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同一楽曲のバージョン違い 〜『まごつき笛』と『まごつき笛、拡声』

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特定の楽器のために書かれた独奏曲や小編成の室内楽曲には、別の楽器のために編曲された別バージョンが作曲家本人によって用意されることがあります。オリジナルの楽曲を聴いた他の楽器の演奏家が、自分の楽器でも演奏してみたいと思ってリクエストするケースと、作曲家自身が他の楽器で演奏しても面白そうだと可能性を見出すケースが主な2つの理由です。他に、オリジナル楽器を変更せず、ピアノ伴奏パートを室内楽やオーケストラに直したものも、別バージョンと言えます。ロマン派の独奏器楽曲の多くはピアノ伴奏が付きましたし、それをオーケストラ伴奏に直したバージョンは本当に数多く存在します。私の場合、演奏家から別バージョンのリクエストを頂いたことがないので、自作品編曲の仕事はほとんどしてきませんでした。しかしフルート独奏曲をフルート独奏と三重奏に編成を拡大したバージョンを作曲したことがあります。『まごつき笛』(»Mumbling Flute«, 2012)と『まごつき笛、拡声』(»Mumbling Flute, Reinforced«, 2013)です。

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『まごつき笛』はフルーティストのカミラ・ホイテンガさんの依頼で作曲されました。単旋律楽器のための作品ですから、単一声部の旋律を作曲します。その旋律をフルートの柔軟なテクニックを活かして様々な音色を駆使することで旋律線をぼかし、旋律がモゴモゴ言っているような音楽を目指しました。単旋律のみでなく、有名なバッハの無伴奏作品等に見られるように、単声ではない考え方で複数の旋律を一人で演奏できるように16分音符分ずらしたりして処理する箇所もあります。様々な方法で複数の旋律を同時に進行する音楽に組み込もうと努力した結果、演奏がとても忙しい曲になりました。『まごつき笛』と『まごつき笛、拡声』を合わせると、これまでに6人のフルーティストが演奏してくださったのですが、みなさん一様に演奏がとても難しいと仰っていました。二つの声部を吹き分けるもので、最も難しい箇所は以下の箇所です。

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(»Mumbling Flute«, ©Edition Gravis GmbH)

最初の画像での逆アクセント型の音符はピツィカート奏法です(舌で鋭い打楽器的な響きのアーティキュレーションを施す奏法)。下向きの黒い三角音符はタングラム奏法です(舌で吹き口を勢いよく塞ぐことによって記譜(指使い)の7度下の音を打楽器的な響きで鳴らす奏法)。続く画像の黒丸音符は普通の奏法による通常のフルートによる楽音ですが、三本の斜線が符幹(音符の棒部分)に引かれているため、フラッタータンギング(巻き舌)を短い音価に対して施す必要があります。この部分の一番の難しさは楽器に対する口のかたち(アンブシュア)が次の音に行くたびに著しく変わることです。通常の音やピツィカートと違ってタングラムは吹き口から空気が漏れてはいけないので、マウスピース自体を唇で覆います。つまり、これらの箇所で演奏される音たちは、連続でスムーズに演奏することは出来ず、各音ごとに口でマウスピースを覆うのと離すのを繰り返す必要があるのです。楽器を持つ手を各音ごとに微妙に回転させ、マウスピースを口の方に寄せます。ただし寄せすぎると手首が反ってしまって指が動かし辛くなるため、首も少し下に傾けて唇がマウスピースに到達するようにします。どの奏者も、この動きの最短距離を探し出すことに苦心していました。大きな動きをしてしまうと演奏が全然間に合わないためです。しかし、依頼主のカミラ・ホイテンガさんと技術確認のミーティングを何度が行って書き上げた作品なので、「大変難しいけど可能」ということは分かっていました。その効果は大きく、著しく異なる音色による2声部の吹き分けは、立体的な響きを作り出しました。

作品の冒頭では、遥か彼方から聞こえてくるような、ゆっくりした旋律を作曲しました。旋律は遠景にありますが、近くを蠢く影がちらつきます。この疾走する楽句を旋律の間に仕込んでいく構造になっています。この部分を作曲している最中に、すでに別バージョンのアイディアが私の中に浮かんでいました。作品冒頭の楽譜をご覧下さい。

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旋律はG6、F6、D6と続きます。F6はタイで結んでいますので、一つの持続であることが分かりますが、実際にはその間に挟まれる走句に阻害されて分断します。さも何事もなかったかのように後続のF6に戻る技が演奏解釈の見せ所になります。残響時間の長いホールや教会での演奏は有利でしょう。別バージョンを作るならば、電子音響のサポートを受ければやはり簡単にこの構造の実現が現実的になります。しかし私の中には全く違うインスピレーションがありました。『まごつき笛』は素晴らしいフルーティストの技術的助言があって完成した作品なので、この部分を容易に書き直すのは「何か違う」と感じており、フルート一本ではどうしても構造上の効果が弱まる部分を他の楽器にサポートさせたらどうかと感じたのです。

2012年9月、『まごつき笛』はボンで初演されます。その直後デュッセルドルフで再演され、カミラさんとのコラボレーションが実ったことを喜びました。2013年初頭、伝統ある現代音楽祭のヴィッテン室内現代音楽祭が新しい試みとして、若手作曲家のための公募企画を始めました。そこで私は再作曲のインスピレーションの止まない『まごつき笛』の別バージョンを書いて応募することにしたのです。無事に入選し、ヴィッテンで2013年4月に初演されました。ある曲の別バージョンのインスピレーションが作曲中に降りてくることは私にとって珍しいことではありませんが、実際に書いて発表する機会があったのは今までのところこの一回だけです。

