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佐藤史生が描く「豊穣なる宇宙」

SF(Speculative Fiction)から
SSF(Sato Shio’s Fantasy)の宇宙へ

はじめに

 1950年生まれのマンガ家・佐藤史生が、『恋は味なもの!?』でデビューしたのは、1977年でした。23年後の2000年に発表した『魔術師さがし』のシリーズを最後の作品として、癌との闘病の末、2010年に亡くなります。まったくもって夭折が惜しまれます。短く終わってしまった生涯。その足跡を偲んで「作品初出リスト」を作成しましたのでご参照ください。(※間違いがありましたら、ご指摘いただけると幸いです) ⇒「作品初出リスト」

 今(2024年3月)現在でも比較的入手可能な書籍、復刊ドットコムの「佐藤史生コレクション」は、従来の単行本には掲載されなかった表紙画等も拾いながら、2012年より3期・累計15巻まで発売されました。が、2016年以降刊行されず、未掲載作品は、オンラインストアでも読むことができません。
 佐藤史生の全作品を網羅するには、このコレクション15冊に加え、2001年にハヤカワ文庫から出版された『天界の城』、小学館文庫の『精霊王―徳永メイ原案作品集』(2001年)、PFコミックスから単行本化された『チェンジリング』(89年)、『鬼追うもの』95年、『心臓のない巨人』(99年)、『魔術師さがし』(2000年)の6冊ともう1作品、バリ島旅行記の『ハヌマンを探して』を読むために、PFコミックの『精霊王』(89年)も古書の海から発掘する必要があります。

※ 2024年4月5日追記:以下の3作品漏れてました。いずれもイラストとテキストメッセージ。単行本への掲載は、たぶんありません。
1985年02月:山海塾(GF1ページ劇場)/グレープフルーツ 第20号
1985年06月:コードウィナー・スミスの『ク・メルのバラード』 /グレープフルーツ 第22号
1987年04月:私のお気に入り /グレープフルーツ 33号

 単行本は、小学館(少女コミック、プチフラワー)、新書館(ペーパームーン、グレープフルーツ)、奇想天外社(SFマンガ大全集)、早川書房(S・Fマガジン、ハヤカワ文庫)、白泉社(LaLa)、KADOKAWA(ASUKA)から出版されており、佐藤史生が自ら責任編集を務めた『ラクシュミー吉祥花人』(87年・白泉社)をふくめ、アンソロジーへの掲載も多くあります。単行本・アンソロジー掲載リストも作ってみました。(※こちらも抜け漏れがありましたら、ご指摘いただけると幸いです) ⇒「単行本リスト」

 作品と単行本を整理してみて、多くの発見がありました。初出掲載順に並べた「作品初出リスト」からは、佐藤史生が、いくつもの作品シリーズの構想を並行して思索していたであろうことが読みとれます。
 77年-79年の2年間で、『夢みる惑星』の前日譚である『星の丘より』、短編SFの代表作となる『金星樹』他小品群、コメディの『ミッドナイトフィーバー』、スペキュレイティブ・フィクションの片鱗を見せる『春を夢見し』を発表し、80年には、84年まで続く『夢みる惑星』の本編シリーズを進めながら、『阿呆船』シリーズと、81年には「七生子シリーズ」、そして82年には、『ワン・ゼロ』の先史となる『夢喰い』を発表しています。
 隔月刊の「別冊少女コミック」や、季刊誌として始まった「プチフラワー」、「グレープフルーツ」への並行掲載+「別冊奇想天外」や「S-Fマガジン」への寄稿で、ほぼ月に1作のペース。週刊連載でひとつのタイトルに貼りく最近の発表スタイルとはずいぶん違う、複数の編集者と複数の切り口で取り組む創作活動でパラレルワールドが同時進行で展開されていきます。

