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貨幣が消滅した2080年の八ヶ岳山麓を旅する物語の創作ノート。 八ヶ岳プロット( https://note.com/8plot)で活動中
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こちらの記事もご参照ください。佐藤史生が描く「豊穣なる宇宙」 [初出掲載年月]:[作品タイトル] /[掲載誌] 2024年3月10日更新版 1976年06月:Do, SATO...12 /ピグマリン1号 1976年09月:一角獣にほほえみを /ピグマリオン2号「風の木」(ラヴリ・ブックスNo.3) 1976年11月:マは魔法のマ /ピグマリオン4号 1977年02月:恋は味なもの!? /別冊少女コミック 1977年2月号 1977年05月:星の丘より /別冊少女コミ
こちらの記事もご参照ください。佐藤史生が描く「豊穣なる宇宙」 [出版年月]: [書籍タイトル] [出版者] [備考] 2024年3月10日更新版 ◆新書館(ペーパームーンコミックス) 1981年03月:「春を夢見し」 1983年12月:「死せる王女のための孔雀舞」 1984年04月:「竜の夢その他の夢 夢みる惑星ノート」 1985年02月:「この貧しき地上に」 1988年03月:「やどり木」 ◆小学館(PFビッグコミックス、PFコミックス、小学館文庫) 1982年05月
SF(Speculative Fiction)から SSF(Sato Shio’s Fantasy)の宇宙へはじめに 1950年生まれのマンガ家・佐藤史生が、『恋は味なもの!?』でデビューしたのは、1977年でした。23年後の2000年に発表した『魔術師さがし』のシリーズを最後の作品として、癌との闘病の末、2010年に亡くなります。まったくもって夭折が惜しまれます。短く終わってしまった生涯。その足跡を偲んで「作品初出リスト」を作成しましたのでご参照ください。(※間違いがあ
今はなきインデックス・コミュニケーションズ社から、2004~2006年に「くうねるところにすむところ」という、建築家が子どもの目線で、家について伝える絵本のシリーズが出版されていました。 発刊のことばには、「いま、家文化はすっかり枯れかかり、(中略)急速に家は力を失いつつあります。」という危機感が示され、その衰退が大きな影を落としているだろう子どもたちに、「家の確かさと豊さと力強さを取り戻したい」とあります。このシリーズの視点を借りながら、「家」ってどんな「ところ」であろ
朝ドラ『おちょやん』の主題歌、秦基博の『泣き笑いのエピソード』。 毎朝テレビから流れる歌を聞いていて、「かさぶたが消えたなら」というフレーズがひっかかってました。 「かさぶた」?あまり歌詞には使われない言葉。いいイメージがない。なぜだろう。子供の頃ころんで擦りむいた膝の傷にできたかさぶたが気になって、剥がしちゃダメだってわかっているのに、このぐらいならいいかなってべりっとすると、まだ治りきらない皮膚から血が滲んで、またかさぶたができてしまう。の繰り返し。積み重なる小さ
こんな週があってもいいかも。 2021年3月17日
10年目の3月11日を迎え、テレビでは多くの関連番組が放送されている。「みんなのフォトギャラリー」で上の写真を見つけた。あっ、南三陸だ。 ずいぶん養殖筏が戻ってきた。あの夏、高校生の息子とボランティアの宿泊を受け入れていた南三陸のホテルに泊まった時は、何もない水平線しか海にはなかった。いや、やはりカモメは同じように部屋を覗きにきて同じように写真を撮ったのを覚えている。朝日で煌く「何もない海」を背景として。 3月の末に入った時、賑やかな街だったろう入江は瓦礫で埋め尽く
大切な作品に再会する旅。ついに!完結編。 1976年に雑誌プリンセスに発表された萩尾望都の『アメリカン・パイ』。断捨離しちゃった作品をさがして、前編では、アメリカン・パイの原曲に込められた「古き良きアメリカへの追悼」を、中編では、萩尾望都のマンガ家としての「新しいチャレンジへの分岐点」を発見し、後編のはずだった中継ぎ編では、半世紀近く経たあの頃の雑誌に掲載された「物語が結晶化させた時間」に出会い、この完結編では、宝塚歌劇で舞台化された「いつまでもリフレインするリューの歌声
