見出し画像

観光名所より、「何もない」と言われる街が好きだったりする

年明けすぐに、家族で京都へと旅行する機会があった。

京都なんて中学校の修学旅行以来に来たものだから、ちょっとワクワクしていたものの…いざ行ってみるとそれはもうものすごい人混みでイヤになってしまった記憶しかない。

それよりも、伏見稲荷の千本鳥居道を逸れたところにある一般的な住宅街を歩いて「ああ、私はこういうのが好きなのだ」と思うに至った次第である。

私には妹がいるのだが、よく「ウチの実家の周りは何もない」といったことを口にする。

「何もない」を深掘りしてみれば、それはいわゆる「観光名所」や「オシャレな大型ショッピングモール」や「夢の国のような遊園地」的なものが無いということを意味しているわけである。

しかし、私はその「何もない」というのが全くもって悪いものではなく、むしろ良いことにさえ感じるのだ。

何年か前に、妹と広島県は宮島へと旅行する機会があった。

宮島に到着し、厳島神社ぐらいは二人で見学したものの、「じゃ、あとは別行動で」となって私はとりあえず宮島の奥へ奥へと歩いて行った。

宮島の中央付近はまさに「観光名所」がたくさんあって人もそれに応じてたくさんいたが、奥へと歩いていくうちにだんだん人が少なくなっていった。

極め付けは「宮島水族館」を通り過ぎて、さらに奥へと行ってからである。

人なんてほとんどいなくなり、そこには「大元公園」という名の、ほとんど地元民しか来ないような大きめの緑地公園があった。鹿もそれなりにいた。

この記事のサムネイルにもしてあるが、こんな場所である

目の前には海があって、ちょうどゴールデンウィークで暖かい日だったから、親子連れが海で遊んでいた。

大元公園をそのまま奥へ進むと山深くなっていって、登山コースへとつながっているようだったと記憶している。

人もまばら、鹿ものんびり、木漏れ日がゆらゆらと地面を照らす。

ベンチに腰をかけてボーッとした。

海側の方から、子供たちがきゃっきゃと遊んでいる声が聞こえる。
前方の方で鹿がゆっくりと森側へ列をなして歩いて行く。
ちょっと風が吹いて、大きな木が枝を揺らし葉の音が聞こえる。

観光名所でもなんでもない、「鹿がいる」ぐらいしか差別化のしようもないような公園だが(これは良心からでごわす)、私の中ではさっき見てきた厳島神社を超えて、心の底から「宮島に来てよかったなぁ」と思っていたのである。

ジブリ映画「耳をすませば」の舞台となった「聖蹟桜ヶ丘」に1年に1回ほど赴くのだが、その際も映画の聖地巡りというよりは聖蹟桜ヶ丘の住宅街をぬるぬると散歩するのを主としている。意外と住宅街を下の方へ降りていくと畑があったりするのだ。これが良い。

観光名所や遊園地や大型ショッピングモールより、人々の営みが見える住宅街や森林、緑地公園の方がよっぽど楽しいと思えてしまうのであった。

さて、ここまで読んだあなたはきっとこう思っただろう。

「こいつと旅行行ってもつまんなそぅ〜〜〜!!!」

おーわりっ!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?