 「新しいのも旧いのも 天使も鬼も畜生も みんな神の手の上ではないか」『レギオン』。「長い戦争も人の生き死にも この息吹をとめることはできなかった」『春を夢見し』。「混乱と愚行の泡立つ渦のなかから新生はくる」『阿呆船』。「全き己となる日を夢みる大地」『夢みる惑星ノート』。「世界は、けっして眠らない魚のみる夢だそうだ」『打天楽』

 きっと、佐藤史生の手元には、それらのメモがびっしり書き込まれた何冊ものノートがあったのではないでしょうか。千夜に語られる物語のように、これは、「大きなひとつの世界観に散りばめられた様々な視点」であり、個々の作品はそれぞれに、Speculative Fiction スペキュレイティブ・フィクションとして物語を構成し、その全てを包括する Sato Shio’s Fantasy の世界でもあり、それは、「豊穣なる宇宙を巡る壮大な叙事詩」なのではないかと思うようになりました。

大きく2つの傾向が見えてきます

 ひとつは、『夢みる惑星』『ワン・ゼロ』『金星樹』に代表される作品群とコメディやエッセイの作品群で、別冊少女コミックや初期のプチフラワーを中心に発表された「少年少女のトキメキを描くピュアな」作品群。佐藤史生のファンになるヒトは、私を含めて、圧倒的にこちらの作品群のファンでもあります。

(1-1) 夢みる惑星シリーズ
 『星の丘より』『夢みる惑星』『雨の竜』『竜の姫君』
 『竜の夢その他の夢 夢みる惑星ノート』
(1-2) ワン・ゼロシリーズ
 『夢食い』『ワン・ゼロ』『打天楽』
(1-3) 短編SF(サイエンス・フィクション)
 『一角獣にほほえみを』『金星樹』『一角獣の森で』
 『花咲く星ぼしの群れ』『レギオン』『天使の繭』
 『ムーン・チャイルド-月の子-』『楕円軌道ラプソディ』
(1-4) コメディ・サスペンス・エッセイ
 『マは魔法のマ』『恋は味なもの!? 』 『春を夢見し』『青い犬』
 『スフィンクスより愛をこめて』『ふりかえるケンタウロス』
 『ミッドナイトフィーバー』『透明くらぶ』
 『バナナ・トリップに最良の日』
 『まさかのときのハーレクイン・ロマンス』『まるたの女』
 『ハヌマンを探して』『タイマー』
 『コードウィナー・スミスの『ク・メルのバラード』』

 そしてもうひとつは、「別冊奇想天外」や「グレープフルーツ」、「S-Fマガジン」、創刊後、時間とともに読者層の年齢が高くなった「プチフラワー」に発表された、大人なになって「ペシミスティックな世界を知ってしまったダークな」作品群です。こちらの作品をあげるヒトは、「少女マンガは苦手なんだけど」と前置きがついたりしますが、復刊ドットコムでの第1巻は、「死せる王女のための孔雀舞」からで、編集者の意気込みが垣間見えます。

(2-1) 阿呆船シリーズ
 『阿呆船』『馬祀祭』『天界の城』『羅陵王』
 『緑柱庭園(エメラルドガーデン)』『美女と野獣』
(2-2)複合船シリーズ
 『やどり木』『塵の天使』『チェンジリング』『ネペンティス』
 『バビロンまで何マイル』『心臓のない巨人』
(2-3) スペキュレイティブ・フィクション
 『雨男』『死せる王女のための孔雀舞』
 『さらばマドンナの微笑』『我はその名も知らざりき』
 『この貧しき地上に』『青猿記』『一陽来復』『おまえのやさしい手で』
 『アレフ』『タオピ』『精霊王』『アシラム』『オフィーリア探し』
(2-4) そして、Sato Shio's Fantasy 
 『鬼追うもの』『神遣い』『魔術師さがし』『魔術師さがし/番外編』

