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2011.8.21 ⇒ 2019.6.30

2019年6月30日、コブクロのライブツアー『KOBUKURO 20TH ANNIVERSARY TOUR 2019 “ATB”』をさいたまスーパーアリーナで観てきた。
詳しくは後述するが、とても印象深いライブだった。
これまでのライブ同様、かけがえのない瞬間として一生忘れることはないだろう。

前回生で観たのは、もう8年も前になる。
2011年8月、休止前最後の活動となった全国ツアー『KOBUKURO LIVE TOUR 2011 “あの太陽が、この世界を照らし続けるように。”』のさいたまスーパーアリーナ公演だ。
それはそれは印象深いライブで、人生の絶頂期だった中学1年生の楽しかった日々の記憶も相まって、一生モノの想い出として深く心に刻まれている。
震災の被害に遭った東北の地、そして日本に思いを馳せ、力強い歌で “命” と向き合った渾身のライブ。
LEDのスクリーンを用いたCG演出で届けてくれた僕等へのメッセージにも、子供ながらに心を揺さぶられた。

しかし、このライブツアーを最後にコブクロは活動休止を発表したのだ。
小学4年生の頃からずっと好きだった、もはや存在自体が良い意味で“当たり前”のようになっていた彼らが、しばらくの間いなくなってしまう。
コブクロが人生の全てだったあの当時、2人のことが本当に心配だったし、何より寂しかった。

活動休止にあたっては、小渕さんの“喉の不調”がメインの理由とされた。
だが「発声時頸部ジストニア」という病名を聞いても、あの頃の自分には正直ピンと来なかった。
半年の療養で改善されるとの公式発表にホッと胸を撫で下ろしたのだが、そんなに簡単に治るものではないと後に実感することとなる。

公式発表の通り、コブクロは2012年4月に活動を再開した。
あの時はとても嬉しかったはずなのに、なんだろう。
7月のMUSIC STATIONを皮切りにメディアへの出演を活発化させる毎に、なんだかコブクロに醒めていく自分の醜さを感じていた。
決して満足のいくパフォーマンスはできないけれど、必死に歌う小渕さん。
『あの太陽が~』のツアーで燃え尽きたといい、まだ復帰した感覚が得られないと後に語った黒田さん。
まだ本調子じゃない2人に、どこか違和感を感じていたのは確かだ。

ご多分に漏れず多感な中学時代を過ごした僕は、他のJ-POPミュージシャンの楽曲も沢山聴くようになり、いつしかコブクロが人生の全てではなくなってしまった。
復活フリーライブはおろか、翌年の全国ツアーにすら行かなかったのは、今思い返しても後悔しかないほどだが、理由はこれだけではなかった。

学校内でそこそこの成績を維持し、部活や友人関係、長期休みの家族旅行なども含め、毎日が楽しかった中学時代の前半。
ところが、ある時から急に勉強が出来なくなり、体調を崩すようにもなった。
なぜだろう、なぜだろうと思いながらひたすらもがき、楽しかったはずの学校に鬱屈とした気分で通う日々。
そんなあの頃の僕には、Mr.Childrenの『深海』が一番沁みていた。
CDやDVDが新たに出れば欠かさず買っては楽しみながらも、どこかコブクロの歌やパフォーマンスにしっかりと入り込めていなかった数年間で、僕自身の生活も大きく変わっていった。

2015年3月。体調がさらに悪化したことで、ただでさえハイペースな勉強カリキュラムの遅れを取り戻せず、それによって心もパンクしたため、通っていた高校を辞めなければならなかったのだ。

高校を辞めて心機一転…頑張れるはずもなく、パンクした心を修復しながら、今思えば頭に入るはずもないのに、迫る大学受験へのプレッシャーを感じながら無理やり机に向かった。満身創痍だった。

覚えたいことが頭に入らない。
覚えたことをアウトプットできない。
おかしいなと思いながらも、努力が足りないんじゃないか、まだやれるじゃないかと自らを追い込み、ますます何も出来なくなっていった。

原因不明の眼の症状 -まぶたの筋肉が閉じたり眼球が上に引っ張られるなどして何も見ることができなくなる現象- にも悩まされ、もうどうしたらいいか分からなくなり、途方に暮れた。

