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Netflixの巧妙な策略により刃牙に沼った 2(ピクルvs烈, ピクルvs克巳編)

前回の振り返り

このシリーズはかねてから興味を抱いていた刃牙がネトフリで好調と聞き、重い腰を上げて見ることにしたが、順番を調べると言うたった一手間を惜しんだ結果、対カマキリ戦から見てしまった人間の感想記です。
今回はなんやかんやで刑務所編を割とエンジョイし、作品のノリに慣れてきた頃にピクル編に入り急にキャラが増え本格的に「おもしれえことになってきた…」的なワクワク感と共に作品を楽しんでいた頃の記録です。

さて、「地上最強の親子喧嘩」という作品全体のテーマに照らして考えた時、刑務所編は父と戦う前に父と実力が近いオリバを倒す!という分かりやすい目標があった。それに対しこのピクル編は突如現れた強敵ピクルを誰が倒すか⁈という物語であり、作品の大筋である刃牙の物語からは少し外れる。メインストーリーというよりイベントクエスト味があり、話の焦点も主人公の刃牙というよりピクルと戦う相手のキャラクターに当たる。


①烈海王VSピクル


↑のように電子の海で絶叫しているイメージが強い烈海王が原作ではかなり礼節を重んじるタイプで驚いた。そもそも敬語キャラな事自体が意外である。(もっとうるさい煉獄さんみたいなイメージがあったので)
ピクルハウス潜入の時点でちょっと天然っぽい感じのキャラかな?とは薄々察してはいたのだが

生涯を捧げたものを全て捨てる程追い詰められて取る行動がまさかぐるぐるパンチとは…笑(いや、本人は真剣なのだ、笑ってはいけない)
流石に想像を超えていた()

烈海王が本当に食べられると思って結構、いやかなりビビったのは内緒だ。

この烈海王戦に限らず戦ったキャラに大きな欠損や死のリスクがある、という点は長年追いかけているファンにとってピクル編の大きなマイナスポイントだったのでは無いか、と察せられる。
ピクルの設定的に仕方ないとはいえ今まで見守ってきた「推し」キャラが死の危険(「死ぬかもしれない」ではなく「負けたら死ぬ」)に晒されるのは見る側にストレスを強いるだろう。

でもまあ皆「始めまして」状態なのでそこまでハラハラせずに済むという点で、このピクル編を早めに見ておいてよかったと思う。

②克巳VSピクル


https://www.netflix.com/jp/title/81236338  より

ここまでで既に「烈海王…フフ…おもしれー男」とかなりハマってきていたものの、失礼な話だが
「(語り口に若干時代を感じるけど)名作だけあって面白いな」
とまだうっすらと括弧付きで評価し、斜に構えて見てしまっていた。
あくまで「往年の名作」に対する鑑賞的な態度を保ったままで、没入しきれていなかったのである。
(もちろん没入系の読書体験が全てでは無い。あくまで自分の好みだ)

そんな冷めた筆者の心を一気に鷲掴みにし刃牙ワールドに引き摺り込んだ、俗に言う「沼らせた」のがこの「克巳VSピクル」もとい「灼熱の時間」だった!
「灼熱の時間」はネトフリのアニメ化範囲を視聴し終えた今でも好きなエピソードの一つであり、愚地克巳は最も好きな登場人物である。
このエピソードの凄まじさはまた別記事で詳細に書こうと思うので、ここでは初見時の素朴な感想を綴っていく。

当然のことであるが途中から見ているため、克巳のキャラクター性を捉えるのにとにかく苦労した。
刃牙は主人公、勇次郎はラスボス、オリバは章ボス、烈海王は烈海王とここまで役割が明確だったので、ここへ来て初めて「克巳のキャラつかめない問題」という名の途中から視聴ゆえの障害にぶち当たったのである。

