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yatoです。音楽を作ってます。あと文章も書いてます。 誰の得にもならないようなものを…

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yatoです。音楽を作ってます。あと文章も書いてます。 誰の得にもならないようなものを書くのが得意です。

最近の記事

限界突破でやる気を出す方法

ガハハ!!そんなもんあったらこっちが教えてもらいてぇぐらいだぜ! …と思いはするものの、個人的にではあるが「やる気を出す方法」について思い当たる節があるがゆえに、ここで備忘録的に述べてみようと思う。 やる気を出す方法。それは、「とりあえずやること」である。 どんなにやる気が出なくても、とりあえずやってみる。 そうすると、なんかよくわからないが楽しくなってきて、まさに「やる気」が出てくるわけである。 花火に対し、火をつけずに「ほれ、打ち上がれ!」と言っても打ち上がるわ

    • 音楽を作っているけど、伝えたいことは何もない

      私はこんな曲を作っている(どこぞの無名人間の曲がこんなに聴かれているなんて正直びっくりだ)。 直近で言うとこんな感じの、アトモスフィアな曲も作った。 それなりに曲を作ってきていて気づいたことがある。 そう、特に音楽で伝えたいことがない。ってことだ。 私の曲が誰かの助けになっていればそれはそれで幸いであるし、世界の誰かの耳に届いて世界平和のきっかけにでもなるのなら、それはそれで喜ばしいことである。 しかし、音楽を作る際に「誰かを助けたいから」とか「世界平和のために」と

      • 自宅で映画を味わい尽くす方法

        ある時期、私は1日1本映画を観る生活を1年半ほど続けていたことがある。 結局、その時期に観た本数は500本を超え、映画を観たことで得た知見などを作曲に活かしている。狂ってる。 本来、私はエンタメの中で「特に映画が好き!」といったタイプの人間ではない。 どちらかというとマンガや小説の方が好きで、鑑賞するよりも「読む」という行為の方が自分に合っている気がする。 ゆえに、こんな「自宅で映画を味わい尽くす方法」なんて記事を映画ビギナーの私が書いた日にゃ映画プレジデント様様から

        • 創作活動で絶対にしないほうがいいこと

          こんなタイトルにでもしない限り、私のような鼻くそ作曲家の戯言なんざぁ見向きもされないがゆえ、お許し願いたく存ずる。 ちなみに、この記事は私自身への戒めのために執筆していることもついでにお許し願いたいぜよ★ さて、結論から言ってしまおう。茶番は終わりだ。 創作活動で絶対にしないほうがいいこと。 それは、「効率を求めること」である。 現代の…情報に満ち満ちた社会において、効率を求めないことは後ろ指をさされることに等しいが、こと創作活動においては効率を求めることによって逆

        限界突破でやる気を出す方法

          全てのエンタメは繋がっている

          先日、「ざわざわ」っていうタイトルで楽曲をYouTubeにアップロードした。 この曲は思いのほか聴かれているらしく、製作者の私としては嬉しい限りである。 …と同時に、この楽曲を制作している段階で、「あ、エンタメって繋がってるんだなぁ」と実感したことについて今回のnoteでは触れてみたい。 「ざわざわ」のBメロにあたるパートで、ちょっと不穏な雰囲気になる箇所がある(ぜひ、楽曲を聴いて確認いただきたい)。 メインメロディなどはほぼなく、どちらかといえばラジオキャスターの声

          全てのエンタメは繋がっている

          さて、祖父が亡くなった

          3月の中旬、母方の祖父が亡くなった。 関東住みの私は朝一番の新幹線に乗り込み、祖父母宅のある九州へと向かったのだった。 5〜6時間ほどをかけてようやく祖父母宅に到着すると、祖母が礼服姿で出迎えてくれた。 仏壇のある部屋に顔の見える棺桶が鎮座しており、そこに亡骸となった祖父の顔を見ることができた。 その日のうちにお通夜があるということだったので、私は礼服に着替えたのだが、その時に祖父の思い出が蘇って… …いや、正直言うとあんまり思い出らしい思い出がなかった。 私の祖

          さて、祖父が亡くなった

          観光名所より、「何もない」と言われる街が好きだったりする

          年明けすぐに、家族で京都へと旅行する機会があった。 京都なんて中学校の修学旅行以来に来たものだから、ちょっとワクワクしていたものの…いざ行ってみるとそれはもうものすごい人混みでイヤになってしまった記憶しかない。 それよりも、伏見稲荷の千本鳥居道を逸れたところにある一般的な住宅街を歩いて「ああ、私はこういうのが好きなのだ」と思うに至った次第である。 私には妹がいるのだが、よく「ウチの実家の周りは何もない」といったことを口にする。 「何もない」を深掘りしてみれば、それはい

          観光名所より、「何もない」と言われる街が好きだったりする

          夜の海を、酒片手に眺める

          3月の上旬、ちょっと野暮用があり2〜3日実家へ帰っていた。 実家は山と海に囲まれた…なんて言うとどこぞのラノベが始まりそうな文句ではあるが、実際に私の実家のある地域は山と海に囲まれた場所に位置するがゆえに、この文句はさほど見当はずれでもない。 実家に着いたその日、夜も耽ってそろそろ10時…という頃、私はふと思い立って母に「ちょっと散歩に行ってくる」と言った。 「え!?今から!?やめとき!!!」 とそれなりの剣幕で反対されたが(当たり前だけど)、いやまぁ…大人でございま

