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かけがえがなくて、寂しい

バタバタと片付けをしている間はよかった。慌ただしすぎて、感傷に浸るひまもなかったから。

家を離れる数時間前にしてようやく大方のダンボール詰めがおわり、風呂場でシャンプーを片付けているとき、急にきた。

女子3人のシェアハウスだから、風呂場には3人ぶんの別々のリンスとシャンプーがずらりと並んでいる。そのなかから自分のシャンプーとリンスをとった瞬間、「私はもうここの住人じゃなくなる」という現実が突きつけられて、寂しさの波がザバーンと襲ってきた。不意打ちだったので驚いて、喉の奥でぐっとかたまりを飲み込んだけど、こらえきれずに涙が出てしまった。

実家の家族との関係でつまづくことが多かった私にとって、シェアハウスで暮らした1年半は特別にかけがえのない時間だった。

シェアメイトはいつも、私のありのままを尊重して「いいね」と言ってくれた。直してほしいところもちゃんと口に出すけれど、決してその人自身のことは否定しない、近いけれど境界線のある、信頼関係があった。

家のなかに味方がいること、帰るとホッとできることに、どれだけ救われただろうか。

安心安全な「家」という居場所を得たことで、私はずいぶん精神的に安定したし、自立したと思う。人と一緒に住むことで自立するというのは矛盾しているようだけど、実際は全くその通りなのだった。身近な人との関わりを通して「自分は大丈夫」と思えるから、特定の誰かに依存しなくていいし、自分を大きく見せようとしなくてもいい。私が私である今ここの世界に、自分の両足で立つことができる。

そんなかけがえのないものをもらった家を、数時間後に出る。

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シェアメイトとは、沖縄に引っ越したあともオンラインで顔を見て話したり、LINEで気軽に相談したりできるだろう。この先もずっと大切な、友達のような家族のような存在だと思う。

でもそのときの関係性は、同じ家に住んでいて「おはよう」や「いってきます」を言う「シェアメイト」とは、別のものだ。

仕事とコロナの都合さえつけば、またこの家に遊びにきて台所でごはんをつくることも、泊まることもできる。

でもそのときの私は住人ではなくお客さんで、この台所でごはんをつくるのは日常ではなく非日常だ。

またすぐに話せる、会える、関係性を続けられる。
いつでも戻ってこれる、遊びにこれる。

そう思って自分の「寂しい気持ち」をごまかしてきたのだけど、寂しさの正体はそういうことじゃないと、シャンプーを片付けたら気づいてしまった。というか、思い出してしまった。

今ある日常と関係性が過去のものになってしまうことが、寂しいのだ。その日常と関係性が、かけがえのないものであればあるほど。

本当は、永遠に続く日常や、同じかたちで固定される関係性なんてひとつもない。毎日少しずつ、もしくは長い年月を経て、変化していく。予想もつかない形で強制的に、日常や関係性が終わることもある。

そのことに救われることもあれば、切なくなることもある。

いずれにせよ、生きている限りひとところに留まらぬことは当たり前で、それに伴う寂しさと愛おしさは、いつだってそばにある。

ただ、何かが大きく変わるときにそのことを思い出すというだけなのだ。

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寂しさを自覚する瞬間は、胸がやぶれそうなくらい切なくなる。何度経験したって、この切なさには慣れない。

シャンプーを片付けて、ガランとした自分の部屋に掃除機をかけて、最後にシェアメイトのつくったトマトミルクスープを食べているあいだ、心臓が痛くてぽろぽろ泣いていた。

この感覚に馴染むには時間が必要なのだと、わかっていた。今この瞬間が一番切なくて、これから少しずつ自分のなかに収まるのだと。

高校を卒業したときも、祖母が亡くなったときも、大学の卒業旅行が終わるときも、関わっていた子どもたちとお別れするときも。

思い出すだけで胸がきゅっとするくらい大切な時間の終わりは、これまでに何度もあった。

かけがえのない時間はのちに自分を構成する一部になり、しんどいときに自分を支える拠りどころになる。温かい思い出に囲まれていることにふと思い至って、穏やかな気持ちになれる。もちろん、気持ちの揺らぎはあるけれど。

その事実を知っていたから、今の自分が大人でよかったと思った。

引っ越して10日、時間の力というのはすごくて、切なさはだいぶ薄れてきた。あの家で過ごした時間はもう「日常」ではないけれど、まだ「思い出」にもなっていない。

昨日はシェアメイトとオンラインで話したのだけど、画面越しに見えるキッチンと部屋干ししている洗濯物がすでに懐かしいし、自分があちら側にいないのがまだなんとなく不思議だった。

新しい土地で、今度はどんな人たちと、どんな日常を刻んでいくことになるだろうか。寂しさと楽しみな気持ちが共存できることにホッとして、これはまだほんの始まりにすぎないと思うのだった。





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