ここでざっくりと克巳の出番を振り返ってみよう。

1.ピクルハウスにて

ピクルハウス同窓会メンバーでもぬいぐるみの中に長時間入る独歩や先述の烈に比べて、壁を蹴破るという潜入方法はインパクトが薄く(刃牙ワールド基準)、キャラデザが普通のラーメン屋さんみたいなのも相まってあまり作者の気合を感じられないキャラ、というのが第一印象だった。
そして極めつけに克巳は後から来た勇次郎に「父にも自分にも刃牙にも相手にされない」とディスられる。

これはもう完全にかませや…とここで疑惑が確信に変わった。
一口にかませと言っても色々あると思うが、この勇次郎のセリフ的に少年漫画にいがちな主人公である刃牙を一方的に敵視しているタイプのギャグっぽいかませキャラなのかなとこの時点では思っていた。(例:NARUTOの木の葉丸)

地味に勇次郎は「父」としか言ってないため、初見には誰の息子なのか分からない。しかし勇次郎は同時に「父の前でついつい虚勢を張ってしまう」とも語っているため、

父は,このピクルハウスの中にいる!

おもむろに彼の父を探すミステリーが開幕し、同窓会はお開きになる。

2.ピクル捜索からの突然の発狂

どうやらこの人物は神心會なる組織のトップであるらしく、何人もの部下たちにピクルの捜索を命じる。
そうか、コイツ私兵を有してるタイプのキャラか…それはかませでも舞台装置として重宝されるわけだ、と間違った納得の仕方をした。

その後に克巳自身が「親父である独歩の気まぐれで組織のトップになったが…」と語っていたため彼の出生の謎はあっさり解決されるが

克巳は独歩の息子である=独歩には克巳という息子がいる
な訳で、世紀末感強いビジュアルの独歩に息子がいるのは割と意外な印象を受けた。

とにかくここまでの克巳は勇次郎にディスられたり、ピクルを取り逃したり、(多分)ストレスで発狂したり、我に返って落ち込んだりと散々な目に遭っている。

このようにしつこい程に彼の格を下げる描写が続く一方で、話の焦点は烈海王から彼に移りつつある。

しかし彼より格上ぽい描写の烈海王はピクルに完膚なきまでの敗北を喫しているというのに、ここからどうやって話を展開するのか?と非常に疑問だった。

3.そして始まる強化イベント〜烈海王に学ぶビジネスの極意〜


「範馬刃牙」15巻より

病院を退院したらしい烈海王は早速筆者の疑問を克巳本人にぶつける。 
「自分に指導される立場のお前がピクルに勝てるはずがない」と

個人的にこの場面の烈海王の社会人力にしびれるあこがれるゥ!となった。
格闘家にとって実力の差というのは、自身の存在意義に関わるようなこれ以上無くセンシティブな問題であり、
「お前は俺より弱いんだから」
と事実をストレートに表現する事は憚られる。
そこで自分の克巳の個人的、現実的事象を一度「師匠と弟子」という抽象的な立場の問題に一般化し
「師匠が勝てない相手に弟子が挑むのは道理に反している」
とロジックの穴を突く形で、実力の問題には直接触れずに無茶をする克巳を止めようとする。なんというコミュ力だ…と感心した。これが中国武術か、中国拳法とはこれほどまでに強力なのか…

そこから烈海王は克巳のピクルに挑む意思を曲げられない事を悟り、一緒に対策を練ろうと提案する。
この辺の相手に対するおだて方も見事の一言である。
過去の克巳に向けて放った例の「君達のいる地点は(以下略)」の意見は変わらないもののそれは理論上の話であって実戦はまた別だ、と過去の発言のニュアンスをやんわり訂正し、相手へのリスペクトを示しつつ「マッハ突き」なる技の有用性をアピールする。

烈海王はピクルハウスでの勇次郎と克巳の会話を聞いているため、「もうやめて!克巳の自尊心はもうゼロよ!」な状態であり、その焦りから無謀な戦いを挑もうとしている背景も察している可能性がある。
そこで一旦克巳の自尊心を回復する必要を感じたのだろうか。今現在の状況をすぐに変えることはできないが、過去の自分の発言は情報を捕捉する事で違う含みを持たせる事ができる。