          夜の海を、酒片手に眺める

          とりあえずガムシャラにやればなんでも上手くなる説

          …っていうタイトルで色々と私なりの所感を述べさせていただこう。 もし、今これを読んでくださっている画面の前のあなたが何かしらで行き詰まっていたり、成果が出ずに苦しんでいるのだとすれば、もしかすると少しはお役に立てるかもしれない。 結論から言ってしまえば、「とりあえず自分のやりたいことにガムシャラに取り組めばなんとかなる」というこの一点に尽きる。 まずは私の体験談から述べていこう。 私は大学時代、いわゆる「軽音楽サークル」とやらに入っていて、その中ではそれなりにギターを

          とりあえずガムシャラにやればなんでも上手くなる説

          THE BLUE HEARTSのとりこになった小学2年生

          音楽で衝撃を受けた経験はいくつかあるが、そのうちの1つが「THE BLUE HEARTS」だった。 今でも覚えている。あれは平日の朝である。 小学2年生だった私は、その1週間前ほどに父が飲み会のビンゴ大会だかなんだかでもらってきた「CDプレーヤー」に夢中だった。 そのCDプレーヤーはスピーカーも内蔵されていて、CDを入れればそれだけですぐに曲が聴けるってやつだった気がする。色は確か青っぽかった。 家にはすでにCDプレーヤーがあったから、「これあげる」と父から譲り受けた

          THE BLUE HEARTSのとりこになった小学2年生

          「音を楽しむと書いて音楽だけど、英語ではそれをMUSICと言うんだ」

          タイトルのセリフを言ってから、その先生は続けた。 「どこにも『音を楽しむ』とは書かれてないよね」 私は、この言葉が衝撃的で、なおかつ私の音楽に対する価値観を一変させたセリフでもあった__。 いきなりでなんのこっちゃなので、最初から順を追って説明していこう。 大学生は2年生か3年生の頃、私は単位取得のために「現代思想」と名の付いた講座に応募した。 応募した後でよくよくシラバス(授業計画のようなもの)を読んでみると、毎年応募数が多いとのことで抽選になるかもしれないとの記

          「音を楽しむと書いて音楽だけど、英語ではそれをMUSICと言うんだ」

          作曲に音楽理論は必要か否か問題

          最近のX(旧Twitter)はフォローしていない方のツイートも目に飛び込んでくることが多々あり、その日も特に何も考えずにチラッと眺めていた。 すると、「作曲に音楽理論は必要なのか」という命題が目に留まったため、ここで私なりの見解を述べてみようと思う。 (ここで言う『作曲』とは、自らの力のみでコード進行やメロディを考えることと明記しておこう) 結論から先に申し上げておくと、「作曲に音楽理論は必要である」。 ただし、そこには「ある一定の条件下において」という制限を設けさせて

          作曲に音楽理論は必要か否か問題

          映画「千年女優」の井田は名脇役

          (※本記事は多少のネタバレを含む可能性があるため、まだ映画を観てらっしゃらない方はご注意ください) 先日、音楽制作を共にがんばっているmidorimi氏と共に、リバイバル上映をしている「千年女優」(2001年作品)を鑑賞してきた。 ネットフリックスにて実は一度鑑賞していたのだが、映画館の大スクリーンと良き音響で鑑賞できる機会が訪れたため、midorimi氏の誘いを受けて映画館へと足を運んだ次第である。 実を言うと、千年女優は私がこれまでみてきた数百本の映画の中でも1位2位

          映画「千年女優」の井田は名脇役

          推理小説を多読した効能

          以前の記事で、エラリー・クイーンの名作「Yの悲劇」をベタ褒めした。 あれからいくつか推理小説を読んだり、はたまた探偵アニメ物を見ていたのだが、ふと私はそれらに触れる際に、とある視点でストーリーを追うようになっていた。 つまりそれは「推理小説を多読した効能」と呼べる代物であると考えたがゆえに、ここでまとめてみようと思う次第である。 結論から言ってしまえば、「犯人の動機視点から観察できるようになる」というところだろうか。 以前のエラリー・クイーンベタ褒め記事でも記したが、

          推理小説を多読した効能

          「とりあえず古典に触れておけ」説を唱えてみる

          前回の記事で「努力の意味」を自分なりに解釈し、自分の考えをまとめることの爽快感を覚えてしまった。 というわけで今回も「とりあえず古典に触れておけ説」をなんとなくふわっと考えついたので、ここでまとめておこうと思う。 私は(自分で言うのもなんだが)それなりに本を読むタイプである。 月に多ければ5冊、少なくとも2冊程度は読むようにしている。 何年か前までは最新の本だったり話題になっている本をチョイスして読むことが多かった。 が、ここ1〜2年ぐらいは最新の本などを選びつつも、傾

          「とりあえず古典に触れておけ」説を唱えてみる

          「努力は裏切らない」は、今になって本当だと思うようになった

          …なんていうタイトルで、最近ふと思ったことをつらつらと述べていこうと思う。 中学生〜高校生ごろの、いわば「思春期」真っ盛りで花咲かじいさんでも守護霊としてついてんじゃねぇのかと言わんばかりに思春期の花を咲かせていた私は、 「『努力は裏切らない』なんて言葉はただの綺麗事だ」 ぐらいに思っていたものである。 そもそも「努力」というものを全くしていなかったし、「努力だ!」「根性だ!」「やる気だ!」と熱血漢的思考を持ったクラスメートや先生たちに対して辟易していた所以も少なから

          「努力は裏切らない」は、今になって本当だと思うようになった