 この二つの傾向は、ピュアな作品からダークな作品への大きな転換ではあるものの、多くが同時期に並行して描かれており、太陰対極図のように相互補完的で反発しあいながらも融合してしまう都祈雄と摩由璃のように、共にひとつの Sato Shio’s Fantasy を構成する表裏だったのではないかと。そういえば、後になるほど対立的な物語展開は影をひそめ、表裏がニュートライズされた新しい次元の先にある世界に視線が向かっているようにも思えます。地震や戦争、伝染病の脅威に直面し、生成AIが知識と知恵の境界を曖昧にし、最先端の宇宙望遠が我々の宇宙には存在しないはずの初期宇宙の姿を写し出す現在。佐藤史生の視線はどんな世界を物語ってくれたでしょうか。

少し時代背景を見てみましょう

 64年、アメリカはベトナムでの戦端を開き、66年には、ウルトラマンが飛来し、68年には、デイジー・デイジーの歌を口ずさむコンピュータの思考を停止させ、69年には、月面着陸の中継にお茶の間のテレビに釘付けになり、70年の万博では、一般市民が月の石に長蛇の列をつくり、74年には、持ち帰ったコスモクリーナーが地球を蘇らせ、豊洲にセブンイレブンの1号店が開店。77年には、アップルIIが発売され、デス・スターの破壊に成功し、79年には、ニュータイプが覚醒。82年には、オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦を見てきたレプリカントが、もっと生きたかったと静止するのを見守る時代でした。ヒトを拡張する携帯電話の登場は、85年まで待たなければなりません。

 そんな中、萩尾望都の『11人いる!』(75年)が、「別冊少女コミック」に。竹宮惠子の『地球(テラ)へ』(77-80年)が、「月刊マンガ少年」に掲載され、78年に星雲賞コミック部門を受賞。光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』(77-78年)を萩尾望都が「週刊少年チャンピオン」に連載し、「週刊マーガレット」には、レイ・ブラッドベリ原作の短編『霧笛』他を萩尾望都が掲載するというように少年少女誌の枠を超えて、女性作家による多くの傑作SFが誕生しました。

 佐藤史生は、萩尾望都、竹宮惠子らのアシスタントをしながら、ミュータントを描いた『一角獣にほほえみを』(76年)を同人誌に発表していました。少女コミックに応募して佳作賞をとったのは『夢みる惑星』の前日譚である『星の丘より』。デビュー作は、77年の別冊少女コミックでの『恋は味なもの!?』でしたが、同年の増刊号に『星の丘より』が掲載され、78年の増刊号に『金星樹』を発表します。2001年7月の「月刊フラワーズ」ホームページの本人インタビューでは、『金星樹』ついて「当初から書きたかったSFを何作か描けるということになって、その第1作ですから、ほとんどデビュー作みたいな感じ、でしょうか」とも答えています。

 SFという少女マンガの軛を外すカギを手に入れた佐藤史生は、発表の場を広げていきます。新書館の「ペーパームーン」(79年・80年)、奇想天外社の「SFマンガ大全集」(80年)、新書館の「グレープフルーツ」(81~87年)、83年には、早川書房の「S・Fマガジン」といった、少女マンガとは違う読者層を手に入れ、別冊少女コミックやプチフラワーでのコメディアや少年少女のトキメキを描くピュアは作品群と、『天使の繭』(79年)『阿呆船』(80年)を先駆とした読者の心をえぐる大人のダークな作品群を同時に書き進めていきます。

 本稿では、ピュアな作品群を語るお楽しみは先にとっておいて、ずっと喉にひっかかっていたダークな作品群の中から、(2-1) 阿呆船シリーズ  (2-2) 複合船シリーズ を見ていきたいと思います。