まあ普通に考えれば克巳の使える技のうち1番強力なのはマッハ突きなのだろうから、そこを鍛える流れになるのは必然的なのだが、にしても話の運び方が巧みすぎる。烈さんが詐欺師とかじゃなくて良かった。逆に格闘家という、話術あまり関係ない仕事に就いてるのがやや勿体無いまだある。

亀仙人みたいな爺さん(烈海王の師匠)が登場した際にもすかさず「連絡してくれたら空港まで迎えに行ったのに」と気遣いを忘れない。
目下(克巳)にも目上(郭海皇)にも抜かりない心配り!
一度烈海王の社会人力の高さを知ってしまうと、彼が異世界というビジネスもヘチマもない業界に転職した事が悔しくて堪らなくなる。(なぜか刃牙を読む前から烈海王異世界転生ネタという、間接的なネタバレは知っていた)


話が脇道に逸れすぎた。愚地克巳の人物描写を追う旅に戻ろう。
とにかくこの烈海王との特訓が始まってから怒涛の克巳ageが始まる。それまでとの落差がヤバい。温度差でグッピーが死ぬ(死語)

亀仙人(亀仙人では無い)は彼の才能をベタ褒めし、幼少期の天才エピソードも明かされ(センシティブな家庭事情が中国まで広がってるのは自分だったら普通に嫌だが)、新技は部屋一面の窓ガラスを一撃で破壊する。(なんで拳の当たる軌道の横にあるガラスまで割れるのか?)

先程も書いたが株の上下が激しすぎて結局克巳がどういうポジションのキャラなのか判然としない印象を受けた。

4.灼熱の時間


「範馬刃牙」16巻より

ここまでひたすら「克巳の格がブレすぎ」と筆者は主張してきたが、ここまで読んで下さった方はこうも言いたくなるのではないか

「それは途中から見たからだろ。作者が想定していない読み方をしておいて勝手に文句をつけるのはおかしい」

全くその通りである。しかし筆者は文句を言いたいのではない。自分が言いたいのは、初見時の筆者は克巳のキャラや格をいまいち把握しないまま視聴していたため、
作者が独歩の口を借りてわざわざ言及したような「克巳の成長物語」というフレームワークにあまり乗り切れていなかったということである。

そしてそれでもなお、自分はこの「物語」に強く心を揺さぶられた、という事実である。

圧倒的な力の前に、人が努力する意義はあるのか。
敗北は全て無意味なのか。
逆に、自分よりも弱い存在を蹂躙したいという欲望に勝る感情はあるのか。

こういった途轍もなく重たい幾つもの命題に対する一つの答が「灼熱の時間」なのだと思う。

これは人が抱く畏怖という感情は必ずしも自分より強い存在にその対象を限定しないのだ、人は身体性の呪縛から解放されうるのだ、と信じさせる眩しい希望の物語なのだ。単なる一個人の成長物語の枠には到底収まらない。

勿論独歩や刃牙が語ったように愚地克巳という一人の人間の成長ストーリーとして非常にエモーショナルであることは言うまでもないし、このキャラクターが抱えるその他の多様なテーマ(組織のリーダーとしての苦悩、天才故のプレッシャー、求道者としての使命、自身の標準から外れた「家族」の形への心境)の観点からも解釈が可能である。
もし、ここまでこの記事を読んでくださった方で、上記のテーマに対して少しでも思う所がある方は是非、このNetflixシリーズ第七話(「範馬刃牙」シーズン2第七話「灼熱の時間」(漫画だと「範馬刃牙」16巻、テレビでも2023秋に放送)だけでも視聴してみてほしい。

自分があまりにもこの物語に感動したもので、ついポエミーな内容になってしまった。
当時はピクル編や「アニメ刃牙」に関してはここがピークかな、と割と燃え尽き気味で正直な話
「もう満足だしこれで終わりでいいかな」とさえ思っていたのだが…(続く)






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