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ほぼ日の塾で、うまく書けなかった話

先週、高校の同級生と久しぶりに飲んだ。

高校時代から仲良し、というわけではなかったけど、たまたま今も東京で働いていて職場も近いし、考え方も近いから飲んでいて楽しいという男女3人とぼくだ。
品川駅そばのにぎやかな居酒屋で話すうちに、「久しぶり」のひとりは会うのが2年ぶりだとわかった。そんなことを感じさせないほど、話が盛り上るから不思議だ。仕事の話、家族や子供の話、健康診断の話、趣味の話、そして少しだけ高校の思い出話。
高校卒業から21年。ぼくらは、40歳になる。

なぜ、こんな話をしているかというと、ぼくの人生で高校時代と同じくらい大きな転機となった「ほぼ日の塾」の門を叩いてから、もうすぐ3年が経つからだ。

ほぼ日の塾で過ごしたのは半年ほどだし、青山にあるほぼ日の会社に通ったのは5回だけだったけど、楽しくて、悔しくて、一生懸命な場だった。
あれほど感情が揺さぶられたのは、社会人の記憶にない。
学生時代の思い出…何年後にも語りたくなるような、ぼくにとっては高校時代の「青春」みたいな体験が1番近い。

ーーー

ぼくは、3年前も今も同じWeb系のベンチャー企業で、編集者として働いている。地方の小さな出版社で編集アルバイトを始めた頃から数えると、17年も編集の仕事をしてきた。

ほぼ日の塾に参加したときも、編集者としてそれなりの仕事を任せてもらってきたし、インタビューや記事の執筆もこなしていた。

だから、ほぼ日の塾に応募したのは「ほぼ日のやりかたを盗んで、自分の仕事に箔をつけよう」という下心くらいは正直あった。あわよくば、ぼくの技量に感心したほぼ日から仕事の依頼がもらえるかもしれないとすら考えていた。

ただ、ぼくはほぼ日の塾で、ぜんぜんうまく書けなかった。

ぼくが参加した第1期の塾生は、デザイナーや学校の先生、経営者、そして大学生といった仕事も年齢もバラバラな人たちで、共通していたのは「ほぼ日らしい文章が好き」ということだった。
編集や執筆を生業にしている人は半数もいなかったと思う。

課題の説明会では、Webコンテンツに関する基本的な質問がいくつか交わされていたりして、プロである当時のぼくは「余裕だな」とすら感じていた。

その後、実際に課題を書いて提出するのだけど、自信満々の1回目は見事に空振りする。
最初の課題は『嫌われる勇気』の著者である古賀史健さんと糸井さんのインタビュー原稿をまとめるというもので、「読みやすく編集されている」と高評価を受けた6本に、ぼくのは選ばれなかった。

「まあ、そういうこともある」

ぼくは、心の中でそう言ってごまかした。

高評価の記事と自分の原稿とを比べて、何が足りないかを考えることすらしなかった。
たまたま、だ。次は大丈夫だ、と。

2回目の課題のテーマは、「わたしの好きなこと」でエッセイを書くというものだ。
最初の課題での評価が悔しかったぼくは、課題提出の直前に近所のファミレスでこもり、2回ほど徹夜めいたことをして、期限の1分前に「提出」をクリックした。自分なりに渾身の原稿だった。

結果は、またも選外。
「魅力のあるもの」として選ばれた10本に、ぼくの原稿はなかった。

これは、ショックだった。

さらに、原稿掲載後にもらった塾の講師の永田さんからの個別フィードバックには、4点ほど具体的な改善点が書かれており、最後に「好き!を主張できていない」とまとめられていた。

また、ほぼ日の塾で掲載された記事を読んだ読者の方からは、感想メールをひとつだけいただいた。
400字ほどの丁寧な言葉とともに、
「文章の内容を客観的にしか読めませんでした。」
「なぜか、文章に感情移入ができませんでした。」
「気になったので感想を送りました。これからもがんばってください。」
と書かれていた。

心配されていた。
ただ、内容は頭に入ってこなかった。

いま、noteを書くために永田さんの指摘や読者さんからの感想、そして自分の原稿を読み返すと、本当にそのとおりだと思う。


ほぼ日に自分の文章が載ることに気持ちばかりが空回りして、何が言いたいのかよくわからない。選外なのも当然だ。
だけど、当時のぼくは選ばれてないという結果を知り、すぐにページを閉じた。ほかの塾生の記事も、自分の記事も読みたくなかった。

仕事で長く「伝えること」をやってきたぼくは、未経験の同期生よりも書くことが上手にできなくて、混乱していた。
どうしたらいいのかわからないまま、ぼくのほぼ日の塾は終わった。

ーーー

ほぼ日の塾を終えて、ぼくは文章を前に
「本当に伝えたいことはなんだろう?」
と考えるようになった。

読むときも、書くときも。
短いツイートも、長いインタビューも。
なにか違和感があるときは、じっと見た。
何度も書いたり消したりするので、1つのツイートに30分以上かかることもあった。

ただ、そのかいがあってか、仕事で担当した記事は少しずつ反響を得られるようになった。


糸井さんには、Twitterで声をかけてもらえることもあった。


今回、塾の卒業生有志と「#ほぼ日の塾とわたし」というテーマでnoteを書くこともできた。同じ課題、同じ悩みに向き合ってきた「あのときの思い」がたくさん集まった。みんな「戦友」と呼びたい人たちばかりだ。

3年前には、どれも想像できなかったことだ。
塾でうまく言葉にできなかった気持ちを追いかけているうちに、こんな場所へきていた。
課題はうまくできなかったけど、それで良かったのかもしれない。


誰にも言えなかった「あのときの思い」をnoteに書き残すことができたので、きっと10年後、20年後も卒業アルバムをめくるように塾の思い出を語りながら、戦友と酒を飲める。

だから、ぼくはいま文章を書きながら、ほぼ日の塾の門を叩いた世間知らずで自意識過剰で一生懸命だったぼくを、初めてほめてやりたいと思った。


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