豊穣なる宇宙へ

◆『阿呆船』(80年:「SFマンガ大全集」奇想天外社)
 22世紀、「ネハン病」が発生。人類は伝染を恐れて罹患者108名を宇宙船に乗せ、可住惑星プロキオンへと旅立たせた。ネハン病の症状は「自我の消滅」で、外観的には痴呆状態を呈すが知能障害はない。それはまるで、阿呆や白痴、狂人たちをナラゴニアに追放する15世紀の「阿呆船」の詩のように。ところが、その船のシステムは閉じていなかった。これでは木星より外には行けない。その船が、400年後の26世紀。廃棄された宇宙島を摂取している映像が捉えられる。
 「阿呆船」には、怪異・異形・豊穣である新しい生命が宿っていた。500億の人類がひしめく地球に「阿呆船」が帰還する。混乱と愚行の大混沌期。それを生き延び、地球にとどまったのは110億人ほど。人類は、自然発生的な1万2千の自治都市に別れ、北京に地球連合政府を置いて穏やかで良識的な「至福千年期」を宣言する。

※ 26世紀「至福千年期」の宣言。
 その後、物語は、地球にとどまった人々の話(阿呆船シリーズ)と、宇宙に逃れた人々の話(複合船シリーズ)に分かれて語られていきます。
 
◆『馬祀祭(アシュヴァ・メーダ)』(82年:「グレープフルーツ」新書館)
 至福千年期に入って90年がたった地球の自治都市のひとつである万華市では、文化が澱み、退屈を恐れるようになった市民のために、地球連合政府からの独立を宣言し、王政復古する儀式として「馬祀祭」を行うことになる。

◆『天界の城』(83年:「S・Fマガジン」早川書房)
 成就した馬祀祭により、王政となった万華市の王とその従者の物語。貧困や戦争、病や死の大半を過去の遺物としてきたはずの至福千年期に、暴君を頂いた万華市は傾いていく。

◆『羅陵王』(85年:「LaLa」白泉社)
 蝕市(ラーフ・シティ)またの名を”地底楽土(アンダー・ヘブン)”。地球連合政府は、世紀を経て階級制度をもつ「帝国千年紀」に変容し、人口は90億人に縮退している。アムリタと呼ばれる不老長寿薬を巡る、蝕市と帝国、「それらを出し抜こうとする男」と「蝕市の祭主」による帝国とのかけひきの物語。アムリタの恐るべき秘密が語られる。

◆『緑柱庭園(エメラルドガーデン)』(87年:『吉祥花人』白泉社)
 帝国モルディガールの女帝と皇女と、自ら血と反逆の汚れを負い大恩を仇で返して帝位簒奪者となった、近衛隊長の一子の物語。

◆『美女と野獣』(80年:『ペーパームーン少女漫画・千一夜物語』白泉社)
 「わたしを幽閉しているこの城の城主は わたしの囚でもある あののろわれた野獣です」と始まる佐藤史生の描く「美女と野獣」。

※ ここまでが地球での26-30世紀頃のお話。早川書房から『天界の城』として文庫化されていますが、『緑柱庭園』と『美女と野獣』の掲載はなく、『やどり木』が掲載されています。『緑柱庭園』を、阿呆船シリーズに入れていいかは、異説があるところかもしれません。「あそこを守る機械兵は皇族の他は空気も通さないわ 浄化せずにはね」という皇女のセリフからの想定です。また、『緑柱庭園』をシリーズに入れるなら、番外編として『美女と野獣』も続けて読みたいところ。美女と野獣の姿に、阿呆船が帰還して以降の地球の歴史「怪異・異形・豊穣である新しい生命」を重ねて見るのはどうでしょうか。

 続いて、宇宙に逃れた人々の物語の背景となる歴史を拾ってみましょう。作品中に『阿呆船』と連続する世界である表記はないので、世界の接続は勝手な思い込み、推測をこめてになります。地球では、「至福千年期」から「帝国千年紀」に移行していきますが、大混沌期を生き延びて宇宙に逃れた人々は、たぶん長い時を経て「複合船ギルドの時代」を迎え、中世様に退行していく地球とは袂を分かち、複合船シリーズを紡いでいきます。『夢みる惑星』に見られるように、佐藤史生の未来には、退行する人類やヒトならざるものへの進化のイメージが織り込まれています。

