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父が死んだ話④水曜日

3月13日日曜日に父が他界しました。次に備えての備忘録です。
故人の事は大好きだし、悪気もないので言葉が不適切になっても勘弁願いたい。

お通夜の翌朝は【お別れ膳】
通夜で泊ってた親族向けのサービスだとは思うけど、家が隣にあるし通夜の寿司が大量に残ったので寿司食べて、お別れ膳は、母と伯母と叔母と姉の4人+父の霊前に。最低5人前からオーダー。葬儀屋さんに泊まらなければ特に要らないよね。

会社は通常運転で、黒糖焼酎【まんこい】の瓶詰めがある。告別式の時間には、事務員さんと若い子に受付をお願い。香典返しも追加100セットを造りながら受付をお願い。息子活躍したらしい。

お寺から坊さんが来た時に、謝礼でお布施3万円を渡して、簡単な話で退席。
実は、うちのお坊さん、なぜか川崎家に恨みがあるのか
法事や仏壇を収めるときに呼んでお経をあげてもらった後に、必ず
「あなた達は恵まれてるんだぞ」って言うんですよね。説教を受けるってイイ事言うお寺さんは多いと思うのですが、そんな事一度も思ったことがない。こいつ何知ってるの?って感じです。父や祖母がどれだけ苦労して借金返して努力してたのに、きっと曾祖母の川崎タミが慈善家だったから近所の子供だった坊さんは施しを受けてたんだと思うの。それで他人の自分にこれだけ施しをするんだから、身内にはもっと施しがあったと思い込んでるんだろうね。マジで何もないから、借金と曾祖母の名誉だけだから。恵まれてるんだよあなた達は!って言われるたびに怒り心頭。

グッとこらえて呼びましたが、なんだろう?
お経の読み方もダメ、鉦鼓の鳴らし方もダメ、なんか感じ悪いし、参列者からもアレはダメと声が聞こえてくる。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはこの事。

10時から告別式
・着席後、坊さん入場してお経を唱えて退席。
・喪主から順番に焼香して、礼して席に戻る。
・席の上、身内から順番に焼香、皆さんの焼香が終わったら
・孫代表で甥っ子がスピーチ
・親族代表で僕がスピーチ
・【お別れの儀】出棺の準備で参加者に花を入れてもらって、蓋をしたら出棺。めっちゃ早い。そのまま車に乗り込んで火葬場へ
・事前に火葬場に来る人への案内もちゃんとできていなかったので、お伝えしておくのが筋だと思った。親族以外の方はそのあと車で追っかけてきてくれた。

火葬場にて
父に焼香。最後のお別れ。
いざ焼き場に行くと、母と姉は号泣。
火をつけるボタンを母が押すことになるがなかなか押せないので一緒に押す。辛い別れだ。

その後、焼き終わるまでの2時間くらい会食。3日7日法要(みきゃなんか)
代表で僕がお話をして献杯
兎に角2500円の弁当が美味しくない。しかも父を送り出して皆さん食欲がない。こんなんでいいのかね?そしてお吸い物が1人分ない。
途中で、かまぼこのないお吸い物が届く。まあええか。そんな次元。

それから父と友人の紬の辰雄さんに川崎家の家系図を教えてほしいって関係性を説明。そんな2時間が過ぎたら納骨。
いまは入れる骨をすべて箸で運ぶわけじゃないのね。最初の数本だけ家族で入れた。後は自由に入れたい骨を入れる。のどぼとけを入れるためなのか、遺族の為なのか、頭蓋骨は先に割られてる感じ。もしくは最初から崩れてる。遺族の前で砕くのは忍びないから最初に割るんだと思う。最後にのどぼとけを入れる

寂しいものだね。それから位牌とお骨を持って解散。早いものだ。みんなには感謝。

家に帰ってからは覚えてない。

葬儀屋さんから、胡蝶蘭と果物は持ってきてもらう。花飾りは2基だけ持ってきてもらい父に備える。後日かごなどは返却。

香典返しをすべて返品の為に直したが、その後も取引先の酒屋さんなどから香典を頂くので40から50は残しておいた方が良い。

最後は香典返しの引き出物???だけは返品可能。

位牌の戒名(院号)で御布施10万円。位牌を新たに3万円くらいのを調達。祖母と同じサイズで並べることに、位牌は33回忌まで仏壇に供えるらしい。婆ちゃんのは1996年だったと思うから2029年までってことかな?28年かな?まあそれくらいだ。

以上でお疲れさまでしたが、これからも役所・金融機関での手続きが続く。

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