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往復小説

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嘗ての往復書簡をコンセプトにMASATO氏と始めた往復小説。2019/8/22:天外黙彊氏も加わり、小説によるコミュニケーションを公開しております。ココでは私のパートを公開。一話… もっと読む
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記事一覧

short‐short:普通の形

 手を伸ばしている若い男性が視線に入った。  スーパーのペットボトル・コーナー。  視線はその二段目。  見ると、セール中とある。  彼は悔しそうに顔を歪めた。  車椅子だ。  腰を浮かし、支える手が震えるほど再び伸ばす。  届くことは無さそうだ。  彼はぐったりと車椅子に身体を預けた。 「これですか?」  声をかけた。  セール品のお茶、五百CC。  彼は驚いたように目をパチクリさせる。 「あれ、こっちでしたか?」  隣のペットボトルに手を伸ばす。 「いえ!・・・お茶の方で

小説 : 小さな嘘

 6月下旬の新宿は、雨と埃と微かな夏の匂いがする。  地下鉄を降りて、地上への階段を上がったとき、そんな事を思ったので、隣を歩く彼女に話してみた。 新宿は香水と排ガスと酒の匂いしか感じないねえ。彼女は少し赤らんだ顔で陽気に言う。それほとんど自分の匂いじゃん。僕らは笑いながら夜の新宿を歩いていた。  僕らがこうして会うのはまだ数える程だが、周りから見れば、10年来の付き合いに見えてもおかしくない。初めて会ったのは、去年の12月、大学3年生向けの冬のインターンだった。同じ業界

short‐short:景色

仕事柄の癖のようなもの。 誰にしろあるだろう。 真剣に取り組んであれば当然のことに思う。 僕は人間観察かもしれない。 この前、親父に怒鳴られた。 「人ばっかり見て、お前はどうなんだ!!」 つい言いすぎた。 見ていれば自ずと口も出る。 他人事は無責任に言える。 例え事実だろうと欠点を白日の下に晒されるのは誰しも嫌なものだ。 (食事の時ぐらい忘れよう) 食事は必ずといっていいほど人通りの多いところでとる。 いつの間にかそうなっていた。 調査対象の行動履歴が知らず頭にあるのかも

短編:白い眼

よく晴れた夏の日。 世界は力強さに溢れていた。 自然の英気を浴びながら、不意に最後の時を思う。 (死ぬには最高の日。) 先住民の言葉。 「こういう日を言うんだ」と感じた。 姉の所属する交響楽団のコンサートを聴きに親戚一同で訪れたこの地。 誤魔化し難い疲労感を抱えながも精神的には充足感に満たされる。 普段寝たきりの彼にはいい気分転換。 一時的とは言え、音楽は精神を切り替える。 姉は嘗ての教え子に囲まれ、この夏の陽気のような晴れやかな声や笑顔に溢れていた。 (俺は今日この

短編:いただきます

泣くとは思わなかった。 人が何を思って泣くか、わからないものだと彼は思った。 自分にとっては単なる無意識の行為、習慣に過ぎない。 とても泣くほどのこととは思えないが。 それでも堅い表情に鋭い眼光を宿した彼女は自ら想像だにしなかったほど泣いていたし、その様に彼は激しく胸を動かされる。 彼女は顔を真っ赤にし、何事かと自ら狼狽え、慌てて手で涙を拭う。 彼が癒やされたとも知らずに。 彼女とは言ってしまえば他人である。 仕事上の付き合いとも言えるが、もっとも付き合う前に

short-short:サンタ

「サンタさん来るかな?」 今日はクリスマス。 街は色づき華やいでいる。 娘の父親が失踪して1ヶ月が経つ。 彼は何時もこう言っていた。 「俺は猫みたいに死にたい」 そういう意味だとは思わなかった。 届けは出したけど諦めている。 「俺が被災したら1週間もたないだろうな」 震災の報を聞く度に彼は言った。 映像を見ながら、まるで我が事のように苦痛に顔を歪め、被災中の病人を思い胸を痛めた。 私は彼の苦しみがわからなかったのかもしれない。 どこか怠けているだけじゃ

short‐short:秋

「秋か」 路上に花が開いていた。 遠目でもわかる。 その様は飛び降りを想起させる。 コンクリートにまかれた脳漿。 手を合わせたい気持ちになる。 飛び降りというよりは落とされたと言った方がいい。 事件だ。 犯人は解っている。 カラスだろう。 主犯だろうが、共犯の可能性も。 今回は目撃していないが、いつぞや目にした。 被害者は「渋柿」。 路上に身を投げた柿はなんとも哀れだ。 埋葬したい気分が湧き上がる。 熊本の祖母宅で見たそれは自然の一部だった。