◆『やどり木』(87年:「グレープフルーツ」新書館)より
 宇宙に散っていった人類の中で、惑星ハザンに入植した人々の物語。入植時8500人だった人々は、6世紀ほどで、700万人にまで増え、300もないと思われる改造惑星の入植ケースとしては、稀有の成功例でもある。
 改造惑星は、ウェルメイド現代社の商品で、地球化装置とそのメンテナンス付きで「汎人知協会」が購入し入植した。通常は、販売後もその後何世紀にもわたり複合船が訪れては、居住施設だの水耕プラントだの山ほどの知能機械だのを売りつけて、そのローンを支払うために生産性を追求され「植民地化」されていくのだが、ハザンは、工業製品をご法度とする協会の信条のおかげでそれを免れ「自立」できた。が、第二次星間戦争のあおりで協会が壊滅した結果、メンテナンス料金を自分で工面しなくてはならなくなる。
 ハザンで代金のかわりになるものはレアメタルぐらいだが、鉱業は母なる大地を犯す大罪。だが、それを掘って渡すしかない状態が400年続き、メンテナンスを必要とする改造期間を400年残して、聖ミスルトが「地球化装置を複合船の巨大なコンピュータの助けなしで維持する方法」を発見。植民地化を回避する術を手にいれる。
 これは、その術を維持する役割に任じられる青年の物語。ハザンに浸透している「自らの宿る母たる惑星を汚さず、兄弟たるすべての生物を圧迫しないこと」とする信念は、スパイスの効果で脳が変質し宿脳化した人間を機器の計算メンテナンスに供することに疑念を抱かなかった。

※ 36世紀頃でしょうか。物語は、ハザンの人々に今後大きな変容をもたらせることを予期させます。「ハザン人は、あと千年もしたら人類とはいえなくなるかもしれない」

※ 88年発行の第39号をもって、ダーク系作品発表の場の一端を担ってきた新書館の「グレープフルーツ」が休刊してしまいます。『やどり木』の掲載が、34-37号の4号でした。以降の掲載は、表現は緩和されつつもダークな色調をもって、歴史とともに読者層の年齢があがってきた小学館の「プチフラワー」での掲載となります。

◆『塵の天使』(89年:「プチフラワー」小学館)より
 ペンジュラム・シティは、人類最初の宇宙都市であり、宇宙へのゲートである。その中で、ヴィクトリー・ゲイト・タウンは複合船の母港であり、自治船でもある複合船は、異星の物資や情報や混乱とともに100年に一度の割で帰ってくる。地球にはテラ政府がおかれ、大統領がいるようなので、阿呆船の帰還前の地球。シリウス航路があり、25世紀ごろかもしれない。人々は何十光年も離れた星々を移動している。オールド・アースへ旅行ができたりする。大熊座ドウベの惑星グリスタンで、土(アース)から産する「天使」。その、アーティストの夢(愛)によって形成されるテレパシー生物とアーティストについての物語。

※ 年代としては、複合船のネットワークが機能しており、すでに123光年離れている大熊座ドウベ星系と交易しているので、人類が宇宙に拡散して相互に交流している時期だと思われます。阿呆船を送り出した後の人類の宇宙への進出がすさまじい。阿呆船の帰還で混沌におちいった地球とは、母性との音信不通程度で宇宙での種は独立して進化しています。「汎人知協会」が惑星ハザンを購入しのは30世紀頃でしょうか。
 