突如としてコブクロ熱が再燃したのは、アルバム『TIMELESS WORLD』リリースのタイミングだった。
この頃になると2011年の活動休止を振り返る発言も多くするようになり、活動再開後にコブクロへ抱いていた違和感や2人の内なる葛藤がようやく分かったのだ。
ここで、僕のコブクロに対する見方も大きく変わり、魂を削りながら楽しくも一生懸命に音楽と向き合う2人に、いつ以来だろうというほどの感動を覚えた。
当然のこと『TIMELESS WORLD』も素晴らしいアルバムだったが、今後の意欲が2人の口から語られたことからも、これまでとは違うヒリヒリとした感動が僕を満たした。
でもライブには行けなかった。
眼の症状が出るのが怖くて。受験勉強に身が入らなくなってしまうんじゃないかという強迫観念に縛られて。


僕が苦しんだことの全てが分かったのは、学校を辞めてから4年も経ってからだった。

2019年春。
大学入試にまたしても落ち、これで三浪目だ。やっぱり何かがおかしい。
自らの将来に危機感を抱いた僕は、自らの症状や違和感について血眼になってネット検索をし、“1つの答え”に辿り着いた。

それが「ジストニア」だったのだ。

最初は「まさか」と思ったのだが、慢性的な勉強のスランプも眼の症状も、びっくりするほど当てはまる。

この時、昔の記憶が僕の脳裏を過った。
2011年のコブクロ活動休止の直接の要因である、小渕さんを襲った病と同じものであることを。
マジかよと。ほんの少し“運命”のようなものすら感じてしまった自分は、ダメなファンだろうか。
何よりも、初めて小渕さんの苦しみを身に沁みて実感できたのがこの瞬間だった。

すぐさま専門の治療院を見つけて通うようになったのだが、そこで教わったことは、物事を行う時に自らの心身を追い込むことが脳神経の回路に異常をきたす、という発症の原因だ。
自らの思考パターンやストレスを感じた経緯を認識することで、誤った脳神経の回路を元通りに書き換えられる(=治療が可能)というのだ。
日頃から肩の力を抜いてリラックスすることも治療に有効だという。

僕は今も治療を続けている。
神経回路はかなり改善されてきていると言われ、眼の症状が出る頻度も少なくなったし勉強も以前よりだいぶ捗る。
数年間の苦労が報われた、そんな喜びを感じながら前よりも楽しく日々を生きられるようになっている。


そして6月30日、念願だったコブクロのライブに8年振りに参加してきた。
他公演の良い評判から、最高のライブになるんだろうなという期待が膨らんだまま会場へと向かった。

ついにライブが始まった。
黒田さんの歌声はやや不調ながらも、いつもながら圧倒的な訴求力に感動させられる。
ただ1つ気になったこととしては、序盤からやけに小渕さんのテンションが高い。
どうしたのかなと思いながらもライブは進行していったが、中盤・盛り上げブロックでのアップテンポな楽曲では無理やり絞り出した小渕さんの声が枯れていた。

この時少し異変に気付いたが、バラードセクションに入ると小渕さんの声がほとんど出なくなった。聴いてて胸が張り裂けそうだった。
ファルセットを多用する楽曲が含まれており、その箇所のクオリティは終盤になって突如復活。黒田さんが頷きながら見守る中、小渕さんは歌声を取り戻したのだ。

「ちょっと頑張りすぎた」「これからは自然体でいきたい」。
歌声が復活した小渕さんのMCは、強く重くリアリティを帯びて僕の心に響いた。
そうだよ、自然体。
緊張せず、気負わず、頑張りすぎず。
これは、僕が治療院に通って心掛けるようになった事そのものではないか。

小渕さんは、音楽活動ができるほどに病の改善はしたのだろうけど、完治はしていないのだと思う。
ジストニアはそういう病気だ。

自らの経験とこのライブでの出来事から、小渕さんをはじめとするジストニアに苦しむ方々に、何らかの形で力になれたら…
そう強く思う夜だった。
終演後にアンケートに書いた想いは、ご本人に届くだろうか。

ライブ全体としてはお世辞にも文句なしとは言えず、8年ぶりという期待が膨らみすぎたこともあって、“不完全燃焼” なのが正直な感想ではあった。
それでも、僕の病を初めて他者(小渕さん)を通して認識できたことは本当に忘れられない想い出になったし、何だかんだとっても楽しいライブだった!
黒田さんの歌もセットリストもバンド演奏も演出も最高だったもんね。

僕が一番聴きたかったあの “命の歌” はこの日は歌われなかったけど、そんなことはどうでも良くなるほど、忘れられない特別なライブになった。

ありがとうコブクロ。
そして、改めまして20周年おめでとうございます!
これからもずっとついていきます!!

いつまでも、あの太陽がこの世界を照らし続けることを祈って。


20190630 埼玉の空の下で