1976年発行の雑誌『プリンセス』を探して、神保町の明治大学 米沢嘉博記念図書館へ行ってきました。2月号と3月号に前後編で掲載された萩尾望都の『アメリカン・パイ』と再会(>∀<)!国立国会図書館でのプチコミック版でモノ印刷になっていた前編のカラーページと、後編の2色カラーが綺麗に残っている!カラーならではの世界に見入ってしまいました。 ご満悦と言いたいところですが、モノ(一色擦り)のページが、残念!!(T . T)なことに。日焼けで茶色くなってますが何色か紙色があって、
『アメリカン・パイ』探訪のお預け中に、amazon prime で見つけた『アンナチュラル』。久々に一気観しました。途中で寝むれなくなったのは『少女終末旅行』以来です。 『アンナチュラル』は、2018年にTBSで放送された全10話のドラマ。架空の「不自然死究明研究所(Unnatural Death Investigation Laboratory: 通称UDIラボ)」を舞台として、石原さとみと井浦新が演じる法医解剖医と臨床検査技師の市川実日子、記録係バイトの窪田正孝、
大切な作品。1976年に発表された萩尾望都の『アメリカン・パイ』に再会する旅。《後編》のはずが、手に入れた宝塚のバウホール版は、VHSをDVDに直さなきゃ見れないので来週以降にお預け。今回は2週目の《中編》として、国立国会図書館に行ってきたお話です。 前編を投稿した後、全集でもいいから読み直そうと思って本棚を探したんですが、なんと、萩尾望都の全集ならいつでも買い直せるってことで、これまた破棄しちゃってたんですね!住居は限られている。モノがあふれてる。何を残すか。断捨離す
誰にも「自分の『思い』の原点」と言えるような作品との出会いがありますよね。今回何十年かぶりに、その時の『思い』のお蔵出しを試みました。 萩尾望都の『アメリカン・パイ』。高校生で出会って強烈に共鳴して、その雑誌を捨てられずに社会人になってからも冊子をバラしてずっと持ってたんですけど、20年ほど前に全集で読めるからって処分しちゃいました。 全集に再録された作品はもちろん同じ物語で、萩尾望都の思いはそこに描かれているんですけど、何べんも繰り返し読んでは、若き日の自分に立ち返
先日、ドイツに留学し行動する環境活動家、谷口たかひささんの講演動画をみていたら、日本とヨーロッパの教育の違いについて、日本では『義務』から教えるが、ヨーロッパでは『権利』から教える。そして、他人の『権利』を迫害してはならないことを教わるという話がありました。 ヨーロッパは、フランス革命で自ら市民の『権利』を勝ち取り、ヒットラー政権下においては「市民も『権利』を迫害した歴史」を持ち、冷戦下での人権が抑圧された世界への反省からなのでしょうか。日本で教育を受けた自分はと振り返
再就職したら、土日が勤務日になった。 2年ちかくぷーたろーしてたんで、曜日なんて関係ないかなって思ってたけど、仕事もないのに「朝ドラのない日は休養日!」って結構染み付いてるみたい。朝ドラ、がっつり観てたからなぁ。 前作からか土曜日の放送がその週のまとめになっちゃって、「土日はドラマが進まない」ってのもお休み感を増してる。昼近くからの勤務なので相変わらず朝ドラ観てるけど、朝ドラを観ない土日にも出勤して、平日の休日に朝ドラ見る生活。体が慣れない。 「社会」がお休みの日
fecebookで、以下の「こども新聞の出題」が紹介されていました。 小学校で習う漢字。読めますか? 希う、低れる、特け、億る、周く、害なう、卒わる、管る、芸える、団い いくつ読めました?・・・・・私は、全滅!ひとつも読めませんでした。 答えは、こちら。 希う:こいねがう、低れる:たれる、特け:とりわけ、億る:おしはかる、周く:あまねく、害なう:そこなう、卒わる:おわる、管る:つかさどる、芸える:うえる、団い:まるい タイトルは、「そこないが、あまねくおわ
古い友人が亡くなった。 学生の頃、舞台を作るためにいっしょに徹夜した。 深夜に自動販売機のうどんや、紅生姜てんこ盛りの牛丼を食べた。 いや、それを食べていたのは私で、彼は横でビールを飲んでいた気もする。 40年余り前の話。 骨まで数日煮込んだカレーをご馳走になった。汗をかきながらたべた。 マコーミックのひと瓶単位で、まるごとスパイスを入れたカレー。 今でもカレーを食べ歩いているのは、あれが原点だったのかもしれない。 共に過ごした日々は、けっして多くはなかったのだけど。