◆『チェンジリング』(89年:「プチフラワー」小学館)より
  70-80年前に発信されたメッセージ・カプセルを拾った「種子の探索者(シード・シーカー)」の主人公は、発信地であり種子惑星のひとつであるイリドムに辿り着く。メッセージは、貴族社会末期で革命寸前とあったのだが、イリドムでは、長い間下層市民であったものたちによる革命が成功し、病気も野蛮も不平等もない俗にいうユートピアを実現したいた。革命直後に407人いた貴種、すなわち貴族たちは、広大な宮殿に隔離され何の不自由もない生活を保護されたというのに、生命力を失い、すでに死滅してしまっていた。2000万人いる元下層市民だったものたちは、主人公の来訪による事件で、自らのコンプレックスを認識してしまう。

※ ちなみに、この時代、地球人口は8億人、太陽系内でも50億、その外に500億の人口があるとされています。地球での人口が「帝国千年紀」の90億人から急減しており、阿呆船が帰還した当時の地球には500億人いたとされていますので、混乱と愚行の大混沌期にどのくらい宇宙に逃れえたかの記録はないものの、一端、宇宙に拡散し減耗した人類が、開拓期の困難を乗り越えて増加に転じています。複合船シリーズでは、個々の居住惑星に応じて変質していく人類を観察していく視点で物語が語られます。

◆『ネペンティス』(89年:「プチフラワー」小学館)より
  シード・シーカーは、イリドムからの亡命者を連れて深宇宙を進む中、複合船に出合う。複合船は、世紀をかけて星系を渡り星間ビジネスを担うが、船内には、100人からのひとつの家族が居住している。そこで営まれる厳密な家父長制による母系社会システムは、大家族という小共同体を維持するのに合理的な仕組みであり、家系と船の巡航路線を組み入れた壮大なチャートをもって王の交換を行う。ここ200年に知られているただ一人の影王は、最古の船「スンマ」のもので、呪われた逃亡者だった。

◆『バビロンまで何マイル』(97年:「プチフラワー」小学館)より
 アタラクシア修道会は、母星(ホーム)を汎人類協会から購入するために、体を売ったり婚姻を結んだ結納金で資金をため、複合船をヒッチハイクして星間をわたり、各所に後援者をもっている。アタラクシア修道会の尼僧は体内に、健康長生をもたらす共生生物「ゾラ」を飼っている。宿主が死ぬと弔い役として「ゾラ」が死体を分解してしまうのは、死者を葬る時間もなく逃げる彼女たちにとっては好都合だ。尼僧が殺される事件が連発しており、彼女たちは星から星へ逃げ回るだけで、星際刑事警察機構(インター・ポール)にも保護を求めない。
 追っ手は、ザナドウまで亜光速船で1ヵ月ほどかかるマルドゥク星系第二惑星エサギル生まれと名乗るが、エサギルは、なぜか複合船データベースに名前だけあるが、汎人類協会のデータベースには掲載されていない。
 アタラクシア修道会では、じきに頭金を払い終わって、300年のローンを残しながらも母星が手に入るところまできていたが、逃げるのではなく追っ手と対峙することを選択する。

※ バランシン一座のフタッフが「現代社製のロボット」という記載がありますので、やはり『やどり木』と同じ「複合船ギルドの時代」ですね。

◆『心臓のない巨人』(98-99年:「プチフラワー」小学館)より
 複合船エクスクルススは、タラ星系のラグランジェ・ポイントに停留している。『ネペンティス』に登場する複合船の慣習のままに王を頂き、船母とその大家族で運営されているが、宇宙の果てを巡っても収益は限られ、船内の菌類農場(マイクロファーム)での苛酷な労働を強いられている。規模は、何百人の妻をもつとあるので1000人近い大家族。王は、複合船組合(ギルド)を離脱し定住を模索しているが、ギルドは巨大な集合生物であり離れては生きていけないと、家族たちから反対されている。王は、船外のクラウド二連合体から招き入れられた身であるが、過去にハガン星系から独立するにあたり、戦争に次ぐ戦争、あらゆる物資の窮乏を目の当たりしてきていた。
 そんな中、船母は、イリンクス社製の「ハヌマット」神猿を気に入って購入する。神猿の金冠は、知能を促進するためナノ物質で生成されたもので、その猿は人の心の底が見えてしまう、不安定な共感者(エンパス)だった。