『まごつき笛、拡声』はフルート独奏とクラリネット、ヴァイオリン、チェロのために作曲された曲です。フルート・パートはオリジナルの『まごつき笛』からの変更がほとんどありませんが、少しだけテンポが見直されています。また、合奏を容易にするため、リズムや拍に関する記譜のルールが大幅に変更になっています。別バージョンを作る時には、必要な変更を施さなければ演奏するのが困難になってしまうことがあるのです。それは独奏曲を他の楽器の独奏に移す時も同じです。リズム表記の変更点を解説してみます。

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上の画像は、『まごつき笛』のリズム表記に関する注意点です。抄訳はこちら。

 「リズムはほとんど小節線を用いずに表記されている。装飾音は常にリズム構造に属さないものと見做して演奏すること、すなわち、音価が与えられている通常の音符はその音価の持続を完全に保持するものとする。ただし、装飾音(群)が音価の示された音の拍頭から開始するように特に記譜されている場合は、そのリズム点から演奏を開始するリズム構造内の音群とし、なるべく速く演奏すること。(例)最初の音は4拍伸ばし、それから装飾音群をなるべく速く演奏する。次に二分音符を2拍伸ばし、続く拍で装飾音群を演奏する。
伝統的な通常の音符以外の音符は、どのような音符であっても黒丸音符を代替するものとする。ただし、伝統的な音符が特殊な音符と組み合わされている場合を除く。」

拍子のある音楽では、装飾音をどのタイミングで拍子時間内に組み込むかが問題になることがあります。簡単なものでは、拍頭に演奏するのか、それとも拍の直前に演奏するのか。また、長大な装飾音符群がある時には拍子自体を拡大解釈してテンポを揺らしたりすることが行われることもしばしばですが、厳格なルールがあるというよりは個々の作曲家の音楽観や筆の癖によることが多く、演奏解釈の分野で議論のテーマとなっています。私は『まごつき笛』に関しては、具体的な時間の流れのビジョンがあったので、出来るだけ正確に解釈を注記することにしました。具体的なビジョンがあるのなら、全部厳格なリズムで連符等を駆使して書けば良いのではないかとも思われるかもしれませんが、読譜の煩雑さは出来るだけ避け、ストレスなく楽譜を読んでいただく方が私は良いと思っており、出来るだけ簡明な記譜を心がけているのです。

続いて『まごつき笛、拡声』でのリズム記譜の変更点は以下の通りです。

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(»Mumbling Flute, Reinforced«, ©Edition Gravis GmbH)

「(1)装飾音符は殆どの場合、点線で区切られた小節内に記譜されるものとする。この小節は拍子構造に属さないものとし、音を出来るだけ速く奏するものとする。ただし、点線小節は「小節」と考えられるべきであり、臨時記号に関するルールは適用される。(2)装飾音符群が拍子を伴う小節内に現れる場合、装飾音は拍子時間内に奏されるべきであり、装飾音符群が始まる音価の拍頭から出来るだけ速く奏すること。」

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特殊な音符に関する規則は『まごつき笛』から変更がありません。冒頭の部分は装飾音群と拍子を伴う小節が交互に現れるため、全ての区画が点線で区切られています。オリジナル楽曲では分断されていて、奏者の解釈によって表現されるべきであったF6が、金属ミュートを付けたヴァイオリンのによって持続されています。音価の充てがわれていない小節内で持続している音は、単に黒丸音符だけが書かれています。続く35小節からの部分では装飾音のみによる小節が少なく、読みやすくなりました。冒頭がやや読みにくいのが難点ですが、何らかの方法でリズム処理の構造を確定させなくてはアンサンブルが崩壊します。この作品ではフルートは完全に独奏者で、前方に立って演奏することがほとんどでした。後方の三人はフルート奏者の身体から発せられるキューで合わせていくので、かなり厳格にリズムの記譜を指定した方が演奏は巧くいきます。

先ほどの超高難度一人二声対位法で書かれた箇所はオブリガート楽器が付くことによって大分フルート奏者の負担は軽くなっているはずです。声部の線を各楽器に振り分けているので、独奏者が多少強弱やアーティキュレーションを損なってしまっても旋律線が聞こえてくるためです。つまり、『まごつき笛、拡声』はフルート独奏曲のフルートの音を他の3つの楽器に振り分けてより立体的な響きにしようとする書法による音楽なのです。

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一箇所だけ単なる音の振り分けでなく、新たな音を他の楽器で書き足した箇所があります。119小節目から始まるこの箇所は、オリジナルとは違う音がクラリネットによって演奏されています。フルートの狙う「まごつき」具合を強調するような音を書き足しました。ここで音を全部同一にしてしまうと、音型が旋律線として強調されてしまい、狙った効果が強調されることにはなりません。

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『まごつき笛』も『まごつき笛、拡声』もしばしば再演される機会に恵まれてきた作品です。『まごつき笛、拡声』の方が少しだけ再演頻度が高く、演奏効果をより強調した書法が好まれているようだと感じています。作曲家はいつも完全な新しい曲を書く訳ではなく、同じモチーフで再作曲したりすることはよくあります。楽曲を他のバージョンで聞いたりすることも、作曲家にとっても、演奏家にとっても、聴衆にとっても興味深いことだと思っています。私はたまたま自作曲編曲や自作曲再作曲の機会が少なくやってきましたが、機会があればどんどん取り組んでみたいフィールドでもあります。最後に『まごつき笛、拡声』のスコアを2/3ほどご紹介して、記事を終わります。

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『まごつき笛』

『まごつき笛、拡声』

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