はフランスのチュービスト、指揮者、作曲家のジェラール・ブーケ(Gérard Buquet, b. 1954)の『コン・ヴォーチェ』(«Con Voce» pour tuba solo, 2019)を読んでいきます。楽譜はフランスのアンリ・ルモワンヌ社から出版されています。

『コン・ヴォーチェ』とは「声を伴って」というような意味です。同じタイトルでマウリシオ・カーゲルが作曲したとても有名な曲があるのですが、ブーケの『コン・ヴォーチェ』も生まれて間もないとは言え、なかなかの演奏頻度です。この曲は2020年に開催されたジュネーヴ国際チューバ・コンクールの課題曲として作曲されたので、その年は本当によく演奏されたのだと思いますが、現在でも演奏を重ねられている曲になっています。明瞭な記譜、多彩な特殊奏法、演奏家視点で書かれた程よい難易度など、魅力がたくさんあると思います。

曲は全3楽章から成っており、それぞれ注目すべき表現がコンセプチュアルに徹底されています。取り立てて速めのテンポを持つ楽章は第3楽章だけですが、第1楽章は16ビートのパルスを刻むため、ある程度のテンポ感が保証されており、大変ゆっくりとした第2楽章と合わせると、古典的な急緩急の構成になります。演奏時間は約11分ほどです。

第1楽章は最初、大きな跳躍音程(2オクターブを越えることも)を点描的に散らした楽想から始まります。進行とともに少し音を埋めて、アルペジオ様のフィギュアが現れますが、大きく展開することなく、最初のフェルマータ(ある種の終止形)へと帰結します。その後、11小節目からスケルツァンド(諧謔的に)と指示された音楽が始まります。ここから安定感のある16ビートを感じることになります。楽譜は2段で書かれており、上段は「声」や「息」によるアクションにまつわる記譜が書かれ、下段には通常の楽音が書かれています。楽音のパートを見ると冒頭のような跳躍音程で点描的な音楽が描かれていることが分かりますが、その間を縫うように上下行する息音が16分音符で刻まれています。息音はイントネーションで書かれており、ピッチはなく、低い感じの音質、高い感じの音質を[u]から[i]の母音の口の形を使って狙います。また、息を吸ったり吐いたりする指示も書かれています。人体は息を吸い続けることは極めて困難ですから、基本的に吸う指示の箇所はごく短い音符もしくはパッセージです。グロボカールやホリガーが探究した、呼吸の吸う音と吐く音の両方を用いることによって、エンドレスに音楽を続けることができる管楽器書法の伝統に則った音楽と言えるでしょう。第1楽章の後半では、声による歌を伴い、差音などを発生させてビリビリ震える表現を狙った音楽が出てきますし、同音連奏を指を変えて異なる倍音を用いて行うビスビリャンド奏法も見られます。これらの技法は、それぞれ第2楽章と第3楽章で追求される形で登場します。

第2楽章は大変ゆっくりとした(BPM=40)、響きの推移を味わう音楽です。最初はハーモニーを意識した音程で、Ab上にD、F、C#と歌って、モチーフとなる旋律線を聴かせます。この旋律は繰り返されますが、最後にBb-Dという結句を伴って、旋律を完成させます。そこから、次第に不協和や差音を強く意識した音選びに移行していきます。DとEbのトリルに対し、同じ音程をゆっくりとグリッサンドする音型を歌ったり、歌唱の母音を変更したり、短2度でぶつける音を多用したりします。第2楽章の後半では、歌唱は息を潜め、様々なトリルの技法が追求されます。大きな音程をゆっくりとアルペジオで上下行する旋律線をトリルで彩っていきますが、多くの場合はハーフ・トリルで、人声に近い響きになっています。

第3楽章は快活なリズムでトッカータ的に進行する音楽です。特に速い音型では同音連奏が多用されますが、この時にビスビリャンドで演奏したり、声を伴って面白みのある響きにしたり工夫をしています。第3楽章の最後に一瞬だけ出てくる要素としてそれなりに速い同音連奏を楽音と声の交替で行う箇所があります。この箇所の効果は大変面白く、いくつかの演奏を聴き比べてみると、演奏家によって個性も出やすい場所だと感じました。この表現が曲全体の中で1小節しかないことは残念で、この技法を追求して音楽が書けるのではないかとさえ思いました。

私は日本とドイツにチューバを演奏する良い友人がいます。皆さん、新しいレパートリーの開拓に真剣です。作曲家に楽器の魅力を伝えるべく、日頃から啓蒙活動をされている方ばかりで、彼らの活動に向かい合う時には大きな刺激を受けます。本日ご紹介した『コン・ヴォーチェ』の動画は、私の感性で聴いて、音楽表現が柔軟だと感じるものを選びましたが、他にもいくつも動画がありました。特に息を使った表現や声を使った表現は奏者によって違いが現れやすいように思いました。ぜひ、他の演奏も聴いてみてください。

*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では、著作権保護期間中の作品の楽譜の画像を載せていません。ご了承ください。

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