 『夢みる惑星』や『ワン・ゼロ』、『金星樹』、『ミッドナイトフィーバー』など、ピュア系の作品群では、人類の存亡をかけたり、モラトリアムな自由を楽しむ大学生活に、頁をめくるたびにワクワクし読み終わった後には、主人公たちのその後の世界に思いを馳せることができますが、ダーク・ファンタジーである「阿呆船、複合船」シリーズでは、頁をめくるたびに重圧がのしかかり、読み終わった後にも主人公たちが抱える罪悪感に心をえぐられます。気にはなりながらも、なかなか佐藤史生の描くダーク系作品に対峙してこれなかったのですが、佐藤史生のニュートラライズされたその先の Sato Shio’s Fantasy に踏み込むには、避けて通れないゲートでもあります。
 『夢みる惑星』における自我を喪失させる暗殺の舞や、安らかなる最期を迎えるためのルフの焼香として、また『ワン・ゼロ』におけるニルバーナのように争いのない至福の世界として、さらには、『やどり木』における人間計算機として奉仕する宿命として「自我の消滅」が描かれ、主人公たちは、その「平穏なる解脱の世界」を拒否し、煩悩の塊であることを選択しますが、その反世界である「阿呆船、複合船」シリーズの地球では、帰還した阿呆船により抗う術もなくネハン病により自我が消滅した人々が、怪異・異形・豊穣である新しい生命を獲得し、宇宙に拡散した人類は、それぞれの惑星で、もはや人類とは言い難い独自の進化を遂げていく様が描かれています。

 人をヒトならしめる煩悩にこだわる物語と、煩悩も解脱も、さらにはヒトであることをも超えていく物語たちの千夜一夜語り。復刊ドットコムの佐藤史生コレクションを継承する「ダーク・コレクション」が刊行されることを祈って。
 佐藤史生の「豊穣なる宇宙」へようこそ。

2024年3月11日
※東日本大震災から13年。人類はまだアスカンタの淵にしがみついている。

追記:
 1991年の9月に『夢みる惑星』の後日譚である『竜の姫君』を発表。その後3年ほどの休筆を経て、94年に発表された『鬼追うもの』の世界観は『阿呆船』の延長にありながら、ダークな物語を突き抜けて、ピュアなキャラクターの魅力を織り込んだ作品として、Sato Shio's Fantasy (単行本のサブタイトルによれば NONSTOP WORLD )が展開されています。
 神篁(たかむら)の属するヒモロギ府は、『神遣(かみやら)い』(95年)によると、生き延びる確率が大変低い宇宙への移住を計画しており、ガイアの分封群の生存をかけた新しい物語が始まっていました。阿呆船の帰還がもたらした「混乱と愚行の泡立つ渦のなかから」誕生する「新生」。それが時を経て醸成された地球と、宇宙に分散した人類の物語。いつの日にかどこかで子孫たちが再会するエピソードが用意されていたかもしれません。
 最期の作品となった『魔術師さがし』(2000年)に登場するパングロスには、その時代の用語で「自動翻訳エキスパート・システム」との紹介が付されています。佐藤史生が存命であったならば、現在の「生成AIの登場」をまさしく「パングロスの誕生!」と言ったのではないでしょうか。「かつてない聡明な人格(ペルソナ)であらゆる難問をこなした だから皆、彼に幻惑され彼しか見えなかった」パングロス。そのパングロスに「意」を吹き込むベビーに、『ワン・ゼロ』の都祈雄とルシャナの面影を見てしまうのは、そこに『魔(ダーサ)』化したマニアックの姿を見てしまうからでしょうか。


 




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